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2009/11/03first
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※ウルマスさんの集中講義に参加する。
※講義内容はフィクションです。普通こんなことは起こらない。




 郊外よりにある大学のキャンパスはクスノキに囲まれていた。クスノキの落葉は春だ。春に新しい葉が芽吹くと古い葉を落とす。葉がない時期はない。ほぼ一年中、この大学はクスノキの緑に囲まれていることになる。
 構内の関係者専用の駐車場に入ったときから、ルナの視線はあちこち忙しかった。木漏れ日の差すクスノキの梢を見上げてみたり、時計塔のような大学の高い棟を眺めてみたり、棟同士をつなぐ渡り廊下を歩く同じ年頃の少年少女を観察してみたり。
 どこかのゼミが使用しているらしいガラス張りの温室の影を見て、明らかにそわそわしていた。
 ――まあ、それもそうか。
 ここは、ルナの憧れの場所だ。家のことを訥々と語るとき、本当は大学に通いたかった、と口にしたことがある。しかし、実子がやむを得ない事情で高校どまりだというのに、養子の自分が大学に行きたいなどと言えるはずもない。
 いや、本当は言っても許されたのだろう。ルナの気持ちの方がそれを許さなかっただけで。
 あの社の王配であったコイツの義祖父は、ルナが大学に行きたいと言ったら、その夢を叶えた。義姉だって喜んで送り出しただろう。そんなものが甘えや贅沢に見えて、大学に行かずに夢を叶える道を模索した。妥協はするが諦めることはしなかった。
 ――そろそろハナシを出してみるかね。
 そんな女にはご褒美が必要だろう。何も大学に子持ちが通ってはいけない、なんてルールはない。実際にここに来てコイツが学生になり、俺が緊急対応に追われる羽目になったとしても、ベビーシッターを買って出てくれる親類縁者は山ほどいると判断できた。
 俺には縁のない場所だが、コイツが通いたいと言うのなら好きにさせてやるべきだ。何しろ入籍を済ませた今、コイツを扶養しているのは俺だ。どこからも文句は出まい。
「来たことがある、って言ってなかったか?」
「もっと子どもの頃の話だもの。重箱を揺らさないよう必死だったし、徹夜のお義母さんも心配だったし。通用口を往復した記憶しかないわ」
 はしゃいでいた自覚があったのか、そう語る姿はやや気まずげだ。つい、喉の奥で笑いを嚙み殺すと背中に軽い拳がとんできた。
「ああ、おったおった。なんや申し訳ないなぁ。こっちから呼んだのに車も出せへんで」
「リューカ?」
 車を降りたところできらきらしいプラチナブロンドの男が通用口から現れた。年齢は判然としない。中性的な見た目をした男。イタリアの通りを歩いたら、両脇からナンパに遭うタイプの何か。
「久しぶりやなぁ、瑠那ちゃん。ごめんなぁ、こっちのブライダルには顔出せへんで。紫ちゃんに聞いとったけど、ほんまにべっぴんさんになったなぁ。いや、子どもの頃からかわええ子やったけど見違えたわ」
「あんまりリップサービスが過ぎると紫さんに怒られるわよ。でも、ありがと」
 そんな見た目をしながら流暢に訛りの混じった日本語を喋り、親戚の大人が褒めるようにルナに声をかけた。受け取りながらもさらりと交わしてみせたルナに一瞬、驚き、にこにことにやにやの中間くらいの笑顔で俺を見た。
 年上の親戚がするようにルナの頭を撫でている。髪型が崩れないようにしているあたり、ファッションライターをしているルナの叔母の彼氏というだけはある。
「ところで、どうしてリューカが?」
 素直に洗礼を受けていたルナが首を傾げた。大学に出入りしていても不思議ではない頭と仕事をしているが、大学のホスト側に立つ立場かというとそうではないように思える。
「それがなぁ。今日、佐伯はんを呼んだ先生、わいの叔父なんや。それで手伝いに駆り出されとってな」
「リューカの叔父……」
 鸚鵡返しに呟いてから、男を見るルナの目が胡乱なものに変わった。
「ということは、〝そういうことになってる人〟なのね。そのウルマス先生って」
 リューカという白毛の犬は明言せずににっこりと笑みを深くした。


 200人を収納できる講堂内は学生で溢れていた。ざっと見渡した限り、リューカのような美形を拝みたいだけの浮ついた学生は見られない点は評価できる。判別はしているらしい。目的のひとつとしているヤツはいるだろうが、本題を忘れなければ可愛いもんだろう。
