2009/11/03first
09/01
2024
※都ちゃん視点にチャレンジ(都ちゃんの前で何回惚気る気だ君たち)
※都ちゃんとショッピングモールでジェラート食べてお花を買う
※都ちゃんとショッピングモールでジェラート食べてお花を買う
2年も前に失踪してしまった友だちが帰ってきた。
大学の講義なんて受けていられない。私はドンちゃん用の2リットルのペットボトルを詰めたリュックサックだけを担いで京都行きの新幹線に飛び乗った。
私、高山都に最初の友だちができたのは12歳の頃だ。西の京(みやこ)、住吉の御社に養女として引き取られた女の子。私のひとつ年下で私たちと同じ魔女。でも同じ魔女でも私たちとは違う視点、違う目を持っている。不思議な魔女だ。名前を織居瑠那という。
会わないうちから私たちは互いを意識していた。西にいる私の兄が教えてくれたのだけど、私たちが好きなものは似通っていた。好きな本、好きな音楽、好きな映画。気が合うだろうと思いながら、12歳の私は彼女に会うのを躊躇してしまっていた。
それまで友だちなんていなかったのが一番の理由。二番目は、何だか鷹ちゃんに謀られたように感じてしまって面白くなかったのだ。その頃、私は多くのものが嫌になってしまっていて、鷹ちゃんによく言われていた。好きなもの、風景、それから友だちを作って欲しいって。私は鷹ちゃんがいてくれたら、他に何もいらなかったのに。
それに彼女の方だって。私は一族にとても大切にされている。私が非常に強い巫女の力を持って生まれたから。東で私が結界の糸を支えていないと、列島の山も川も木も水も死んでしまうのだ。その女の子は私の友だちになるために用意されたんじゃないか、って穿った見方を捨てきれずにいた。
そんな気持ちで友だちになって、なんて図々しく言えない。彼女にとっても失礼だ。大体、血の繋がらない他所の子をいろいろと複雑な一族の事情に巻き込んでしまっていいのだろうか。私はいい。そういう家にそういうふうに生まれてしまったんだ、って諦めがつく。鷹ちゃんという理解者だっている。
でも彼女は。いつかこの家が嫌になってしまったとき、自分の家でもないのに後悔しないだろうか。血筋のせいにも、顔も知らないという親のせいにも、ご先祖様のせいにもできない。
そもそも趣味が合うというだけで、彼女は本当に私の友だちになってくれる?
いろいろな理由をつけて、私は彼女に会うのが怖かった。
そういうふうにウジウジ考えていたけれど、いざ、彼女に会うといろんなものが全部吹っ飛んでしまった。
彼女はドンちゃんのドナウという名前に気づいてくれた。私の髪を触って綺麗だと言ってくれた。私に抹茶のフォンダンショコラを分けてくれた。似合うリボンやバレッタを選んでくれた。気にしていたそばかすに塗るいい匂いのクリームを探してくれた。同じ年頃の女の子とそんなこと、したことがなかった。
嬉しくて、私は何度も泣いてしまった。その度に彼女は何かしてしまったか、と謝ってくれた。そうじゃないと言いたいのに声が出なくて、何度も母や鷹ちゃんから嫌じゃないと伝えてもらう羽目になった。
彼女に自覚はないみたいなのだが、私は随分と彼女に救われたのだ。
私のことを綺麗だと言ってくれる瑠那だが、瑠那だって十分に綺麗で可愛い。
ふわふわした猫っ毛の栗色の髪は、ひとつ歳を重ねるごとに艶を増した。ハープアップに髪を留めてリボンを結んでいるので知らない人が多いが、瑠那が髪を解くと艶やかな栗色の髪がふわっと広がって綺麗なのだ。ちゃんと天使の輪っかがある。
目も一見、黒いけれど完全な黒じゃない。明るい場所で見ると緑にも青にも見える。森深い静かな場所にある湖の水面みたい。
