2009/11/03first
09/18
2024
※竜宮探査をする村主(ただし地上から)の話。こんな感じのことはしそうな。
※鏡ちゃんとお話するだけ
※鏡ちゃんとお話するだけ
表層を割り、ゆっくりとゆっくりと沈んでいく。浅瀬は問題ない。一度目の声を放ってみるが、響くこともなくただの波音となって拡張していくだけ。応えるものもなく、返ることもない。異常なことはない。
幸いなことに俺の声はこの領域に何かを齎すことはないらしい。何かがない限り、打っても響かない異音。実に都合が良い。
――もっと深く。
息苦しさを覚える。なるほど。さながら海底に潜っているかのようだ。潜るほど圧がかかる。海の底と空の上。酸素がないのは同じこと。ここで呼吸ができるのは、確かに特異だと言える。そういった技術なのか、それともそういうふうに進化を遂げたのか。
もう一度、声を発する。同じように波音が拡がる。ここは表層とも浅瀬とも違う。拡がる波音を打ち返すものがある。だが、それは生物が発するものではない。地形そのものに当たり、跳ね返ってくる。その速度で何があるのか、どんな形をしているのか、情報として返ってくる。ここは浅瀬とは違う。平地がある。崖がある。谷がある。そしてその谷の奥地に建造物がある。高い塔のような。
――いや。
アレは本当に〝谷〟と〝塔〟か?
断崖。亀裂。時空。差異。あの断崖がもし、プレートに齎された亀裂だというのなら、まるで〝塔〟のようにも感じられるそれは塔ではなく、亀裂の合間に突き刺さった――。
――ぐ、ぅ……っ!
急激に人間らしい痛覚が戻ってきて、一気に意識が浮上した。
「……っが、はぁっ、は」
肺に空気が入り、荒く息を吐き出す。無意識下で数秒、呼吸を止めていたらしい。そんな意識下でもしっかり防衛本能は仕事をするのだから、俺もまだしっかり人間である。短時間だが低酸素でトレーニングしていたようなものだ。負荷をかけられた身体が反応して咳き込んでしまう。
『これ、無理をするんじゃない』
蛍火のような金色の粒が降る。火に燃える生命の匂いがする。薄絹のヴェールのような、光の帯のような、そんなものが赤色を帯びて宙を漂った。赤みを帯びた色として俺の視覚に届くだけで、それは一定した色をしていない。秒単位でくるくると色が翻っている。朱色かと思えば、朱鷺色に、赤茶に、朱金に、橙に。一様に言えるのはどれも〝赤〟が混じった色だというくらいだ。
そんなヴェールのような光芒を纏った頭部では、流動的に形を変える水銀が髪の長い人型のようなシルエットを作っている。あくまで人型のような。流動的なのでときどき角があるように見えたり、タテガミのように広がったり、稀に翼が生えているようにもなる。
精霊の名前はメノウというらしい。まあ、他にも名称はごまんとあるらしいが、永らく生きている人外には然程、珍しいことでもない。推測するに、それらはすべてこの精霊が〝そのように〟見られてきた記録であり記憶なんだろう。
そのようなモノが金色の燐光を放って俺の周りを漂っている。ふらふらと椅子から離れた朱色の精霊が拝殿内のティーセットに近づく。ふわりと風に煽られたようにカップが踊り、勝手にコーヒーメーカーが作動してエスプレッソが注がれる。傍目からすればまるきりポルターガイストのような光景だ。
『そら。日本のコーヒーも捨てたもんじゃないぞ。瑠那がいないうちに一杯くらいいいだろう』
やがて注がれたコーヒーが俺の前に置かれる。その勧めてくる声も純粋に耳から聞こえる声ではない。空気の震えを耳と肌で感じ取ったものを脳内で組み上げたものだ。声帯から発せられたものでない声をそうして拾い上げている。
俺は眉間を揉みながら卓上のシュガーポットを引き寄せた。
『だが、まさか眠って降りるのではなく、地上からレーダーとして竜宮を探索するとはなぁ』
「そうか? 未踏の領域で人捜し、あるいは物探しをする上では基礎的な発想だと思うがな」
海底だろうが宇宙間だろうが、探査をする際にいきなり人を放り込んだりはしない。レーダーなら電波や超音波、レーザーなら光で。物標までの距離や方位を図る。
「空間に本来発生しない超音波や光を発生させ、その反射で物事を捉える。基礎的で原始的だが合理ではある。そして竜宮が異星人の構築した空間内ということは、地球人が発する声そのものが〝本来は発生しない異物〟になる。これほど都合がいいこたぁねぇ」
『だからといって、己がレーダーになって竜宮の全景を把握するなど。無茶もいいところじゃないか?』
「そう無茶でもねぇよ。急ぎで全景が見られるとは思ってねぇし。それに、そう闇雲な足掻きってわけでもねぇことが解ったしな」
