忍者ブログ
2009/11/03first
[41] [40] [39] [38] [37] [36] [35] [34] [33] [31] [30

04/20

2024

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

少年が降り立ったその日、街には春の雪が降っていた。
※都内で相次ぐ連続自殺事件を多方面から語るモノ語り






 その少年が現れたのは、物珍しくも東京に春の雪が降った日のことだった。
 梅の蕾が膨らみ始めた頃のことだ。小さくとも雑誌の編集長なんてやっていると、この手の天気には敏感になるというものだろう。梅と雪。神秘の一枚も撮ってやろうと魂が疼くものだ。
 そんな魂を持ってして、大江はボサつく髪を撫でつけていつもより20分ほど早く家を出たのだった。耳元で鳴るラジオは朝からちらつく雪が昼過ぎには融けてしまうだろうと喋っている。
 大江の自宅を出て5分のところには、都内でもそこそこ大きな公園がある。樹齢80年といったところの立派な枝ぶりをした梅の木が鎮座している。風雅の一枚を撮影して出社。何と勤勉な編集者だろうな、と自分を誉めてやりたい。
「おや、今日はお早いですね」
 公園の片隅に縮こまるように立地している小さな花屋のシャッターが開いて、声をかけられた。グリーンのエプロンをかけた年若い青年である。ハンサムというよりは美人、美人というよりは麗人という形容がぴったりくる青年は、本人曰くまだ青臭い大学生だそうだ。しかし、その立ち振る舞いがどうにも青臭さというより、既に社会に揉まれましたという雰囲気を醸し出しているので、大江はその言動のすべてを信じてはいない。
「こういう朝はな、いい絵が撮れる」
「なるほど。さすが編集長」
 青年は馬鹿丁寧に挨拶をした後、ゴム手袋を嵌めながらやや困ったように首を傾げた。
「すいませんね、今日はまだ珈琲を淹れていなくて」
「ああ、いい、いい。っていうかそれじゃ俺がタカってるみたいだろ」
「駄賃代わりだって、たまに買っていってくれるじゃないですか」
 そう言って青年はボックスに陳列されている春撒きの種の袋を指さした。台所で玩具みたいなプランターで育てられるリーフレタスだのルッコラだのは、たまに独り身の食卓を彩ってくれる。
 独り身で仕事が恋人である大江が花屋のアルバイターと交流を持ったのは、別に頻繁に花を買う必要があってのことじゃあない。どこにでもいそうなじいさんとばあさんが経営していた寂しい花屋で、なかなかいそうにない麗人が働き出したのは1年ほど前。じいさんがぎっくり腰で力仕事が出来なくなったのが切欠だった。
 最初は何気なくシャッターを切ろうとしただけだった。立っているだけで絵になるような麗人が鮮やかなストックを束ねている姿なんてそれだけでモデルになるだろう。もちろん無許可でなんて思っていなかったが、この麗人は大江がカメラを取り出した時点で困ったようにそのレンズを塞いだのだ。
「花の写真はいくらでも撮って頂いて構いませんが、僕の顔が出るものはちょっと」
 やっぱりただの花屋のアルバイターじゃないだろと思ったし、惜しい被写体だと思った。しかし、苦笑交じりにお詫びと言って馳走された珈琲とカンノーロが格別に美味かったのでここがカフェではなく花屋だと再確認したほどだ。
 以来、青年が朝の水仕事を終えたあたりで花屋を通りがかる大江は、休憩の珈琲をご相伴に預かっている。
「数年前にイタリア留学していた頃にちょっと」
 だからちょっとって何だ。そんな青年の将来の夢はカフェかフラワーショップの経営らしい。最近の若者は夢がないと言うが、この青年の場合は何か違うような気がする。
「この冷え込みじゃ、商品の方も大変だろ」
「そうですね。昨晩から空調を調節したつもりでしたが、いくつかは駄目になりそうです」
 そう言って青年は白い溜め息を吐き出した。それでもこの青年はこれから冷え込みに弱い花たちのために昼まで奔走するに違いない。アルバイトという体にしてはやたら働き者なのだ。
 彼は公園の入り口の方を指差して小首を傾げた。
「大江さんも急がないとベストショットを取り逃すのでは?」
 そうだった。雪と梅を撮るためにわざわざ貴重な朝の20分をふいにしたのだ。
 青年に別れを告げて公園内の梅の木を目指す。通勤ラッシュ前の道など静かなもので、雪の降る中、ウォーキングやらジョギングやらに精を出す連中すらいない。
 耳元のラジオが次のニュースです、と伝えてくる。周囲では咲こうと意気込んでいた草花が雪に頭を垂れている。
 件の梅の木が見えたところで、大江はふと足を止めた。咲き始めの梅の木と雪が舞う真っ白い風景は想像した以上に幻想的なものだった。彼の想定と若干狂っていたのはその場に先客がいたことだ。
 真っ白い背景に融解してしまいそうな小さい人影だった。ぽん、と音が鳴ったと思えばそれはその人影が雪帽子を被った梅の花をスマートフォンに収める電子音だった。
 はた、とたった今気が付いたように人影が振り返る。少年だった。中学生か高校生かははっきりしない。無機質に白い髪、深雪のように白い顔、白いモッズコート。眼鏡の奥で瞬く両眼だけが5月に咲く藤の色をしていた。両耳を塞ぐメタルレッドのヘッドホンが、やけに無骨に見える。傘はない。薄く積もった雪の粒が少年の肩と頭で踊った。
 少年は少し驚いた顔をしたあとに、柔らかい音で「おはようございます」と挨拶した。
 ラジオの音声が続く。
 ――都内で女子高校生の自殺が相次いでいる件について、先週、とうとう7人目の遺体が発見されました。


