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2009/11/03first
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※食事風景と問答と過去の幻影。
 たぶん、次はちゃんと論文漁ります。





 結果から言うと、サクヤという女性は少し変わった人だった。
 俺を見るなり猫のようなアーモンド・アイを瞬かせて、唇を戦慄かせた。誰かの名前を音なく呟いた後に、ゆっくりと首を振って頭を撫でられて抱き締められた。うーん、と。これはどういう反応なんだろうか。
 もちろん、そういう意味合いの抱擁でないことは理解したし、そんな抱擁でいちいち動じるほど青々しくない。でも、男の方は面白くないんじゃないだろうか。女の人だし。首だけ動かして男の方を見ると、何故だか奇妙に懐かしそうに目を細めていた。でも、黙して二人で作り上げた料理を配膳している。
 うーん。これはどっちなのかわからない。でも、サクヤという女性が俺の頭を撫でる仕草に、所謂、そういう色のようなものはない、ということだけはわかっている、と思う。手つきがこう、母親か、年上の親戚のお姉さんが子どもにやるような感じだ。
 ここは遠い未来なので、長らく生きているらしい彼らが、長らく生きている俺を知っていてもおかしくはないけれど。俺と彼らの間には、どういう物語があったのだろうか。
「とても綺麗な花畑だったの」
 ジャガイモのガレットを小さくカットしながらサクヤが言う。
「ハクサンイチゲの白い花びらが、青いケシと一緒に歌っていたわ。コケモモの花も綺麗だった。あの子たちはお腹を空かせなくて済む。お墓に綺麗な赤い蝶々がとまっていて。それを全部、とても澄んだ美しい翠色の風が包んでいたの。あの風は、あなたのオーラそのものだったのね。今も見えるわ。とっても綺麗で素敵」
「……うん、そっかぁ」
 翠色の風。見える人には見えるそうなのだが、それは俺の魔力の残滓だ。高等魔法使いはそういった痕跡を残さないし、常に自分の魔力をコントロールして相手に見せないようにする。それがばっちり見えているということは、俺の魔法が稚拙で魔法使いとしては失格ということなんだが、まあ、自分の恥部を深くは語るまい。虚しくなるから。
 ――それよりも。
 うっとりと頬を染めてサクヤが語るもんだから、俺はこわごわと男の顔色を伺った。にこにこと笑いながらサクヤの取り皿に白身魚のマリネとシュパーゲルを追加している。うーん。青年と大人の境目って難しいな。景色や俺の魔法が綺麗、というより、恋人と一緒に見た景色が綺麗で思い出してるだけだと思うんだけど。

『ナレヤ。あんたが草毟るとそこから倍くらい元気な雑草が生えてくんの。面倒だからやめてくんない?』
『アルテミスさん。私には恋人が他の異性と二人の世界にいるのは、耐え難い苦痛なんです』
『お前、目玉ついてる!? ただ手合わせで千切っては放り投げられてるだけですけど?! っで!?』
『余所見をしているヒマがあるとは、随分、余裕ね。さっさと立ちなさい』

 ――男の嫉妬って、基準がよくわかんねぇ上に理不尽なんだよなぁ。
「何?」
「いや、何でも」
 ちょっと、大分、温い表情になっていたかもしれない。失敬。まあ、アレは特殊事例だけどな。
「サクヤ。ポタージュにネギ散らす? 好きだろ?」
「ううん。黒胡椒とオリーブオイルにするわ」
 そんなやり取りが聞こえたので、顔を上げた。
「これが一番美味しいって、教えてくれた子がいたの。そうよね?」
「……そう」
「ガレットも美味しいわ。とっても優しい味」
「素朴なだけだよ」
 本当に、どういう物語があったんだろうな。俺が知る権利は、まだない。
「デザートも作ってくれたよ。林檎のキャラメリゼ。サクヤにはちょっと甘いかも」
「がんばって食べるわ。……マリネもアスパラも美味しいわよ?」
「なんか、取ってつけたような褒め方だなぁ」
 わざと意地の悪い声で言った男に、サクヤが頬を膨らませて拗ねてみせた。なんだろうな。こうして見ている限りでは、穏やかでお似合いの可愛いカップルだ。なのに、違和感が拭えない。なんでこんなに安定感がなく見えるんだろうか。
 こうして笑っていても、サクヤのアーモンド・アイは何かを探して迷子のようだし、男の金色の瞳は静かに小さく何かに絶望しているのだ。誰にも気づかれないように。小さく、ひっそりと。


