2009/11/03first
03/19
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11/05
2009
【一、霊桜の碑(後)】
「ただい、」
「咲也!」
帰りの挨拶もそこそこに、銀は玄関の戸を開けた咲也の手をそのまま掴んだ。驚いて顔を上げた咲也にまくし立てる。
「どうしたの、トンちゃん」
「早く来てくれ! 裏庭!」
「トンちゃん……?」
もつれ気味の足元で、手を引かれるままに咲也は玄関に入ることなく裏庭へ向かった。さらりと温暖な春風が吹いて、項を通り抜ける。
――?
裏庭が変に明るい気がする。気のせいだろうか。確かに、日はよく当たるけれど。
「トンちゃん、どうし……!」
一際、強い風が吹いた。
髪に、着物に、履物に、春の風と、無数の花びらが吹きつけた。
「え……?」
天上から日の光が差している。はらはらと舞うのは、花の首ではなく、軽やかな花びらで。満開になった八重桜が、ふるふると心地よい風に花びらを乗せて歌っていた。
「あ、お母さん!」
太い幹の袂から、まだ幼い娘が駆けてくる。頭と髪に無数の花びらを乗せて、髪留めの縁に二つ、ぼんぼりのように花首を下げている。
「桐花、これは?」
「あのね、お花さんがお母さんにプレゼントなんだって!」
「え……?」
「今まで住まわせてくれてありがとうございます、楽しかった、って!」
「……」
さわさわと、周りの山茶花の青い葉が、導くように鳴いた。答えるように、また八重桜が風にぴん、と音を出した。
天上の日の光に照らされた庭の砂が、ゆっくりと、鮮やかな桃色で埋まっていく。風の音の中に、響く声が聞こえた気がした。
さようなら、と。
またいつか、と。
「あ……」
「お母さん?」
頬に当たる風が冷たい。そう思ったら、いつのまにかじんわりと浮かんだ雫が、一滴だけ着物の下袂に流れていった。
「咲也……?」
「……ごめんなさい。大丈夫よ」
「お母さん、泣いてるの?」
首を傾げて、少しだけ悲しそうな顔をする娘を抱き上げる。重くなった。銀が慌てて代わろうとしてくれた。でも、その重さを感じていたくて、腕の力を緩めなかった。
「お母さん? お花さんはね、喜んでるよ?」
「……ええ、そうね」
「お母さんを見てね、笑っているんだよ?」
「……ええ、ええ」
「だからね」
「笑ってあげよう?」
「ええ……そうね、そうしましょう」
桐花の小さな手が、頬を拭ってくれた。花の合間から漏れる木漏れ日が、最後の春を彩るように煌いた。
「ふぁ~……あ……」
陽気の庭の静謐を壊すように、場違いな欠伸が通り抜けた。アクアオーラ・ホワイトの髪に、桃色の花びらが何枚も絡まっている。起き上がった反動に、お腹から白猫が転がって、縁側にぴたりと着地した。
「豊くん」
「ふぁ……おはよーございます」
「豊くん、これは……」
「ん~……」
猫が顔を洗うように目を擦り、もう一度欠伸をして起き上がる。眠そうな目で周囲を探し、咲き乱れた八重桜に、少年は満足そうにふにゃりと笑った。
「月城。これが、お前の力なのか? この桜は枯れかけていたんじゃないのか?」
「ん~?」
豊はこくり、と首を傾げた。そうしてふるふると首を振る。頭に付いた花びらが、ふわりと香りを撒き散らした。
「ん~ん。僕は何もしてないよ」
「だって……」
「あの子ねぇ、怖かったんだって」
目を細めて笑いながら、少年は縁側下に脱ぎ捨てていたスニーカーを引き寄せる。
強い春風に折れた枝が、一枝転がっていた。豊はくすり、と笑うとゆったりとした動作で拾い上げる。
「ここに来たときから、もう自分は死んじゃうかもって思ってたんだって。それがずーっと怖かったんだってさ」
「……」
「そんな縮こまった気持ちで、伸び伸びと花を咲かせるなんて出来るわけがない。でもね、最期に綺麗に咲きたかったんだって。
ここに来て、初めて花を付けたときに、みんな喜んでくれたのが嬉しかったから。でも、最近は咲いてもずーっと悲しい顔ばかり見ていたから、このまま死んだら、みんな忘れられてしまうんじゃないか、って。
それが、ずーっと怖かったんだって」
「……」
「だから言ったんだ。精一杯、伝えようって」
手の中で枝をなぞりながら、豊は鼻歌を歌った。春の歌。前奏の鼻歌だったそれに、顔を輝かせた桐花が歌い始める。
はあるのおーがーわーはー さーらーさーらながるー
きいしの すみれや れんげーのはーなにー