 大江は雪と梅をファインダーに収め、何度か角度を変えてシャッターを切ってからカメラを仕舞った。
 少年はベンチに掛けて缶入りのコーンポタージュに口をつけるところだった。缶を両手で持つ仕草が妙に子供っぽい。ゆっくりと喉が上下し、白い息を吐き、少年の頬に赤みが差した。そうしてようやく人間に見えるようになった。
「なんだ、そのチョイス」
「おじさん、なんでも好きなもん買えって言ったよ」
 すぐ近くの自動販売機を指さして少年は宣った。少年の頭の上に積もった雪が見ていられなくて、スーツに入れっぱなしの小銭を渡したのは大江だ。
 少年は律儀に手ぶらになった大江の片手を掴み、釣り銭を握らせてきた。しょっぱい小銭ではあるが、もう1本何かを買える金額はある。律儀だ。この歳のクソガキなら、適当に煙に巻いたつもりで懐に忍ばせそうなものである。
 大人がガキの煙になんぞ巻かれてるんじゃねぇ、わざと煙に巻かれて150円ぽっちの窃盗を見逃してやってるんだよ。と、まあそんな説教をしなくてもいいタイプのクソガキではありそうだ。
 他人が飲んでいるものが妙に美味そうに見えるというのは、自然の摂理で、何とはなしに大江も同じものを買ってプルタブを開ける。中身は当然、特別美味くも不味くもない。
「美味いか? これ」
「ふつう」
 馬鹿正直な返答がきて、何とも微妙な気持ちになる。花屋のきちんとドリップされた珈琲がやたらと恋しくなった。
「で、お前さん、学校はどうした学校は」
 職場の社員アドレスに「数枚撮ってから出社」の旨を送る。嘘は吐いていない。
「行ってない」
「不登校か、不良か?」
「違うよ。休学してるんだ。高校に入る前に一年、留学してたんだ。つい最近、帰ってきたばっかり」
「なんだ、中坊か」
「どっちなんだろ。高校受験は去年済ませたから、長い春休みみたいなものだよね」
 一缶飲み終えた少年はぷかりと一際大きい息を吐いた。自動販売機横のスチール缶と書かれたゴミ箱に缶をシュートしてから、スマートフォンを手に取る。
 画面に映っていたのは意外にも生真面目な朝のニュース番組だった。大江のラジオからもほとんど同じ内容のキャスターの声が響く。
 ――何故、都内でこれだけ連続して若者の自殺が続いているのか。専門家の意見を伺ってみましょう。スクールカウンセラーも努める臨床心理士のアスマケイイチ先生をお呼びしています。
「お前、親は?」
「いないよ。2人とも海外出張みたいなもの。ジジイは日本にいるけど、今どこで何をしてるやら。あ、行方不明とかじゃなくて、僕が生まれたときからずっと邪馬台国がどこにあったのか喚きながら日本中掘り返してる」
「なるほど。一家で変わりもん、てとこまでは理解した」
 ――先生、何故最近になってこんな事例が相次いでいるのでしょうか。
 ――そうですね。これは私の経験からくる予想ですが、今の子供たちには圧倒的に拠り所が欠けていると思うのです。社会的な意味合いではなく、精神的なものです。
「でも親代わりの人はいるよ」
「ふぅん?」
「今は奥多摩あたりで井戸とか蔵とかひっくり返してるけど」
「駄目じゃねぇか。何やってんだ、そいつ」
「探し物」
 ――学校にも、家庭にも、居場所がないという子がほとんどです。ええ、はい。理由が明確にある子もない子もです。
 ――思春期特有のということでしょうか?
 ――いいえ。いくつになってもね、どこにも行けないという人は本当に多いんです。
「おじさんは記者さん?」
「まあな。これでも編集長やってる」
「へえ。どんな雑誌? 僕が読んでも面白い?」
「お前みたいな年頃のガキには早い、と言いたいところだが、まあ、意外とお前みたいなヤツは読めるかもな。所謂、文化雑誌ってヤツだ」
「ああ、なるほど。だから梅と雪なんだ。確かに特別綺麗だね。冬と春の境目が曖昧になって迷子になりそう」
 ――こんな春にはね、不安定になる子も多いんです。ほら、春にはいろいろとあるでしょう? 受験、進級、進学。今まで自分を取り巻いていた環境がガラッと変わってしまう。ストレスとはつらいことや苦しいことばかりで感じるものではないのです。
「何でもいいがこんな時間、こんな天気に傘も差さずに遊んでるのはやめろ。近くのお巡りにしょっ引かれるぞ」
「おじさんは?」
「あ?」
「おじさんは、なんで僕に声をかけたの?」
 ――自殺しようとしている子は、周りの大人がそうと気づけるものなのでしょうか?
「……最近、物騒だからな。まあ、そういうこともちょっとは考えた。雪と一緒に昼頃には消えてそうな色してるだろ、お前」
「ああ、いいね。それ」
「いや、よくないだろ」
 ――難しいかと思います。例え親御さんであっても、いえ、近しい方のほうがむしろ気が付けないケースも多いのです。親御さんたちが悪いのではありません。もちろん、彼女たちが悪いのでもありません。
「でも、まあ大丈夫だよ」
 ――私はそんな彼女たちに居場所を創ってあげたいと思うのです。
「自殺者は8人で終わるから」
「……は?」
 ぷつり、とニュース番組を映すアプリが落とされて音が消えた。ディスプレイには野生と思しきリスが頬袋に餌を詰め込んでいる。
 スマートフォンをコートのポケットに滑り込ませると、少年は立ち上がる。
「……どういうことだ?」
「だって尻尾はそれ以上いらないもの」
 軽いステップで背を向けた少年が、どこかズレた回答をする。
「ああ、そうそう」
 思い出したかのように薄く雪が積もる梅に近づき、その太い幹を撫でると小さく嘆息した。
「その写真、雑誌に載せるつもりならやめておいた方がいいよ。第二、第三くらい別案を用意して置いた方がいい」
「……なんでだ?」
 不可思議で、何とも胡散臭いことを言う。だが、大江には少年が脈絡のないホラを吹いているようには思えなかった。いや、会話には脈絡がないのだけれども。大江の勘は、自慢じゃないが外れたことがない。
 少年は少しだけ眉を寄せて梅の木を仰いだ。のんびりした、とぼけたような笑顔がその一瞬だけ嫌悪に歪んだ気がした。
「雪さえ降らなければよかったのに」