「物置みたいな部屋で悪いね」
 カウチの上に毛布を敷いて、簡易ベッドを作りながら男が言った。アパルトメントの狭い一室だ。物置というのは嘘ではないらしく、いろんなものが積み上がっている。雑然とした感じはしないから、きっとどっちかがマメな性格なんだろう。
「別に、ソファでも床でもどこでもいいのに」
 難なら俺は時空の裂け目に帰って寝たっていい。
「招いた以上は客なんだから、そういうわけにもいかないだろ」
「どこでも眠るくらいの訓練は積んでるよ。音や声が気になるなら耳栓して寝るし。……何、その顔」
 男が何故か酸っぱいものを食べたような顔をする。でかい溜め息をひとつ吐く。
「俺とサクヤはそんなんじゃない。姉と弟みたいなもんだよ」
「そうなんだ?」
 ――そうは見えないけど。
 男は面白くなさそうに顔をしかめた。薄々、気づいていたけれども、どうやら男には思考を読まれるらしい。こういうの、今風に言うとなんだっけ。テレパスだっけか。昔は、厄介な魔女どもによくされたもんだな。こういうときは、うーん。
 ――サクヤっていい匂いがしたな。あれ、何の匂いだろう。アカシアとかオレンジとか、クローバー。全部、蜂蜜が採れる花だなぁ。そりゃいい匂いもするはずだ。女の人に抱き締められるなんて何年ぶりかな。温かくて、柔らかくて……。
 がたん、と大層な音を立てて男がドレッサーの角に足をぶつけた。むすっとした顔で睨まれる。
「そんなのに釣られてやるもんか。第一、サクヤはあんたの好みじゃないだろう?」
「好みだとか、理想だとか、そういうもの関係なく落ちるものが恋だと思うけどな」
「でも、実際、あんたはサクヤに恋してないじゃないか」
「まあ、してないけど。女性を前にしたら誉め言葉くらい考えるさ」
 思い悩む青少年をいじめているみたいになってきたな。やり過ぎはよくないと思うのだけど、でもなんだか苦しそうだったから。つい、気になってしまったのだ。
 どうしてそんな苦しげに女性を愛しているんだろうか、と。切なげならまだわかるんだけど。
「別に好きでいるくらいいいと思うけどな」
「やめてくれ。下手打ってサクヤを傷つけたくない」
「そりゃ、誰かを傷つけるのが好きっていう感情だからね。仕方ない」
 失恋なら言うまでもなく。お互いに好き合っていても、雨が降らなければ地は固まらないものだ。固まったとして、行き着く先を考えるとグロテスクな通り道が待っている。
 たぶん、人類が持つ感情の中で、一番面倒くさい。それでも。
「自分くらいは認めてやらないと、苦しいばっかりだと思うけどな。どういう事情か知らないけど、女は男が夢想するよりか弱い生き物じゃな」
 言いかけたところで男が消えた。逃げられたと理解したのは数秒後だ。
「……やり過ぎたか?」
 駄目だな。加減が難しい。俺の男の友人ときたら、儚げなのは顔と寿命だけで、中身はアホほど図太くて図々しいことこの上なかったから尚更馴れない。まあ、俺もナイーブとか、繊細とか、そういう言葉とは無縁の視点で生きているから、あまり他人のことは言えないか。
 追いかけようか考えてやめた。あの男がサクヤの朝食までほっぽり出して、家出するようにも思えなかったからだ。サクヤは放っておいたらメシを食わない質だ。俺の連れ合いもそうだったからよくわかる。別にアイツは食わなくても死なない身体ではなかったのに。困ったもんだった。
 朝までには帰るだろうと判断して、俺は用意された寝床に転がった。睡眠は不可欠でないのに、横になるとふあ、と欠伸が出る。うん、我ながら健康でいいことだ。


