2009/11/03first
03/19
2024
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11/05
2009
【二、狗の足跡(前)】
「ごめんね、坊や。惜しかったねぇ」
「……いや、別に」
そうぶっきらぼうに言い放ちつつ、蒼牙は甘い香りがするショーケースを穴が開くほど見つめていた。ほどほどの人通りがある商店街に佇む古びた家に、商店用のテントだけを取り付けたような簡易な店構え。小さなショーケースに並ぶケーキには、あまり種類はないが、手作りのそれだとわかる。
しかし、少年が見つめるその先のショーケースは空っぽになっていて、傍にぶら下がった手作りのコルクボードにはこう書かれていた。
『3種のベリーのカスタードパイ 限定10ホール 本日売り切れ』
「ざ、残念でしたね、先輩……」
「……別に」
「また来週来な。同じ曜日に決めてやってるからね」
普段からあまり晴れやかな表情ではないのに、尚更不機嫌に見える横顔に、桜は苦しく笑いながら言った。ショーケースの向こうに立った恰幅のいいおばさんが、豪快に笑いながら言って、蒼牙はこっそり溜め息を吐いてから頷く。
「ありがとうございます。……行くぞ、神代」
「あ、は、はいっ」
未練が残りかねないのか、足早にショーケースの前から立ち去ろうとする蒼牙を桜が慌てて追う。斜め後ろから顔を覗き込みながら、言葉を探す。
「残念でしたね。せっかく、新兄さまが教えてくれたのに」
「……学校が終わってからでも間に合うと踏んだ俺が馬鹿だった」
心なしか唇が尖っている気がする。どう宥めたものか、桜は眉根を下げて、何か他に興味を引くものを探してみた。けれど、それは杞憂だったようだ。
「ところで、何見てたの?」
「え?」
「さっき。俺がケーキ見てたとき、別の方見てたじゃん。何見てたの?」
「え……」
桜は一瞬、目を迷わせた。ええと、と口ごもって、たまたま前方に見えた光景に思いつく。
「さ、散歩をしてた犬がいて……か、かわいいな、って」
「ふーん」
普段の蒼牙だったらきっと疑われる返答だったと思う。だが、楽しみが一つ減ったせいなのか、少ししこりのある声だけで済んだ。桜はほっとして胸を撫で下ろす。ちらり、とだけ背後を振り返る。
ケーキ屋の斜向かいにうるさい音を立てる建物があった。賑やかというには些か度が過ぎていて、昼間なのに中はちょっと暗く見える。
ゲームセンター。人が多いのも、空気が悪いのも、大きな音も苦手だ。けれど、
――ちょっとかわいい……
客呼びのために店の外に置かれたクレーンゲームのガラス越し。一昔前のやる気のないぱんだのキャラクターをそのまま犬に取り替えたようなぬいぐるみがでれん、と横たわっている。
ゲームセンターなんて、悠も新も、そして蒼牙も怒るだろうから、言えないけれど。
少しの未練を感じているうちに、1歩だけ蒼牙と距離が空いてしまった。慌てて追おうとすると、逆に手首を掴まれる。
「遅れるなよ。ほんとにトロいんだから、迷うぞ」
「と、トロくなんかありませんっ! きゃっ……」
「ほら、そんなに混んでないけど、人はいるんだからな。行くぞ」
「は、はい……」
桜は片手で学生鞄を抱きかかえ直した。するすると、対向からやってくる人々を交わす蒼牙に、引っ張られるようにして進んでいく。
蒼牙はわざと商店街のはずれを目指しているらしく、だんだんと人通りは少なくなっていく。辺りに散歩のおじさん程度しかいなくなって、ほっと一息吐いたとき、
――あれ?
さわっ……
「ひゃぁ……っ!?」
「神代っ?」
何かが足に纏わりついて、バランスを崩した。尻餅をつきそうになって、繋いでいた手を引かれて、何とか転ばずに済む。
「何してるんだよ。本当に何もないところで転ぶの得意だな」
「ち、違います! 今、何か足にこう……」
さわっ
「きゃあっ!?」
「おっと」
再びバランスを崩した桜の手を、今度は蒼牙も少し驚きながら支えた。
「な、何ですかっ!」
そう精一杯意気込んで下を見て、
『………………きゅう?』
「……」
「……」
2人で無言になった。
『きゅきゅ? きゅー?』
そいつは気づいてもらったのが嬉しいのか、やたら元気に桜の足元でジャンプを始めた。しばらく無言で眺めていたが、蒼牙がやはり無言のままで手を伸ばした。割とあっさり捕まった。
『きゅ! きゅきゅきゅ、きゅーっ!』
「何だ、これ」
「え、ええと……か、かわいいですけど……妖、でしょうか……?」
大きさはチワワかパピヨン。犬のような、ねずみのような、狸のような。ともかく哺乳類、としか形容できない容姿。おまけに毛の長い足は8本ある。真っ当な生き物ではない。
『きゅ、きゅきゅーっ』
「ん?」
盛んに鳴く生き物に蒼牙が最初に面をあげた。
「……こっとうひん、屋さん?」
「……」
いつのまにか立っていたのは、壊れかけた看板に『月城骨董品店』と掲げられている古びた家の前だった。見るからに立て付けの悪そうな戸に、薄っぺらなガラス。店自体はどことなく薄暗くて、煤けた天井と、申し訳程度に埃の払われた物品の並ぶ棚がえらく物々しい。
桜は思わず後退った。が、
くんくん。
「……っ?」
何だか髪の毛を引っ張られた気がした。振り返るが、何もない。何もないが、
――……ん……?