『ほう』
精霊の波打つ頭が寄せられる。俺に表情が視えていたら興味深げにしているんだろう。同じような異星人の黒い方や青銅の方なら、まだ薄っすらとわかるんだが。
ルナにはこの精霊が絢爛豪華な朱金の衣裳を纏った神秘的な美女に見えるらしい。アイツは俺と違って経験と伝聞による脳での情報保管が上手い。俺はというと下手なものに干渉されない分、自分特有の視界でしか生きられない目をしている。〝想像の余地〟というものを自分から捨てに行っている、とでも言えばいいか。
後悔も羨望もないが、やりにくいと感じる場合もあるにはある。やはり俺の視界と純粋な霊的事象は相性が悪い。
「竜宮が本当に偶発的に出来ちまった亀裂やら異空間だったら、正直、俺でも手に余る。だが、コイツはそうじゃない。故障して主が眠っているとはいえ、人為的に張られた結界なら探る価値がある」
『ふむ? というと?』
「そこに何らかの規則性があるってことだ。不定形の穴倉じゃねぇ。何かしらの図式、あるいは図形に則って構築されているはずだ。だとしたら、ある程度は測量と地図の作成が可能になる。……まあ、今んとこは浅瀬を見渡すので手いっぱいだがな」
四方八方、ただの宙が広がっているだけならお手上げだ。ブラックホールの位置も惑星の並びも知らずに、身体ひとつで宇宙空間に放り出されたら途方に暮れるしかないが、そうではない。そこに多少なりとも意図や意識が介在している限り、どこかに限界という名前の果てがある。それが今の地球よりもはるかに高度な文明が齎したものであってもだ。
精霊のヴェールが明滅してぐにゃりと頭部がひん曲がる。
『それは本当なのか? 大地のプレート自体はあれだけ複雑な形をしているのに。竜宮とて果ても底もないかもしれない』
「いいや。俺はそっちの可能性は低いと思ってる」
『……何か理由があるのだな?』
「そりゃあ、もちろん。簡単なことだ。事の発端を知っていたタカシとかいう天狗が、桔梗紋なんて定型を使っていたからな」
『鷹史が理由?』
聞くにタカシという天狗はこの社の姫を支えるために、ここを中点として桔梗の紋を張ったという。その思考を手繰れば、その異星人はこう思ったはずだ。桔梗紋を見て〝コイツは使える〟と。なら、そこにひとつの答えがある。
「桔梗紋は実に収まりがいい形をしている。五角形、あるいは五芒星に重ねられるくらいにな。それはつまり、その壊れた星にも図式、図形、結界の定型、あるいは紋様、そういう概念が存在した何よりの証拠だ。当然、竜宮とリンクしているミギワってヤツの頭ん中にも知識と定石があったと考えていい」
底に角砂糖が溜まったエスプレッソを啜る。ほんの少し頭痛が和らいだ。
「ミギワが結界を張ったときは緊急事態だった。当然、その場、その事態に適した結界の図式か図形を使っただろうよ。そうなれば必然、竜宮はその容をしている。……ま、年数をかけてズレているからこんなことになってんだろーが」
ズレる歪むという言葉自体、〝元の形〟が存在しない限りは生まれない。だから形の概念は存在しているはずなのだ。それがどういった形をしているのか、誰も把握しきれていないというだけで。
「もちろん、その図式が現代の地球に現存しているかは知らん。文明の度合いも方向性も違うからな。だが、何の法則性もないだだっ広い草っぱらの地図を描け、と言われるより気が楽ってもんだ。潜水にリミットがある分、数年単位の仕事にはなるが」
舌に溶け残った砂糖がざらりと流れ込む。焼けつくほど甘い。ティースプーンを拾ってざらざらしたコーヒーの香りの砂糖を掬い、口に運ぶ。
「まあ、その間に問題が解決すれば儲けもんだ。それに全景は不明だとしてもソナーが降ろせる状態なら、帰って来られる行方不明者の探査は格段に楽になる。探査のテスト機が俺という人体で換えが利かねぇ、ってのが多少、不便で非生産的ではあるな」
『他に出来る人材はいないのか?』
「心当たりはあるが駄目だ。あっちに親和性が高すぎると、それこそ落っこちる」
おそらくだが俺の長兄なら可能だ。理論を理解し同じような作業ができる人材と言えばアイツか、まあ、ずっと助手を努めていたルナにも可能といえば可能だろう。だが、前者は親和性が高すぎる。アイツの声が何かの引き金になるとも限らない。後者はそもそも俺にやらせる気がない。
もう一人。ルナと同じ体質だという高山にも可能かもしれないが却下だ。何故なら、この話を持ちかけるなら、竜宮を介して去ったシンという男の話をしなくてはならない。無論、タカシという天狗の話もだ。せっかく高山もルナの義母も見当違いの場所を探しているのに、それではいろいろと台無しだ。