 リューカは前席の端に俺たちを案内すると、ほな終わった後に、と言い置いて裏方に去っていった。さり気なくすぐに帰るな、と釘を刺されたな。まあ、いい。
 ルナは長椅子に義姉手製のキルトを敷いて、早速、講義のレジュメと資料に目を輝かせている。
「あんたはウルマス先生を知ってるのよね?」
『知っているだけは知っているな。何しろヨーロッパを中心に複数大学で学位を持っている。論文も頭に入っている。上手いこと人間に溶け込んでいるもんだと感心した覚えはあるな。ま、そんなもんだから、俺のことも知ってんだろ。残念だが俺はあっちじゃ有名人だからな』
「それでお義母さんに、知り合いかって訊かれたとき、ああいう反応だったのね。まったく」
 ミーハーな学生が少ないとはいえ、妊婦を連れた若い外国人というのは程々に目立つ。何人目かの学生を視線だけで追い払うこと、数十分で講義が始まった。
 講師だという長身の男が演台に立っただけで、いくつかの溜め息が各所から漏れた。
「リューカと同じ性質だわ。長身で、美形で。でもステージに立っているから手が届かない恋泥棒」
 その溜め息を聞いたルナがなかなかなコメントを小声で吐いた。まあ、確かにそうかもしれない。
 波打つ黒髪にやや浅黒い肌。彫りが深く、すっと通った鼻梁は中東の血を思わせる。目は青みがかった、他ではあまり見ない色だ。壇上からここまで距離があるのに、はっきりそう見える。確かに顔立ちはリューカと同じ系統をしているが、そっちより肩幅や胸板はがっしりしている。まあ、リューカがひ弱という話ではないんだが。むしろ、立ち振る舞いからして油断ならないヤツだろう。二匹とも。
 ――ふむ。
 共通項としては森の生き物に好かれる質らしい。講堂の高い窓からいきなり聞こえてきたホオジロの声を聞きながら思う。口を開いてソイツが初めて声を発したとき、軽く眩暈がした。外でホオジロたちが盛り上がっている。ああ、なるほど、なるほど。
 ――聞こえてる範囲も広ければ、聞かせる音域も広いのかよ。
 これは若干、油断した。最近は竜宮に合わせてチューニングを繰り返していたから、素直に〝声〟を〝声〟と捉えるのを忘れていた。
「大丈夫?」
「今、調節した」
 馴れたものでルナがこっそりと水筒を渡してくる。中のハーブティーを一口飲んでから返す。基本的に講堂というものは飲食禁止だが、まあ、長時間の講義内に水分を補給するくらいは普通だろう。
 ようやく俺にも重厚なテノールが奏でる講義内容が聞こえてくる。なるほどね。そりゃいくつもの大学でポストが用意されるわけだ。内容もそうだが〝聞かせる力〟が半端ではない。この講義の人気も頷ける。
 エマルとはユーフラテス川中流に存在したと言われる都市国家だ。現在は考古学の学者たちが出土される粘土板を奪い合い、読み解き、激論を戦わせている。青銅器時代の都市遺跡にも関わらず、民間内での裁判、不動産、婚姻、養子縁組に至るまで、制度の整った町だった。信仰されていたのはユーフラテスの水神だった。高台に二つの神殿と宮殿があったと言われている。どことなく、どこかの神社の様相に似ていなくもない。
 そんな文明が崩壊したのは、異民族が都市を蹂躙し文明が崩壊したからだ。そのまま荒れ果てた地は古代ローマ帝国の領地として封じられる結果となった。何でもかんでも結び付けて考えるのはよろしくないが、ご大層な話ばかり聞いていると様々な意図やら背景やら可能性を考えざるを得なくなる。
「さて、このように財産に纏わる裁判の制度が整えられたエマルだが、そこには当然、該当する処罰があり――」
 大半の学生と研究者が静かに耳を傾けていた講義だが、ふいに手が挙がった。レジュメには質疑応答の時間が設けられていたが、それを無視した挙手だ。マナーとしては外れている。目つきが悪く、スーツの胸元にデカデカと来賓札と手製の名札を掲げた男だった。口元がにやけている。面倒そうな男だ。
 ゼミ生と思しき若いスタッフが慌ててワイヤレスマイクを片手に駆けていく。マイクを渡された男は唾を飛ばしながら耳障りな声を上げた。
「今の処罰例であるが、他の粘土板には他の凡例も書かれており――」
 何かと思えば聞くに堪えないいちゃもんだった。他の凡例なんて、そりゃ700点以上の粘土板が出土されていればあるに決まっている。それを壇上の男が知らないわけがない。ウルマスという男はあくまで諸説の中から取っ付きやすい一例を選んで口にしただけだ。