にーおいめでたく いーろうつくしくー さけよさけよと …
「……そうね」
春が来ていなかったんだわ。この庭に。それが、ようやく来たから、ここはこんなにも明るいのね。
なんて遅い春。そして、なんて美しい春。
もう一度、わなないた八重桜が、祝福を散らすように花を撒いた。
「それ、どうするつもりなんだ?」
商店街の帰り道。買い物のついでに豊を送っていた銀は、指揮棒よろしく枝を振り回しながら鼻歌を歌っていた彼に問いかけた。
銀の問いに、豊はふりふりと振っていた桜の枝を止めた。首を傾げて、「これ?」と問い返す。
「約束だからね」
「約束?」
「うん。最期に枝を落とすから、それを育ててあげるーって。そうしたら、また巡ってあの家に帰れるからって」
「……桜の挿し木なんて難しいんじゃないのか?」
「んー。まあ、僕じゃあムリだと思うけど、知り合いの庭師さんなら全然平気だと思うよ。
この枝にはまだ魂が残ってるし、あの子が咲くことをやめなければ大丈夫」
「……」
楽天的な笑顔を向けながらあっけらかんと語ってみせる。底の見えない少年だ。
「……お前、何なんだ? 花咲か少年か?」
「ううん。ぜーんぜん。
言ったじゃない。僕には何にもしてないし、何が出来るわけでもない。ただ普通の人よりほんの少し、違う声が聞けるだけだよ。神職でもないから浄霊とか、お払い、なんてことはできないよ」
「あの桜は、何でお前に自分のことを話したんだ?」
「人間と一緒だよ。家のこと、自分のことを身近な人には話せないものじゃない。僕はただの相談役だったんだよ」
「……」
暮れかけた日の中で、正反対に陽気な豊の鼻歌が響いていた。銀は深く溜め息を吐く。
「いいな。俺がどれだけ頑張っても、咲也は笑いも泣きもしてくれないのに……」
「?」
ぽつり、と口にしてしまってから、しまったと口元を抑える。鼻歌を止めた少年は、不思議そうに銀の顔を眺めていた。
「いや、その……」
「……銀ちゃん」
豊はぷすり、と笑い飛ばした。ふりふりと目の前で桜の枝が振られる。
「……?」
「近いとぼやけて見えづらいでしょ?」
くすくす、と笑いながら、今度は花枝を遠ざける。
「人間はね、空気は見えないの。近すぎると花も楽しめないの」
「?」
「銀ちゃんは家族だから、難しいんだよ。近すぎると目は曇る。もちろん、遠すぎても見えないけどね」
「……それって」
「あ、月城さーん」
銀の言葉を遮って、男の声がした。いつのまにか、骨董品屋の前に着いていた。大きなトラックが止まっていて、頭に鉢巻を巻いた太い腕の男が、大きな荷物を抱えている。
「月城さん、良かった。お届けものですよ。ご両親から」
――……へ?
「ええ~~? またぁ? 今度はどこから?」
「さぁ~? おいら、ガイコク語はちょっと……」
「まったくー。面白いもの見かけると無差別に送ってくるんだもんなぁ……。骨董品店とかじゃなくて、素直にガラクタ屋に改名すればいいのに」
「ち、ちょっと待て!」
事も無げに伝票にサインしようとする豊に、銀は声をかける。表情はひきつっていた。
「月城……、お前、両親はいない、って」
「うん、家にいないよ。世界中飛び回ってる鉄砲玉だからねぇ。たまにこうしてガラクタを送りつけてくるわけ」
「……」
――ああ、いない、ってそういう……
何かを理解した銀の視界に、何だかやたらとにやついた笑みを浮かべる豊の顔が飛び込んできた。その笑みを見た途端、ふと悟る。
こいつ、俺をからかって面白がっているだけだ、と。
「そういえばクラスメイトだったんだねぇ。なーんか長い付き合いになりそうだね。よろしくね、トンちゃん」
「トンちゃん言うな!」
タイトル
【霊桜の碑】(福島県白河市)
正式な名前は庄司戻しの桜。
治承4年(1180)、源義経は兄頼朝の平家追討の拳兵に応えて、平泉から鎌倉に向かった。その途中、庄司佐藤元治は子息である佐藤嗣信・忠信兄弟を義経に従わせ、忠誠を論して桜の枝を挿した。それが根付いたとされている。
佐藤兄弟は義経を守って討ち死にしたが、桜はその忠節に応えて大木になったという。
「咲也!」
帰りの挨拶もそこそこに、銀は玄関の戸を開けた咲也の手をそのまま掴んだ。驚いて顔を上げた咲也にまくし立てる。
「どうしたの、トンちゃん」
「早く来てくれ! 裏庭!」
「トンちゃん……?」
もつれ気味の足元で、手を引かれるままに咲也は玄関に入ることなく裏庭へ向かった。さらりと温暖な春風が吹いて、項を通り抜ける。
――?