「ま、気長にやるさ。このテのもんは一朝一夕で片付くようなもんでもない。千年単位で硬直し続けた事象を短期でどうにかしようとする方が間違ってんだ」
『ふむ。それはそうだな。まずは、お前が来て前進したことを喜ぶべきだった』
濃い桜色のヴェールが広がり、精霊は柔らかな椅子の上でぐんにゃりと伸びた。随分と力を抜いて寛いでいるようだ。まあ、それもそうか。この摂社はこの精霊を祀るために建てられたものだ。人間で言えば自宅で寝転がっている感覚に近いんだろう。
『しかし、いつも思うがお前は清々しいほど迷いがないな。オレたちも心配のし甲斐がない』
「はあ? なんだそりゃ」
『お前くらいの年頃の男はもっと幼稚だぞ? 麒治郎を見てみろ。背伸びも張り合いもしているだろ? 望なんかもっと大人げない。巻き込んでおいて何だが、もっと不服で不本意だと怒っていいと思うがな』
「そういうのはガキの頃に済ませてきた」
それは事実だ。この世の不条理と理不尽を俺に教えたのは皮肉にも顔も名前も覚えていないクソでクズな生みの親だ。生まれてからほぼすべてのことを覚えている俺だが、親のことだけは俺を捨てた理由を除いて抜け落ちている。幼心に〝不要〟と判断して切り捨てたんだろう。
俺を生んだ親が俺をスラムに捨てた理由は至極、単純。自分たちと違っていて不気味だったから、だ。身勝手でどうしようもないクズだ。時代が時代なら赤ん坊の頃に殺していたに違いない。人類史が浸透させてきた殺人に対する倫理が俺の命だけは守ってくれたと言える。もっとも命だけだが。
「確かに、この家の事情は俺からしたら他人事だな。そもそも俺がどうにかする義務はねぇ。正しく部外者だ。面倒事を面倒だと思ってんのには変わりねぇよ。本来、もう少し世界だとか平和だとか、そういうもんに関心のあるヤツがやるべきだってのもな」
何でかかんでか。ここの社の連中はこの精霊含めて、俺を善人認定してくるが、そんな性分ではないことは俺が一番よく知っている。いつだったか、俺の前で義姉となる社の姫が家族を守れるなら、と口にした。なかなかな心意気だ。世界を、国を、守り続けてきたご先祖のためにも、なんて口にしていたら、俺は嘲笑ったに違いない。
――守りたいもの、ね。
俺はその義姉よりもはるかに範囲が狭い。そもそも守るという行為自体、俺には向いていない。理解し、裏を掻き、嘲笑い、唾棄をして、破滅させる。そういう方が性に合っている。この性分を見抜いていたなら、なるほど、俺の生みの親は多少、賢かったんだろう。俺みたいな人間を息子になんて持つもんじゃない。
向いていないから、俺は生き抜いた方がいいと思える人間には、徹底的に自立を促す。兄を地面に立たせ、妹にナイフと銃を握らせた。いずれ自分が守る必要なぞなくなるように。
そういった俺のルールを突き破ってきた女は、今のところひとりだけだ。
『それでも、お前は自分でやるんだな』
朱金のヴェールを震わせて精霊が笑う。
「そりゃそうだ。人間には住む場所が要る。雨風が凌げてベッドがあって、ついでに嵐でも雪でも潰れなきゃ重畳だな。だが、残念ながらそんな場所はタダで用意できねーから金も知恵も努力も要る」
それが人間界のルールだ。それなりの暮らしをしたいなら、それだけのものを揃えなくちゃいけない。他の生物からしたら、まったく以て生きにくい世界だろう。人間は生きていくだけでこんなにも面倒くさい生き物だ。俺一人ならとっくに御免被っている。
だが、まあ、たったひとりだけ。主義主張ルール、おまけにパーソナルスペースをガン無視して、懐に飛び込まれたものだから仕方がない。ソイツとなら生きてもいいか、と思わされたのだから俺の負けだ。
「つまり、いつまでもこんなケッタイで面妖な穴が開いててもらっちゃあ、邪魔なんだよ。俺が快適に住みたいヤツと住みたい場所で暮らすにはな。だから対処する。そんなにおかしいか?」
そのたったひとりがやらねば泣くというから、心の底から面倒だがコレは避けるべきではないんだろう。
精霊のヴェールの色が朱を中心にくるくると移り変わる。愉快そうにしているらしい。ぽう、と噴き出した蛍火が拝殿の中を飛び回る。
『ならば、もう少し休んでおくんだな。その疲労した顔を何とかしておかないと、そろそろ瑠那が検診から帰ってくるぞ。オレたちは助かるが、女の子を泣かせるんじゃない』
「へえへえ」
確かに。こんな馬鹿げたことで泣かせていたら本末転倒もいいところだ。カップの底に残った最後の砂糖屑を舐め取ってから、俺はキャンピングチェアに身を沈めて目を閉じた。
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