 ひどく懐かしい夢を見た。
 夢だとわかるのは、見えた天井が柔らかい木目だったからだ。それから起き上がると少し軋むダブルベッド。いつも季節よりも一枚多い毛布がかかっている。山間の隠れ家であるこの村の気候は冷涼で、住人の一人は平熱が他人より低いからだ。
 その住人は我が物顔で毛布を占領し、ぐうぐうと熟睡している。ほぼ色のない透き通った綺麗な白髪がキルトの枕に散らばっている。こりゃ昼までコースかな、なんて考えて俺はその頭をぐしゃぐしゃと撫でてから起き上がるのだ。下着と服を身に着けて、ケダモノから人間に進化を遂げてから顔を洗う。あの村の水は綺麗だったが、いつも冷たかった。夏は重宝するが冬は寒い。
 眠い目を擦りながら、暖炉に火を入れて、用意していた新しいバターと新しい小麦粉を引っ張り出す。作るのはクロワッサンだ。一から捏ねたクロワッサン、丁寧に漉したマッシュルームポタージュ、チーズの入ったソーセージに濃い目に入れたアールグレイのティーラテ。デザートに林檎のキャラメリゼ。どいつもこいつもただの朝食としては手間がかかり過ぎて、面倒ったらない。でも、俺ががっついてしまった朝は、そのメニューでないと食べないのだ。あのバカは。
 アイツが俺にリクエストする料理というのは至極、手間がかかって面倒なものが多かった。すね肉のシチューだったり、ナツメグの効いたラザニアだったり、クリームのクロケットだったり。アイツは俺に甘えてもいたし、愛情を試してもいたし、あとはまあ、行き場のない感情を抱えたときに八つ当たりもしていた気がする。
 そして利口なことに、アイツは俺以外にそんな無理無茶を言わないのだ。
 とても単純に出来ていた俺は、それが格別に嬉しくて、口でやれやれ言いながらせっせと努力したっけ。懐かしいもんだ。
 クロワッサンが焼き上がる直前に、湯と水を混ぜてぬるま湯を作っておく。顔を洗うのに熱いのも冷たいのも嫌がるので、本当に面倒くさい。ついでに、寝汚いくせにクロワッサンは焼き立てを食べたがるから、ちょうどよい塩梅を見つけるのに苦労した。
 水盆にぬるま湯が溜まったら、ベッドに向かう。
「そろそろ起きろ。昼近いぞ」
「んー、やだ……」
「朝メシ食わなくていいのか?」
「起きたくないけど食べる……」
「お前はいつから人間やめたんだよ。ほら、起きろ」
 ぐにゃぐにゃと何か言っているのを無視して毛布を剥ぎ、上体を引っ張って起こす。さらさらと色のない髪が肩に落ちる。薄く睫毛が持ち上がると、ルビーより美しい血液の赤を映した瞳が現れる。
 ……コイツもなぁ。見た目は儚げと言えば儚げなんだけどな。中身がいろいろ残念なんだよなぁ。
「手ぇ、挙げろ。両手」
「んぁー」
 まだ言うことを聞くうちに万歳のポーズをさせる。上から被るタイプの簡単なワンピースを被せると、ようやくもそもそと布を手繰り出した。くぁ、と百年の恋も冷めるようなでかい欠伸をかます。俺? 悲しいことに百年どころじゃないので、まったく冷めないのが悔しいところだ。
 のろのろと着替えた後はん、と両手を突き出してくる。
「……何だよ」
「抱っこ」
「正気か」
「椅子まで行くの、めんどい……」
「お前なぁ……」
 その気になれば空まで飛べるし、重力を無視して壁も屋根も走れるくせに、何を横着しているんだ。と言ったところで動くわけがないので、仕方なしに腕の下に手を添えて持ち上げる。薄めの唇がにやりと吊り上がったのはそのときだ。しまった。
「よい、しょっと」
「……っ!?」
 いきなり全身のばねを使って猫のように飛びついてくる。俺とコイツの身長差は10cmもない。なのに、飛びつかれたらどうなるかなんて、お察しだ。半回転してたたらを踏んで、何とも不格好に、それでもやっとの思いで落とさずに耐えきった。身体が痛い。もう少しで筋がやられるところだ。
「お、まえ、なぁ! もう少しで落とすところだっただろ! 何考えてんだ!」
「大丈夫、大丈夫。落とされたことないし、落ちてもクッションになってくれるヤツがいるから」
「なるけども!」
 首に腕を回してけらけらと笑う。まったく、信用されていると安心していいんだか、それともあんまりバカなことをしてくれるなと怒るべきなのか。
「お腹すいた」
「へーへー。このまま運んでやるから顔洗え」
「ん。いい匂い。ハムとトマト切っておいて。挟んで食べるから」
「へいへい。わかりましたよ、っと」

 遠く幸せな記憶だ。
 俺の中の、永遠に美しいレッド・アンバーだ。


 目を覚ましたとき、とても気分がよかった。可愛らしいカップルにあてられたせいか、いい夢を見た。夢も思い出もいいものだ。眼を閉じるだけで憂鬱な現実に向き合う勇気がもらえる。
 アパルトメントの空調はほのかに温かく、キッチンから音がしている。やっぱり男は夜のうちに帰ってきていたらしい。
「さて」
 いい夢を見たから仕方がない。朝食を腹に詰めたら、仕事のひとつやふたつ、頑張ってやりますか。
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