それに小柄だけどスリムで背も手足も綺麗。中学、高校、と年齢が上がるとともに手足がすらっとして、伸びをするとしなやかな猫のようなのだ。咲さんが開いているお花やお茶の教室を手伝っているから姿勢だっていい。
本人は、木の枝みたいに伸びるばっかりじゃなくて胸とお尻が膨れたらよかったのに、なんて言う。でも、たぶん、彼女は年齢を重ねる度に綺麗になっていくタイプだと思う。
彼女自身がどうも自分を可愛いとは思えていないようで、なかなか言葉にはできない。私も似たようなものだから気持ちはわかる。
瑠那は頭だっていい。小高い山になっている住吉の森を庭にして育った彼女は、森を糧にするようになった。私たちやホタルだって、結界のため、水域のため、竜宮を司るために森はなくてはならない。必然的に住吉の森にはたくさんの花が咲き、いろいろな虫が住むようになった。
中学生になって科学を学んだ彼女は、森の資源を拝借していろいろなものを作るようになった。薬草茶やポプリ、天然素材の農薬。高校生になると精油やらクリームやらアロマやら。一時、彼女の部屋はちょっとした実験室みたいになっていたとか。
元気すぎて森が持て余してしまった材料を使うので、森に被害が出ることはない。それどころか腐り落ちて養分にもならずに朽ちていくものが減ったので、さらに元気になったところもある。
なるほど、魔女だ。私たちとは違う系統の魔女。森に住み、森と共存し、森から錬金する系譜の魔女。
私も彼女が作ったハーブハニーのおかげで、随分、そばかすが気にならなくなった気がする。
彼女が高校三年生になったとき、私にだけひとつの夢を打ち明けて相談してくれた。
「樹木医って大学に行かずになれる?」
樹木医。その名の通り、木のお医者さんだ。そういう分野の大学に進んだ方が早道だけど、長いこと実地経験を積めば資格が取れると聞いて就職活動を頑張っていた。
大学に行ったらいいのにと思いはしたし、住吉でも彼女の才能をもったいないと思っていた人はいたと思う。でも彼女の事情もわかる。彼女の義理の姉で、住吉の宝物であるサクヤは御社の半径5kmから出られない。大学に行きたくてもいけない。なのに、養女の彼女が安くない学費を強請って大学に行きたい、なんて言えるはずがない。
住吉には総領息子の鳶之介がいたし、サクヤだって再婚していた。義理堅い彼女のことだ。大学に行って貴重な学資保険のお金を使ってしまうより、就職して住吉の森を守りながら今までの恩返しをするつもりだったに違いない。収入があれば、彼女を11歳まで育ててくれた施設へ仕送りだってできる。
森という領域ごと住吉を守ろうとしていた魔女の些細な夢。
私は密かに彼女の夢を応援しながら、やっとできた最初の友人の幸せを願っていた。なのに、彼女はいよいよ卒業を控えたある日、卒業旅行先でひとり行方知れずになってしまった。
住吉のややこしい事情と関係なく、この世の理不尽と不条理が、私たちから彼女を奪っていってしまった。
どうして、と泣きたいのに泣けなかった。私が泣いてしまうと山が揺れてしまう。友人がそんなことになっているのに、私は泣いてはいけないなんて。だから私はいつまでも友人だと胸を張れない。
彼女が消えて2年間、私たちは変わることもできずに彼女の帰る場所を守っていた。帰れるかどうかもわからなかったけれど、そういう一族だったから信じて待つことしかできなかった。
だから、ある日、大学の講義を終えてスマートフォンの電源を入れ、届いていた咲さんからの報せに泡を食ってしまった。
『瑠那ちゃんが帰ってきたの。あのね、旦那様も一緒なのよ。お腹に子どももいるの。サクヤの子どもと同じくらいに生まれるわ。旦那様もすごく格好いいから、きっととびきり可愛いわね。』
待って、なんて?