裏庭が変に明るい気がする。気のせいだろうか。確かに、日はよく当たるけれど。
「トンちゃん、どうし……!」
一際、強い風が吹いた。
髪に、着物に、履物に、春の風と、無数の花びらが吹きつけた。
「え……?」
天上から日の光が差している。はらはらと舞うのは、花の首ではなく、軽やかな花びらで。満開になった八重桜が、ふるふると心地よい風に花びらを乗せて歌っていた。
「あ、お母さん!」
太い幹の袂から、まだ幼い娘が駆けてくる。頭と髪に無数の花びらを乗せて、髪留めの縁に二つ、ぼんぼりのように花首を下げている。
「桐花、これは?」
「あのね、お花さんがお母さんにプレゼントなんだって!」
「え……?」
「今まで住まわせてくれてありがとうございます、楽しかった、って!」
「……」
さわさわと、周りの山茶花の青い葉が、導くように鳴いた。答えるように、また八重桜が風にぴん、と音を出した。
天上の日の光に照らされた庭の砂が、ゆっくりと、鮮やかな桃色で埋まっていく。風の音の中に、響く声が聞こえた気がした。
さようなら、と。
またいつか、と。
「あ……」
「お母さん?」
頬に当たる風が冷たい。そう思ったら、いつのまにかじんわりと浮かんだ雫が、一滴だけ着物の下袂に流れていった。
「咲也……?」
「……ごめんなさい。大丈夫よ」
「お母さん、泣いてるの?」
首を傾げて、少しだけ悲しそうな顔をする娘を抱き上げる。重くなった。銀が慌てて代わろうとしてくれた。でも、その重さを感じていたくて、腕の力を緩めなかった。
「お母さん? お花さんはね、喜んでるよ?」
「……ええ、そうね」
「お母さんを見てね、笑っているんだよ?」
「……ええ、ええ」
「だからね」
「笑ってあげよう?」
「ええ……そうね、そうしましょう」
桐花の小さな手が、頬を拭ってくれた。花の合間から漏れる木漏れ日が、最後の春を彩るように煌いた。
「ふぁ~……あ……」
陽気の庭の静謐を壊すように、場違いな欠伸が通り抜けた。アクアオーラ・ホワイトの髪に、桃色の花びらが何枚も絡まっている。起き上がった反動に、お腹から白猫が転がって、縁側にぴたりと着地した。
「豊くん」
「ふぁ……おはよーございます」
「豊くん、これは……」
「ん~……」
猫が顔を洗うように目を擦り、もう一度欠伸をして起き上がる。眠そうな目で周囲を探し、咲き乱れた八重桜に、少年は満足そうにふにゃりと笑った。
「月城。これが、お前の力なのか? この桜は枯れかけていたんじゃないのか?」
「ん~?」
豊はこくり、と首を傾げた。そうしてふるふると首を振る。頭に付いた花びらが、ふわりと香りを撒き散らした。
「ん~ん。僕は何もしてないよ」
「だって……」
「あの子ねぇ、怖かったんだって」
目を細めて笑いながら、少年は縁側下に脱ぎ捨てていたスニーカーを引き寄せる。
強い春風に折れた枝が、一枝転がっていた。豊はくすり、と笑うとゆったりとした動作で拾い上げる。
「ここに来たときから、もう自分は死んじゃうかもって思ってたんだって。それがずーっと怖かったんだってさ」
「……」
「そんな縮こまった気持ちで、伸び伸びと花を咲かせるなんて出来るわけがない。でもね、最期に綺麗に咲きたかったんだって。
ここに来て、初めて花を付けたときに、みんな喜んでくれたのが嬉しかったから。でも、最近は咲いてもずーっと悲しい顔ばかり見ていたから、このまま死んだら、みんな忘れられてしまうんじゃないか、って。
それが、ずーっと怖かったんだって」
「……」
「だから言ったんだ。精一杯、伝えようって」
手の中で枝をなぞりながら、豊は鼻歌を歌った。春の歌。前奏の鼻歌だったそれに、顔を輝かせた桐花が歌い始める。
はあるのおーがーわーはー さーらーさーらながるー
きいしの すみれや れんげーのはーなにー
にーおいめでたく いーろうつくしくー さけよさけよと …
「……そうね」
春が来ていなかったんだわ。この庭に。それが、ようやく来たから、ここはこんなにも明るいのね。
