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2009/11/03first
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普通に憧れている。普通であることは、とても難しいことだから。
※都内で相次ぐ連続自殺事件を多方面から語るモノ語り





 ついて来て、よかったんだろうか。
 里菜の危機管理能力がようやく仕事を始めたのは、ウィークリーマンションの浴室で熱いシャワーを浴びていたときだった。小さいけれどちゃんとしたバスルーム。量販品だがちゃんとシャンプーもリンスもある。
 少年は里菜を洗いたてのバスタオルと一緒にバスルームに押し込んで、「買い物してくるからその間にどうぞ」と言って出て行った。鍵の音がしたから、買い物に出かけたのは本当なんだろう。だからこうしてひとりで考えることを思い出した。
 ――変な子だったな。
 中学生だろうか。高校生だろうか。小柄で真っ白な子。たぶん、年下。この部屋は? 学校は? 両親は? 訊けない。それを訊いてしまったら、里菜も同じことを話さなくてはならない。いいや、話す必要はないし、訊く必要もない。たった一晩を過ごすだけの人間のことを、こんなに気にする必要なんてないのだ。
 身体を洗っている間にお湯を張っていたバスタブに浸かる。熱い。熱くて、冷え切った指先からじわじわと内面まで温度が沁みてくる。あたたかい。
 遠くでがちゃりと扉の開く音がした。少年が帰ってきたらしい。がさがさとしたビニール袋の音。その音が近づいて、脱衣所のドアがノックされた。
「まだ入ってる?」
「入ってる、けど」
 ――やだな。もう少しひとりで浸かっていたいのに。
 けれど、里菜に「入って来ないで」と言う権利はない。そうやって諦観していたら、脱衣所のドアが開いて、すぐに閉まった。擦りガラス越しに脱衣所を見る。人影はなかった。
「……?」
 ビニールの音は確かにしたはずなのに。そう思ってバスルームのドアを開けてみた。


「ねえ、なに、これ?」
 脱衣所を出て少年の姿を探すと、彼は狭いキッチンに立っていた。そういえばいい匂いがしている。
「あれ。サイズ、Mで合わなかった?」
「え、えっと、大丈夫、だけど。そうじゃなくて」
「下着は我慢してよ。制服は洗濯機の中。乾燥機もあるから明日の朝までには乾くでしょ。こんな時間まで立派に営業しているんだから、日本のスーパーは本当に優秀だね」
 脱衣所にあったのは誰でも知っている衣料販売店の袋だった。中身はルームウェアにちょうど良さそうな、本来の意味で適当なシャツとハーフパンツ。地味だが肌触りはいい。
 どうかしていると思いながら、里菜は今それを身に着けている。本当にどうかしている。
「……スーパー」
「スーパーだけど」
「……ドラッグストアじゃなくて?」
「なんで?」
 また苛立ちが湧いて来て顔に出る。この少年は見た目より真っ白くはない。それなのにすっ呆ける。
 二の句が告げられずに無愛想に黙っていたら、ふふ、と小さく笑われた。
「冗談だよ。僕は君の見立て通り、そこまで品行方正でも、清くも正しくもない。でも、君にそういうことを求めるほど飢えているわけでもない」
「……何よ、それ。遠回しに私には魅力がない、って言いたいの?」
「思い込みで言葉を曲解するのはよくないな。そんなこと誰が言ったんだい。もっと単純なことさ。君、本当はああいうの嫌いでしょ?」
「――!」
 息を呑む。綺麗な紫色の目に全部見透かされているようで、無意識に半歩、後退った。
「僕も合意ではない行為は好きじゃない。かといって、ひとりで過ごす夜は少し寂しいものがある。たったそれだけの話さ」
 目の前に布巾が飛んできた。反射的に手に取ってしまう。
「やることがないなら、テーブル拭いておいてくれる?」