混乱の渦に叩き落とされながら、何とか起動したアプリで新幹線の切符を買った。
新幹線のコンコースはいつまで経っても馴れない。
三半規管を揺さぶられていると思えば、一気に人波が吐き出されたり流れ込んだりする。ドンちゃんがいるおかげでちっぽけな私は何とか人の波に攫われないで済んでいる。
在来線のホームはどっちだったっけ。魔女業で西に来るときはきーちゃんが車を出してくれるときが多いのだけど、今日は平日の昼間だ。従兄弟で鷹ちゃんの9歳年下のきーちゃんは数年前、大学を卒業して今は中学校の先生である。つまり忙しい。
「都、大丈夫だ。白い蝶が見える」
「白い蝶?」
きろん、と手元でスマホが鳴った。知らないアドレスだ。
『北口のコンコース。白のセダン。お水は買わなくて大丈夫。 瑠那』
2年ぶりに届いた友だちからの連絡にじわりとしてしまう。ついでに何だかむかむかしてきた。子ども、いるんじゃなかったっけ。こんな人混みの中に出てきて大丈夫なの。そういえば何ヶ月なのかさえ聞いてない。
「都」
「大丈夫よ。泣いてない」
そうよ、泣いていられない。ちゃんと顔を見て、どういうことなのか、聞かせてもらなくちゃ。
人波を掻き分けて何とか泳いでいたら、本当に白い蝶が鼻先を掠めた。綺麗な水の匂い。あと木の香り。これ〝先生〟だわ。瑠那のお付きのホタル。たまたま、あの旅行では同行していなくて、それをずっと悔やんで待っていた。瑠那が桜さんから託されて、桜さんが瑠那を託したホタルだ。
「瑠那!」
新車らしい四人乗りのセダン。その前にひとりの少女が立っている。年齢としては少女と女との間くらいのはずだが、私の中でまだ彼女は少女だった。
ベージュのサイドプリーツのワンピースを着て、白いストローハットを被った少女が振り返る。背中まで伸びた栗色の髪がふわっと広がる。
「都」
「瑠那……!」
記憶にあるよりも少し大人びた彼女を見て胸がいっぱいになってしまった。つんのめりながら駆け寄って抱き締める。小柄な彼女だから私の腕でもしっかり抱き締められてしまう。変わってない。森と天然素材の薬と、それから蜂蜜みたいなふんわり甘い匂い。うん。間違いなく彼女だ。
「馬鹿! 本当に、本当に心配したの」
「うん、ごめん」
「光さんは大丈夫だって詳しく教えてくれないし、〝先生〟も連れてないし、咲さんは急に変な連絡してくるし」
「ごめんなさい」
「心配した。本当に、本当に心配したんだから」
ぽろぽろと涙が零れてくる。瑠那が洗い立てのハンカチをそっと目元に当ててくれる。何だか私は彼女に会う度に泣いてばかりいる気がする。これじゃあどっちが年上かわからない。一歳しか違わないし、元からそんなに垣根はないんだけど。
「久しゅうございます、〝先生〟」
「うむ、お前も息災そうで安心した」
私たちの頭上で二匹のホタルがのんびりと挨拶を交わす。
「ドンちゃんも久しぶり。お水飲む? 一応、トランクに積んできた分があるけど」
「瑠那殿、かたじけない。今は大丈夫だ。それよりよくぞご無事で」
「うん。心配かけてごめんなさい」
瑠那は言い訳せずにずっと謝っている。たぶん、住吉の母親や姉たちにも随分、心配されて同じ儀式を何万回としたに違いなかった。
べそを拭って少し身体を離す。とくとくと鼓動が聞こえる。力強い生命の音だ。まだぺったんこの瑠那のお腹の中から。ひらひらと綺麗な炎で象つくられた蝶が何匹も集まってる。きっととっても強い子だ。
「赤ちゃん、元気ね。何ヶ月?」
「三ヶ月。もう少ししたらお腹出て来るかも」
「悪阻は?」
「大丈夫。私、あまりひどくないみたい」
ふと気づいた。周囲を見渡してしまう。身重の瑠那が一人で桂清水を担いで迎えにくるはずがない。確かに彼女は運転免許を持っているけど、瑠那が大丈夫だと言い張っても御社の皆がいいと言うはずがないのだ。
かちり、とシートベルトを外す音がして運転席のドアが開いた。車高越しに見えたその人を目にして、思わず涙が引っ込んだ。ぽかんと口が開いてしまう。
『感動の再会は終わったか?』
「もう少し待ちなさいよ。デリカシーないわね」
イタリア語だ。ぽかんとしたまま、そんな単純な思考しか出て来なかった。イタリア語は専攻していないけれど、西の端の魔女、紫さんの彼氏がイタリア国籍のルーマニア人なのでニュアンスくらいは掴むことができる。書けないけど理解できる言語があるのは、私たちのような魔女にとって珍しくない。