「ここ、お前ん家か?」
『ぢゅっ!』
目を擦って、何かがぼやけたような気がした空間を見やるより先に、蒼牙の声が耳に入ってくる。
「……なんつーか……すげえところだな」
「……」
蒼牙が眉間に皺を寄せて、もう一度看板を見上げる。桜は口元を抑えた。
「……大丈夫か、神代」
「は、はい……悪いものは、いないみたいですから……。でも、」
「あれー、スーちゃん何してんのー?」
「!」
場違いに能天気な声が背後から聞こえた。思わず蒼牙の影に入る。
『ぢゅっ!』
「あ」
生き物が嬉しそうな声を出して蒼牙の手から飛び出した。蒼牙の背後に自転車を止めていた少年が、呆れた表情で生き物を受け止めた。
「スーちゃん、またお客さん、転ばせたでしょ。だめだよー、悪戯はほどほどにしないと」
『きゅきゅうっ♪』
綺麗な少年だった。虹色の影が差す髪はガラス細工のようで、頭にはめた黒いヘッドホンがいやに目立っている。歳は、3,4歳くらい上だろうか。学生の歳なのは間違いないが、着ているのは制服ではなく、パーカーにお洒落なカーキ色のジャケットを羽織っている。
「そいつ、あんたのペットか?」
「かわいーでしょー。すねこすりのスーちゃん、ていうの。
でも困ったことに、人を転ばして悪戯するのが大好きなんだよねぇ。怪我しなかった?」
「ペットなら責任持って躾けとけよな」
むすっとした表情で言い放つ蒼牙に対して、にこにこと表情を崩さない少年はひょい、とすねこすりを店の方へ放った。くるん、と円を描いて着地したすねこすりは、きゅきゅきゅ!と楽しげに鳴きながら店の奥へ駆けていく。
「そっちの女の子も大丈夫ー? 怪我しなかった?」
「え……あ、は、はい……っ」
「そう、よかったー。ところで君たち、お客さん?」
「え、あ、ええと、その……」
「……違うよ。店の前に来たら、いきなりあいつに絡まれたんだ」
「あ、東海先輩っ」
「ふうん。災難だったねぇ。どう? お詫びにお茶でもしていかない? どうせ閑古鳥の店だから、冷やかしは大歓迎だよ」
「え、ええと……」
人懐っこい笑顔を浮かべた少年に、邪気はなかった。だが、警戒するように彼を見上げていた蒼牙が首を振り、
「急いでるから」
「そお? 残念。今日は奈津子おばさんのカスタードパイ、特別にキープしてもらってたんだけどなぁ」
ぴくり。
――あ。
蒼牙の耳が動いた。心なしか尻尾が幻に見える。
「それ……」
「うん? 商店街のちっちゃなケーキ屋さんの限定パイ。カスタードクリームももちろん、美味しいんだけど、上に乗っかってる苺の生ジャムが絶品なんだよね」
「……」
蒼牙の喉が鳴った。何かが葛藤しているらしい。
「あの、ええと……先輩、私のことなら……。それにこの方、」
『悪い方じゃないみたいですし』、と続けようとして。
くんくん。
「?」
また。
今度はスカートの裾が、何かに引かれた気がした。
急いで振り返ってみると、やっぱり何もない。何もないが、すぐ後ろが、店頭の棚になっていて、いろいろな小物が並んでいた。ガマ口の財布、古めかしい時計、何かの珠に飾りをつけたもの。それから、
「……」
「神代?」
少しだけ身を乗り出して見ていると、声をかけれらた。
「……何、気に入ったの」
「え、ええと……」
赤い紐を、2重の叶結びにした髪飾りが目に入った。ただそれだけの飾りだが、何だか糸がきらきらしている。
「それ? 綺麗でしょー? 貝の粉を糸に使っててね、それできらきらしてるの」
「へえ……」
「200年くらい前かな。保存状態が異様にいいみたいで、それだけ高いけど」
「ふうん。いく……」
「!」
何気なく、値札を返した蒼牙の手が止まる。脇から覗き込んで、桜は鞄を取り落としそうになった。
「に……」
「……にまんえん……」
「まあ、骨董だし……。それでも安い方だよ」
2人は揃って息を吐き出した。がたん、と自転車のブレーキを下ろした少年は、放心した2人ににこやかにケーキの箱をぶら下げた。
「どうする? お茶だけしていく?」
放心状態だった2人は、少しだけ脱力気味に頷いた。
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