2009/11/03first
09/25
2024
※村主が西洋のファミリーで何を為していたか。
※一部、胸糞な内容を含みます。
※一部、胸糞な内容を含みます。
学生が出払った研究室内に紅茶の香りが満ちている。
「瑠那ちゃんはルイボスティーでええんかな? 牛乳も買うてあるからそっちでもええよ?」
「ええと。じゃあ、ルイボスティーで」
そう、にこやかに笑顔を浮かべるリューカが突っ立っている高山へ視線を遣る。ポットの脇でシフォンケーキを切り分けながら、ティーセットを用意しているヤツの手元は非常に忙しい。至極、わかりやすい力関係である。
「望、私は薄茶がいいな」
「私はコーヒーにするかな」
「はい、はい」
ウルマスと唐牛教授からバラバラな注文が飛ぶ。高山は文句を言うでもなく粛々と手を動かしている。下宿先でも勤め先でも苦労性は変わらないらしい。
「甘さを抑えたレモンのシフォンケーキを取り寄せていてね。これなら妊婦でもティータイムを楽しめる」
「わざわざありがとうございます、カロ先生。気を遣わせてしまって……」
「とんでもない。君は葵くんの娘だし、今はお客さんなんだから当たり前だろう」
唐牛教授は人好きのする好々爺だが、見た目よりエネルギッシュな御仁らしい。研究室内を飾っているタペストリーやカップ、細工物に文具に至るまで、欧米から中東、日本の辺境にありそうな代物で埋まっている。こういっちゃ何だが、研究室というよりどこかの雑多な古美術商の住処のようだ。
「さっきは助かったよ。彼の顔を潰さずに対処するにはどうしようか悩んでいたんだ」
「あんただったら、正論で叩きのめすこともできただろう。礼を言われるようなことじゃない。別にあんたを助けようとしたことでもない」
「まあ、それはそうかもしれないが、彼だって一応は真っ当な研究者だからね。潰れてしまうのは惜しい。ただ、大口の出資者が離れて私のもとに来てしまったから逆恨みされてしまったんだ」
正直、困ったよ。などと、ちいとも困っていない顔で黒毛の犬が笑っている。ウルマスの隣に腰掛けた好々爺が小さく肩を竦めた。
「佐伯さん、と言ったね。私は唐牛。一応、この研究室の室長だ。今日は急にすまなかったね。こちらのウルマスがどうしてもと聞かないものだから」
「何を言っているんだ、唐牛。これでも私は口惜しくて仕方がないんだ」
何がなんだって? 届いた薄茶を一口含み、よくわからないことを口にする。
「私はね。この十数年、自分のクランに彼を招きたくてしょうがなかったんだ。虎視眈々とチャンスを待っていたというのに、実にさっくりと住吉に取られてしまった。君たちに味方が増えたことは喜ばしいが、口惜しくてたまらない」
「俺はチェス盤の駒じゃねぇぞ、学者先生」
「それだけ君の存在が魅力的ということだよ。是非、誇ってくれ」
「ま、否定はしない」
俺のことを知っていて、ある程度の財力や権力を持っている人間なら、誰だって俺のことを欲しがるだろう。それが善意か悪意かはさて置いてだ。懐柔しようとしてきた連中はここ10年余り、絶えたことがない。理由は様々だが、一番は手元に置いておけば〝敵に回すことはないから〟というのがデカいだろう。
もっとも、そう考えて俺を取り込もうとしたヤツは馬鹿だ。内側から食い破られる危険性をまるで考えていない。敵とせず立ち回り、適度に恩を売りながら、俺の太客になっている怜吏はそのあたりの判断が非常に上手い。
「十数年……」
ケーキ皿を配り終えた高山が唖然としてウルマスの言葉を復唱した。
「彼は人間だよ、望。普通の寿命を持っている。十数年前は実に可愛らしい少年だったさ」
俺をウルマスやリューカと同類だと勘違いしかけたヤツの思考をウルマスが正す。やれやれ。訊きたくないが訊かざるを得ないんだろう。自身の研究室だというのに、この場に義母がいないのが合図のひとつだ。