なんて遅い春。そして、なんて美しい春。
もう一度、わなないた八重桜が、祝福を散らすように花を撒いた。
「それ、どうするつもりなんだ?」
商店街の帰り道。買い物のついでに豊を送っていた銀は、指揮棒よろしく枝を振り回しながら鼻歌を歌っていた彼に問いかけた。
銀の問いに、豊はふりふりと振っていた桜の枝を止めた。首を傾げて、「これ?」と問い返す。
「約束だからね」
「約束?」
「うん。最期に枝を落とすから、それを育ててあげるーって。そうしたら、また巡ってあの家に帰れるからって」
「……桜の挿し木なんて難しいんじゃないのか?」
「んー。まあ、僕じゃあムリだと思うけど、知り合いの庭師さんなら全然平気だと思うよ。
この枝にはまだ魂が残ってるし、あの子が咲くことをやめなければ大丈夫」
「……」
楽天的な笑顔を向けながらあっけらかんと語ってみせる。底の見えない少年だ。
「……お前、何なんだ? 花咲か少年か?」
「ううん。ぜーんぜん。
言ったじゃない。僕には何にもしてないし、何が出来るわけでもない。ただ普通の人よりほんの少し、違う声が聞けるだけだよ。神職でもないから浄霊とか、お払い、なんてことはできないよ」
「あの桜は、何でお前に自分のことを話したんだ?」
「人間と一緒だよ。家のこと、自分のことを身近な人には話せないものじゃない。僕はただの相談役だったんだよ」
「……」
暮れかけた日の中で、正反対に陽気な豊の鼻歌が響いていた。銀は深く溜め息を吐く。
「いいな。俺がどれだけ頑張っても、咲也は笑いも泣きもしてくれないのに……」
「?」
ぽつり、と口にしてしまってから、しまったと口元を抑える。鼻歌を止めた少年は、不思議そうに銀の顔を眺めていた。
「いや、その……」
「……銀ちゃん」
豊はぷすり、と笑い飛ばした。ふりふりと目の前で桜の枝が振られる。
「……?」
「近いとぼやけて見えづらいでしょ?」
くすくす、と笑いながら、今度は花枝を遠ざける。
「人間はね、空気は見えないの。近すぎると花も楽しめないの」
「?」
「銀ちゃんは家族だから、難しいんだよ。近すぎると目は曇る。もちろん、遠すぎても見えないけどね」
「……それって」
「あ、月城さーん」
銀の言葉を遮って、男の声がした。いつのまにか、骨董品屋の前に着いていた。大きなトラックが止まっていて、頭に鉢巻を巻いた太い腕の男が、大きな荷物を抱えている。
「月城さん、良かった。お届けものですよ。ご両親から」
――……へ?
「ええ~~? またぁ? 今度はどこから?」
「さぁ~? おいら、ガイコク語はちょっと……」
「まったくー。面白いもの見かけると無差別に送ってくるんだもんなぁ……。骨董品店とかじゃなくて、素直にガラクタ屋に改名すればいいのに」
「ち、ちょっと待て!」
事も無げに伝票にサインしようとする豊に、銀は声をかける。表情はひきつっていた。
「月城……、お前、両親はいない、って」
「うん、家にいないよ。世界中飛び回ってる鉄砲玉だからねぇ。たまにこうしてガラクタを送りつけてくるわけ」
「……」
――ああ、いない、ってそういう……
何かを理解した銀の視界に、何だかやたらとにやついた笑みを浮かべる豊の顔が飛び込んできた。その笑みを見た途端、ふと悟る。
こいつ、俺をからかって面白がっているだけだ、と。
「そういえばクラスメイトだったんだねぇ。なーんか長い付き合いになりそうだね。よろしくね、トンちゃん」
「トンちゃん言うな!」
一、霊桜の碑 了
タイトル
【霊桜の碑】(福島県白河市)
正式な名前は庄司戻しの桜。
治承4年(1180)、源義経は兄頼朝の平家追討の拳兵に応えて、平泉から鎌倉に向かった。その途中、庄司佐藤元治は子息である佐藤嗣信・忠信兄弟を義経に従わせ、忠誠を論して桜の枝を挿した。それが根付いたとされている。
佐藤兄弟は義経を守って討ち死にしたが、桜はその忠節に応えて大木になったという。
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