 一日の忙しなさを乗り越えて、大江は深くデスクの椅子にもたれかかった。真正面のデスクトップには、今朝方、撮影したばかりの雪と梅が咲いている。
「編集長」
 呼ばれて睨み合っていた画像から面を上げれば、自社のかわいい2年生が立っていた。
「おう、どうした高山」
「どうしたって、こちらの台詞です。朝、せっかく撮ってきた雪と梅、綺麗でしたよ。なのに自分で却下しちゃうし。みんな、残念がってました」
 これからの花見シーズンに桜もいいが梅もいかが、なんて主旨の記事でもつければそれだけでコラムが埋まる。埋まるのだが。
 大江はわざと焦点をずらして飾ったままの写真を凝視する。何も見えない。今は。
「……本当に?」
「え?」
「本当に、お前もそう思ったのか?」
 至極、真面目な声音で返してやると、彼女はわずかに狼狽したようだった。彼女はごちゃごちゃした事情を抱える大層な霊感持ちである。持ちすぎて、人外のボディガードがついているほどだ。
 しかし、ここひと月、彼女の背中に張り付いているそのボディガードを見かけない。彼女自身も休憩時間に少し青い顔をしていることを知っている。
 彼女は眼球を右往左往させてから、オフィス内に他の面子がいないのを確認すると遠慮がちに口を開いた。
「私は……実は、ちょっとほっとしてます。根拠は上手く説明できないんですけど、本当に、なんか、綺麗だけど見ていると気分が良くなくなって……」
「編集長!」
 がたがたと騒々しい音を立ててオフィスのドアが開く。
「おい、壊すなよ。貸しテナントの修理費は馬鹿にならねぇんだから」
「ちょっと見てください!」
 聞けよ、と文句を連ねる間もなく飛び込んできた男性社員はリース品のテレビのリモコンを操作した。指が少しだけ震えている。
 映し出された夜のニュース番組の背景に、随分と見慣れた風景が飛び込んできて大江は息を呑んだ。
 あの梅の木が寒空の下で佇んでいる。テロップは。
『――公園で首を吊っているところを発見され、搬送先の病院にて息を引き取ったとのことです。都内での自殺者はこの三ヶ月の間で8人目となり、警察は何らかの関連性を疑って調査を続行するとのことです』



【九人目の女神】
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字



1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
● カレンダー ●
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
● リンク ●
● 最新コメント ●
[01/17 梧香月]
[11/11 ヴァル]
[08/02 梧香月]
[07/29 ヴァル]
[07/29 ヴァル]
● 最新トラックバック ●
● プロフィール ●
HN:
梧香月
性別:
女性
● バーコード ●
● ブログ内検索 ●
Designed by TKTK
PHOTO by Sweety
忍者ブログ [PR]