聞かせられないような話をここでしたい。つまりはそういうことだ。甘味に飛びつかずに不安げに俺を見上げてくるルナの頭を一撫でしてから、対峙し直した。
「で、結局のところ、あんたは俺をどこから知ってる」
「君がスラムで幼い妹を養っていた頃から。いつ横から搔っ攫おうか考えていた。その前にサルバドルと君の兄に取られてしまったがね」
「ほとんど最初からじゃねぇか」
高山が自分のマグカップを取り落としそうになって派手な音を立てている。ウルマスの横の唐牛教授は驚いてはいるものの、動揺はコーヒーと共に呑み下したようだ。これが歳の差ってヤツだろう。
正直、有難い。俺の生い立ちは世間では割と凄惨に見えるようで、度々、必要以上の同情を買う。実際のところ、俺は俺自身をそれほど不幸だとは思っちゃいない。
確かに親がクズだったせいで苦労はした。が、俺がスラムを彷徨わなければ間違いなく妹は死んでいただろうし、兄はくそったれな世の中に搾取されていただろう。スオミに救われる命はもっと少なかった。レンは理不尽な役割に殉じたまま寂しく死んでいった。そういった自負がある。
「出来ることなら、今からでも私の研究室にポストを用意したいところなんだが」
「却下」
「だろうね」
「悪ぃな。こっちにもいろいろあってね」
別にウルマスが気に食わないわけでも、研究職を嫌っているわけでもない。単純に、俺は何かとフリーでいた方が方々に都合がいいのだ。怜吏のように下手な家柄や役職に縛られてしまえば、どうしてもフットワーク面に不自由ができる。
「ただ、フリーで案件ごとに雇いたいというのなら一考しなくもない。無論、お代は頂くがね」
「うん。それで満足しておこう。では、早速なんだが、ひとつ訊きたいことがあってね」
「検討はつく。先に答えてやるよ。コレに代金はツケねぇ。関わった年月はあんたの方が上だろうからな」
不在の義母。研究室だというのにひとりもいない学生。すぐに帰らないようにと釘を刺してきたリューカ。おまけにルナもろとも呼ばれた事実が、ウルマスが何を知りたがっているかを指している。
「〝ロサリアの恒久時計〟を破壊したのは俺だ」
緊張気味にルイボスティーを啜っていたルナの手が止まった。カップを置いて睫毛を伏せる。
「ロサリアって……ヨーロッパのカルト話の?」
「まあ、カルトいうたらカルトですわなぁ」
どうにか立ち直ったらしい高山の呟きを、やや苦い顔をしたリューカが拾い上げた。
ロサリアの恒久時計。ヨーロッパの歴史やカルトを少し齧った者なら誰もが耳にしたことがある御伽噺のひとつだ。陰謀染みたホラー話の鉄板でもある。
話としては夢見がちで荒唐無稽な話。曰く、ここ1000年余りの西洋の人類史はひとりの聖女が遺した数多の預言に従っているのだという。
その昔、とある納骨堂からひとりの修道女の遺品が見つかった。その遺品には有史以来の膨大な史実が記されており、その記載は未来にまで及んだ。その遺品は手にした者が望めば、枝分かれする未来を預言として見られると謳われている。時の権力者はその遺品を奪い合い、よりよき未来を選び取り、争いと平和を繰り返してきた。すべては遺品の預言に従って。
預言によって地位や富を得た者、救われた者、破滅した者、縋り依存した者。様々だ。預言の聖女の遺した膨大な未来を描いた遺品は、常にヨーロッパ史を支配してきたと言っていい。
遺品がなければ、今のキリスト教が権威を持つことはなく、大航海時代は訪れず、産業革命は起きなかった。そんなことまで囁かれている。あちらの〝そういった関係者〟には知れた話。
その納骨堂に収められていた死者の名がロサリアと言ったらしい。いつしかその遺品は〝ロサリアの恒久時計〟と呼ばれ、大人たちからはカルト宗教の一部として、ガキ共からはノストラダムスの大預言のように噂として広まった。
「確かにカルトな話なんやけど、望はんも住吉に出入りしとるなら知っとるでしょう? 御伽噺だって火のないところに煙は立たんのですわ」