 では、何がやりたいかと言えば、まあ、足を引っ張りたいんだろう。困ったことに大勢の前で相手に恥をかかせたいと目を光らせている傍迷惑な権力者は、いつでもどこにでも湧いてくる。
 ただ、この男はまったく以て空気を読めていない。講義を中断し長々と自説をごり押ししているだけだ。講義の乗っ取りでもしたいのか。熱が入って周囲の白い目に気づいていないと見える。
 壇上のウルマスはやたらに穏やかに微笑んでいる。このままヤツが言論と反証で叩きのめす様を見ていてもいいのだが。
「……」
 早く続きを聞きたいらしい、うちの魔女が憂いの溜め息を吐いたので仕方がない。非常に残念なことに〝アイツは盤外で俺に喧嘩を売った〟。
『ルーズリーフを一枚、寄こせ』
「え? うん」
 胸元から引き抜いたペンを白紙に走らせる。数行を埋め、二つ折りにし、青い顔でタイムキーパーを務めていた学生を呼び止める。
「おい」
「は、はいっ」
「コイツをあの教授さんに渡せ」
 俺の容姿か、それとも日本語か。どっちに動揺したのかは知らないが、学生は狼狽えながらも言う通りに紙切れを片手にヒートアップしている男のもとに向かった。
「ですからね、その理論は検討不足で……」
 上機嫌によくよく舌を回していた男が、近寄ってきた学生を見た途端に口の端を歪めた。咎められると思ったのかもしれない。学生が差し出した紙切れを受け取り、開き。その顔がざっと青褪めた。
「と、ともかく、私が言いたいのはもっと視野を広く持った講義を望むと……そう、願っている、だけです」
 青褪めたついでに冷えた脂汗を掻いた男は、学生にマイクを返した。油の切れた機械のようなぎこちなさで席に座った。周囲の受講生が疑問符を浮かべる中、壇上の男は苦笑ひとつで場を収めてみせた。
「ええ。今、話があったように処罰の内容にも諸説があり――」
 合間に寄こされた目配せは知らないフリを通した。そうして多少のトラブルさえもスパイスにしてウルマスという男の講演は成功を収めたようだった。


「あの用紙、一体、何を書いたの?」
 講義が終了し、興奮気味の学生たちも掃けた頃。講義内容にいたく満足したルナの質問にあれこれと答えていると、思い出したかのように尋ねられた。結局、あの男は講義が終わるなり、再び質疑応答で弾けるわけでもなく、そそくさと講堂を後にしていた。あれ以降、終始、顔色は青いまま。
『ああ、アレか』
 隠すようなものでもない。それほど大したものでもなかった。
『別に。ただあの自己顕示欲が強そうな学者さんの出資者とスポンサーを一覧にして渡しただけだぜ?』
「……それだけ? 本当に?」
『まあ、最後に閉じた口ならハエは入らなかったろうに(In bocca chiusa non entran mosche)。とは書いたがな』
「何か後ろ暗いところでもあったのかしら?」
『さあてねぇ』
 真意を掴み切れていない顔で首を傾げる。コイツは元来、真っ当な人間だからな。無理もない。
『ああいう手合いはプライドが高い割に小心者で完璧主義、おまけに想像力が豊かなヤツが多くてな。そういうヤツは、初手で鼻っ柱を折ってやるのが一番いい』
「鼻っ柱を折る?」
『これは捜査官や検察官が使うテなんだが、お前のことは何でも知ってるぞ、っていう態度を取ってそう思い込ませるのさ。そうすると相手は勝手にどこからどこまで情報が漏れたのか不安に陥る。今頃、あの学者先生は自分の研究室でありもしねぇ盗聴器を必死に探してるかもな』
「……イヤな先生だったけど、爪の先くらいは可哀想に思えてきたわ」
 心外な。これでも俺だって鬼じゃない。
『きちんとお行儀よく質疑の時間でケンカを吹っ掛けりゃ、俺だって見逃したさ。ただ、あの学者先生は盤外で仕掛ける気なら、盤外で仕留め返される可能性を学んでおくべきだったな』
「いや、まったく、その通りだね」
 スモーキーな甘い美声が俺の声を継いだ。ルナがぱちくりと目を瞬かせている。誰何するまでもない。何しろその声は、ほんの数十分前まで講堂内に響いていた声だったからだ。
 視線を上げる。深い青色をした瞳と目が合った。
「初めまして。ようやく君と面と向かって話ができるな。かなり楽しみにしていたんだ、西洋の妖精王」
 黒い長髪のエキゾチックな美丈夫――ウルマスが、目の前に立って俺を見下ろしていた。
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