 テーブルに並べられたのは、ごく普通の総菜だった。なんというか、ごく普通。
 白いご飯、玉ねぎと卵が入ったお味噌汁、白身の魚のホイル焼き、キャベツと人参と油揚げのお浸し。馬鹿だったから白身の魚が何の魚なのかはわからない。けれど何かの柑橘と出汁のいい匂いがする。
 烏龍茶のコップに入った氷がころん、と鳴る。そうしてやっと何だかお腹が空いているような気になった。違う。お腹は空いていたのに、ずっと空いていたことに気がつかなかったんだと思う。
「食べないの?」
 作った本人も既にテーブルについていて、手を合せたところだった。当たり前みたいにテーブルに乗っていたのは2人前だった。当たり前みたいに、里菜の前に箸が置かれていた。
「い、ただき、ます」
 何となくそうすることが正しいような気がして、少年を真似て手を合せる。いつぶりにこんなことをちゃんとやっただろう。
 ぎこちなく箸を持ち上げて、迷った後に味噌汁の椀を持ち上げた。
 ――お味噌汁なんて、いつぶりだろ……。
 息を吹いて冷ましてから口をつける。とろりと沁みるように玉ねぎの甘さが胃に落ちていく。
「……美味しい」
「そう。それはよかった」
 それはたぶん、特別美味しいわけじゃなかった。いや、本当は不味かったとかじゃなくて、本当に普通のお惣菜の味。特別に高い食材を使ったとか、料理人みたいに凝って作ったとかじゃない。普通に出汁を取って具を切ってどこにでも手に入る味噌を溶いただけ。
 きっと、どこにでもある、ありふれた味だった。特別な御馳走じゃなかった。たぶん、みんなが普通に晩御飯と呼んでいるものだった。

 そして、きっと里菜が一番食べてみたかったものだった。

「……私」
「何か嫌いなものでもあった?」
「……ううん、なんでもない」
 ――私、なんでこんな普通にご飯なんて食べてるんだろ。なんで、食べられてるんだろ。
 鼻の奥がつんとした。それを誤魔化すように行儀悪くご飯を掻き込んだけれど、少年は何も言わなかった。
 ホイル焼きの魚は、サワラというのだと少年が教えてくれた。


 気がついたら朝だった。
 無地のカーテンから差す光で目が覚めた。いつ眠ってしまったのか記憶がなくて、焦って身を起こした。
 起き上がったのはパイプベッドの上で、ふかふかとは言い難いけれど、ちゃんと温かい毛布と布団に挟まれて眠っていた。昨夜はどうしたのか、思い出すのにちょっとだけ時間がかかった。
 変な少年とご飯を食べて、食べ終わった後は少年が食器を片付けるのをソファから眺めていて、手伝うか手伝わないか迷ってうとうとしていた。
「私、そのまま寝た?」
 ありえない。じゃあ何故、自分はベッドの上に寝かされているのだろうか。
 この部屋に来て一番最初に確認したのは、一人暮らし用でベッドがひとつしかない、という事実だった。なのに今、一人で乾いたベッドに寝ている。
 枕や布団から森の匂いがする。入浴剤の森の匂いって、結局何の匂いだろうと思ったことがある。木の匂い? 水の匂い? 花の匂い? わからないけど、ああいう匂いがする。何の匂いかわからないのに、不思議と胸がすく匂い。
「あの子……。あ」
 ベッドを降りようとして、枕元に添えられた鞄が目に入った。隣に丁寧に畳まれた里菜の制服が置いてあった。
 ブラウスもリボンもアイロンがかけてあってぱりっとしている。その上には白い封筒があって、首を傾げて中を覗くと五枚の紙幣が見えた。昨晩、大人に立てられた指の本数と同じだった。
 小さい寝室にはベッドと照明くらいしかない。ベッド脇に積まれた本や雑誌は外国語で、里菜には何の本かもわからない。そろそろとベッドを出て、昨夜、夕飯を食べたリビングへのドアを開けた。
 果たして少年はそこにいた。けして大きくはないソファの上で、猫みたいに器用な姿勢で寝そべっている。毛布に包まって静かな寝息を立てている。
 何も、なかった。
 それ以外。
「……変な子」
 寝室で制服に着替えても、きっと何もない。変な確信があった。
 ――ここにいちゃいけない気がする。
 こんな、真面なところに、いてはいけない気がする。そんな気がして、少年が起きる前に部屋を出ようと思った。
 制服に着替えて、軽く髪を梳いて、軽い鞄を抱えて、最後に白い封筒が目に留まった。迷ったのは一瞬だけ。
 なるたけ足音が立たないように、それでも足早に玄関に向かった。


 がちゃん、と玄関の扉が閉まる音と同時に少年はぱちりと両目を開ける。気だるげにテーブルの上を見る。白い封筒は、やっぱり何度見てもそこにあった。
「人間はもっと狡く生きていいと思うんだけどね。数日分のビジホ代くらいにはなるだろうに」
 相原里菜という少女は、良識的な常識を持ち合わせる普通の子だ。おそらく本人が思っているより、ずっと。
 毛布の下に隠したスマートフォンを手元に滑らせて、ダイヤルをタップした。
「――ああ、紀野さん? 首尾は、その声じゃ聞くまでもないか。とりあえず急いでください」
 少女が消えた玄関の方向を見遣る。
「早くしないと、手遅れになる」


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