リューカの語り草に高山がごくりと青い顔で唾を呑み込む。その通り。脚色や美化はされていても、そこには目を逸らせない真実が隠れているのが世の中だ。それも大概、悪い方向の。
「過去、私がヨーロッパに住みにくくなって逃れてきたときも〝ロサリアの恒久時計〟は無関係ではなくてね。アレがなければキリスト教徒だってあんなに効率よく神秘の森を開拓できたはずがない。私たちのような森を守る者が後手に回り、何度も煮え湯を飲まされた」
「しかし、その時計とは、よりよき未来を見せるものではなかったかね? いや、まさか時の為政者たちが奪い合ったということは」
「察しがよくて助かる。ロサリアが見せるのは平和的で善性に満ちた夢想じゃない。そのときの為政者が勝手に〝自分にとってよりよき未来〟を見るのさ。そして、為政者にとってのよき未来というのは自国の繁栄と領土の拡大と相場が決まっている」
「……それは、なんとも。一言で言ってはいけないだろうが、皮肉なことだ」
「もうひとつ、皮肉なことに文明が発達する手段として効率的なのは軍備施設の開発だ。腕時計、保存食、点字、ドローン、GPS。どいつもこいつも戦争がなければこれほど発展することはなかった」
亀裂の向こうに人が消える事象が住吉の、日本の抱える闇であるなら、ロサリアの見せる夢の側面はヨーロッパの抱える闇だった。
発展ばかりを列挙する光の歴史の裏側では、常に戦で血が流れていたと言える。
確かに、アレがなければ宗教革命も、大航海時代も、産業革命もなかっただろう。だが、同時に十字軍遠征も、公開処刑の常習化も、凄惨なホロコーストもなかったのではないかと言える。恩恵と犠牲は常々裏表だ。それを理解していなかった凡愚の為政者は罪深く、けして少なくない。
「だからここ1000年のヨーロッパは常に二分化されていたんだよ。預言を生み出すロサリアを破壊するべきという人道派と、尚も文明と進化を求め〝恒久〟的に利用しようという革新派。……まあ、そもそも〝ロサリアの恒久時計〟というものが、その実〝何だったのか〟を知る人間は少ないがね」
「……」
ルナが目を伏せたまま、服の胸元を握り込む。唇が白い。気遣ったリューカが2杯目のルイボスティーを淹れ始めた。
「かく言う私も推測は重ねたが、この目で見ることはついに叶わなかったんだ。古くから人道派だった私は文明を求める彼らからは嫌われてしまってね。私が本腰を入れて調べられたのはかなり近年になってからだった」
「そりゃそうだろ。昔であればあるほど、ロサリアの預言に浮き立った連中は多かった。それこそ、ここ100年余りまで人道派は息を潜めなきゃ生きていけない程度には馬鹿共に溢れていた」
「ああ。あんなものが壊れたことは喜ばしいことだ。預言を全否定する気はないが、ヨーロッパはひとつの大預言に左右され過ぎた。だが、疑問は残る。私が訊きたいのは〝ロサリアの恒久時計〟とは、一体、何だったのかということなんだ。破壊した本人である君は、当然、それを知ったはずだからね」
袖を引っ張られる感覚に視線を下げる。震えた指先で袖を掴むルナと目が合った。不安を通り越して泣きそうに表情が歪んでいるのがいただけない。別段、これは悲しい物語ではないのだ。そういうふうに、裁定を下したのは俺たちだ。
相手が相手なら、話す必要もない話。ただ、古くから人道派を貫いてきたこの黒毛と白毛の犬には、払って然るべき敬意があるだろう。結末と真実を知るに値する敬意が。
栗色の髪を梳いてやると、幾分か落ち着いたらしい。俺自身も茶で舌を湿らせてから言葉を選ぶ。
「……アレは預言を生み出すアーティファクトなんかじゃない。未来を予測する演算機だ」
「演算機だって?」
「その時代、その国の勢力図、その風潮。すべての有史を記憶し、その場に揃った情報から、いくつもの選択肢とその結果を提示できる〝史実を作るための〟演算機。為政者たちはその演算が吐き出す選択肢から身勝手に都合がいい道を選び取り、利用していた。アレは預言じゃない。演算だ」
おそらく、大昔の為政者にとって預言という言葉がもっとも耳触りが良かったのだろう。さも確定された、祝福されたよりよき未来を彷彿とさせる。
こうして並べてみると毛色や実態は違うが、義姉の言っていた〝失われた星〟の醜悪さに通じるものがある。そういう打算的な非人道さは、地球人も異星人も変わりないのだろう。まったく、地球人とていろいろと終わっている。
「しかし〝ロサリアの恒久時計〟が発見されたのは1000年も昔なんだろう? そんな時代にそんなものが存在したのかね?」
「存在したんだよ。相当に胸糞悪い手段ではあるがな」
唐牛教授がもっともな疑問を口にした。本当に胸糞悪い話だ。ウルマスは自身も推測を重ねた、と言った。ということは、その正体の考察はかなり近いところまで進んでいたはずだ。この場から義母を遠ざけたのは、正しい判断だった。
「遺品だの、預言だの、小綺麗な言葉に隠ぺいされているがな。アレは1000年間、強制的に生かされ続けたひとりの人間だ」
「……なんだって?」
「人間が恒久的な処置を施され、歴史を演算し続けていた、いや、せざるを得なかった時代の犠牲者。それが〝恒久時計〟の実態だよ」
ウルマスが深く重たい溜め息を吐き出す。リューカが痛ましい顔をして胸に手を置き、顔を伏せる。この二匹には予測が出来ていたのだろう。唐牛教授は口の中でまさか、いやしかし、と言葉を転がしている。
高山の顔色は青い。青を通り越して白くなりかけている。そうなるだろうな。要は1000年、役目を下りることを許されなかった人柱。生贄だ。いくら言葉で誤魔化したとしても実情の醜さが薄れるわけじゃない。
「ひとりの人間が……時代の未来を演算し続けた? そんなこと」
「そんなことが可能なのか立証する材料はもうない。俺が研究所ごと直々に壊したからな。だが、根拠はある」
関係する研究所も、その実態を知る人間も。記録も、記憶も。すべてを塵にした。そうしなければ、また同じようなことを思いつく馬鹿が生まれかねない。何故なら。
「もしも、俺が1000年、生き続けたのなら同じようなことができる。だからアレはおそらく〝そういったもの〟だったんだろうよ」
アレは不運な星のもとに生まれてしまった、もう一人の俺の姿に等しい誰かだった。
「……十分だ。悪かったね。胎教に悪い話を聞き出してしまった」
「問題ない。もう終わった話だ」
そう。これはもう終わった話。遺すものでもない、それこそ歴史の闇に葬るべき話だ。
「お代は要らないと言われたが、この件を追究しようとする輩が現れないか、私も目を光らせておくとしよう。それくらいは関わらせてくれても構わないだろう?」
「俺が判断することじゃねぇが。まあ、あっちにいる長兄の仕事が少しは減るな」
ウルマスがぱん、と拍手を鳴らす。暗い話はここまで、とでも言うように、ところで、と言葉を続ける。
「私が〝ロサリア〟と口にする度にその子が不機嫌になるようだが、何か理由があるのかね?」
ルナの膨らんだ腹を見ながらそんなことを言う。やれやれ。そこまでわかるものか。義母は俺に何でもお見通し、と言ったが、本当にお見通し……いや、識(し)っているのはこの黒毛の犬の方じゃないのかね。
「〝ロサリアという少女の遺品〟として発見されただけで、実際、名前に関しては人違いだったらしくな。大昔の納骨堂の管理体制が雑だったのか何なのか。〝ロサリア〟なんて名前じゃなかったらしい。おそらく、どっかの聖女さまか女王さまかが箔をつけたいがために塗り替えたか。もしくは1000年の間に混同されたんだろう」
「なるほど。確かに1000年間も自分の名前を間違えられ続けるというのは心外だな。大変失礼した」
許してくれるかい、ミス。と気取った口調でルナへ、正しくはルナの腹の裡へ問いかける。ふるりと大気が揺れてさざめく炎の蝶がウルマスの鼻先に停まった。
俺にその声は聞こえないが、色よい返事だったのだろう。ヤツが初めて柔らかく微笑んだ。
「ふふ。なるほど、なるほど。どうやら父親に新しい名前をつけてもらうのが、一番の楽しみのようだよ?」
陽気な明るい口調で、目下、俺が頭を悩ませている難題を露わにしてくれる。まだ生まれてもいないのに、どこまでも手がかかる娘だ。白状するなら、西洋の恒久時計やら、東洋の神社由来の竜宮城やら、そんなものより余程、頭を使う難問である。
「正直なところ、まったくの分野外だ。これ以上、頭を回す機会もそうそうねぇだろうな」
「君にそこまで言わせるとは、将来有望な悪女になりそうだな」
ようやくルナの顔色が戻って腹を撫でながらくすくすと笑う。俺が国籍を移行して強請られた問題だが、どうにも解くのが難しい。そうしてこの鬼嫁はそんな俺の反応を逐一、楽しんでいる。してやってくれる。
「大変そうだが、次代の住吉の巫女は頼もしい従姉妹を得られるようだね。いや、でもどうなのかな。そういう事情なら今度こそ普通の女の子のように過ごせればいいんだが」
早々にいろいろと呑み込むことにしたらしい唐牛教授が言う。さすがに人として歳を重ねているだけのことはある。人の道に沿った真っ当な意見だ。
「平気だろ」
高山はというと、まだ吞み込むのに時間を要しているらしい。顔色は戻ったが頭の中でぐるぐる考えすぎてそろそろオーバーヒートでも起こしそうな形相をしている。だが、見て見ぬフリをしているあたり、この研究室も大概、スパルタ、失礼、放任主義だ。
まあ、大いに悩め。あの義母の伴侶になりたいなら、いろいろと胆力は必要だ。
「腹の中にいるうちからこれだけ好き勝手してるんだ。生まれてからもそりゃ好き勝手するだろうよ。せっかく本人が世の中を儚んでいるわけでも、自分を憐れんでいるわけでもねぇんだ。ひっくるめて好きにするといいさ」
「ですなぁ。あのお家なら、ちょいと特殊なだけでベビーシッターにも困らへんし」
「あんまり頼り過ぎたくはなんだけど……」
「無理やって、瑠那ちゃん。諦め。紫ちゃんもすっかり可愛がる気ぃやし、わいも楽しみやしなぁ」
「うう……」
すっかり緊張を解いた瑠那がリューカと通常運転な会話を繰り広げる。コイツはコイツで一人前の母親を目指しているから、若干の葛藤があるらしい。何とも平和的で贅沢な悩みだ。
薄茶のカップを置いたウルマスが、大仰な溜め息を吐く。ついそちらに目を遣ると、何やら複雑そうに端整な顔を歪めている美丈夫がいた。
「何か?」
「いや、改めて君を横から搔っ攫わなかった過去の自分が口惜しくてね。本気で惜しいな。桜にしてやられた気分だ」
「あんた、意外に根に持つな」
「そうでもないつもりなんだがね。君が規格外なんだ。君が私のクランにいたら、私の研究がどれほど捗ったか。どうにもならなかったことを、どうにかできたんじゃないか。つい、考えてしまうんだよ」
言葉とは裏腹に声色は朗らかだ。半分くらいは冗談なんだろう。もう半分は知らないが。
「予定日は早春だったかな」
「はい。来年の2月の予定です」
「では、今からスケジュールを調整しないとな。祝いの品を持ってくるから、私にも抱かせてくれないか?」
「それはもちろん。誰かみたいに、接する人を選り好みするようになったら困りますから」
「お前、本当に口が減らなくなったな」
「そりゃあもう。誰かさんのおかげでね」
ようやくいつもの調子を取り戻したルナがにんまりと笑みを浮かべる。満足げに笑ったウルマスが、機嫌よく言った。
「さて、もっと楽しい話をしたいな。贔屓にしているイタリア料理の店があるんだが、どうだい? たまには郷里の味も恋しいだろう?」
「構わんが俺は育ちが悪いんでね。何を食っても大した感想は出て来ねーぞ」
「いいさ、それでも。要は私が君たちと楽しく食事をしたいだけだからね」
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