瑠那が困った顔をして、私にごめんね、とまた謝った。
「外ではイタリア語なの。でも普通に日本語は聞いてるし話せるから大丈夫」
「あの」
「うん?」
「あの人、ホタルじゃないのよね?」
何を言ってるんだろう、私。ホタルは無線LANにもボディガードにもなれるし、一族の中には恋人にした人もいるそうだけど、車なんて運転できるわけがない。
なんだけど、それくらいその人の容姿は人間離れして見えたのだ。
何の色にも染められないくらい白い髪、陶器みたいに白い肌。吊り目の朱い瞳は奥の血の色をそのまま映している。白子(アルビノ)、なんだと思う。でも、テレビで見たことのある人たちと違って薄い薄い金髪とかじゃない。本当に綺麗に真っ白。それだけだと、とても儚いように感じるのだけど、そうじゃない。
なんというか、失礼を承知で言うなら洋画に出てくる悪役みたいだ。クライマックスに登場する黒幕でファンには人気がある、みたいな。それくらい迫力がある美形。鷹ちゃんとも、リューカとも、こう、ジャンルがまったく違う。
私の一言に一度、二度、目を瞬かせたその人は口元に手を当てて、くつくつと喉を鳴らし、肩を震わせた。私の発言がよほど面白かったらしい。その笑い方もなんだか堂に入り過ぎていて、やっぱり洋画の悪役にしか見えない。
瑠那は溜め息を吐いて、一度、私の手を離した。車の向こうに回り込んでその人の伏せた白髪の頭を軽く叩いた。
「ごめんね、都。こういうヤツなの。残念ながら人間なのよね。紹介するわ。私の……えっと、まだ入籍はしてないから婚約者(フィアンセ)になるのかしら」
呆気に取られて動けない私に、ちょっぴり頬を染めながら瑠那が言った。私はその場で悲鳴を上げて詰め寄りたくなる衝動を必死に抑えた。
彼の名前は佐伯村主(すぐり)と言った。見た目では判別が出来ないが、日伊のハーフであるらしい。
車越しでは気づかなかったのだけど、着こなしていたメンズのカットソーの左袖がだらんと垂れていた。腕を抜いているわけではなく、上腕から下がない。さらっとしたことしか教えてもらえなかったけれど、イタリアにいた頃は堅気ではなかったらしい。道理で堂に入っていたわけだ。
考えてみたら瑠那は帰りたくても帰って来られない、ややこしい状況に置かれていたわけだから、そういう方面の人と知り合っても無理はない、のだろうか。よくわからない。でも、海の向こうから女の子ひとりを追って、こんなところまで来てしまうのは普通ではないと思う。
佐伯さんは私を見て、すう、と凶悪な目を細めてからドンちゃんを見た。もうホタルが見ているのだろうか。霊感が強い人なのかもしれない。それからまた視線を動かして、今度は私の足元をジッと見つめた。なんだろう。靴紐でも解けているのかと思ったけど、そうではなさそうだ。彼は片手の指を額に置いて、何か考えた後、〝先生〟に耳打ちした。やっぱり見えているらしい。
彼にはドンちゃんがどう見えているだろう。やっぱり瑠那の姿? 握手した方がいいんだろうか?
いろいろ考えていたら、〝先生〟が何か納得した様子でドンちゃんに近寄ってきた。
「ドナウ。調子は悪くないのだろう。〝石〟の状態で都を守れるか?」
「はあ。それは平気ですが」
ドンちゃんは人の姿にも石の姿にもなれる。でも、石に還るときというのは、とても消耗したときとか主の不調に引きずられてしまったときだ。ドンちゃんも〝先生〟も元気なときは大抵、私や瑠那の後ろでふよふよ浮いている。
「今日は私とお前は〝石〟の姿で御守がよい、とうちの婿殿が仰せだ」
「え? ええ?」
うちの婿殿。私はぱちぱち目を擦って〝先生〟を見てしまった。〝先生〟はちょっと悪戯っぽく笑って私の頭を一撫でしていった。
すたすたと佐伯さんと瑠那のところに戻り、しゅるん、と白い残像だけを残して勾玉の石に戻ってしまう。空中で〝先生〟の石をキャッチした佐伯さんが、意外に丁寧な手つきで瑠那の首にチョーカー紐をかけている。
私もドンちゃんも戸惑ってしまったが、確かにセダンに背の高いドンちゃんは窮屈かもしれない。私が手を出すとドンちゃんも綺麗な水の雫石みたいな勾玉に戻る。それを首にかけたところで瑠那が後部座席のドアを開けてくれた。佐伯さんは運転席。私と、妊婦である瑠那は後部座席。片腕の運転手用の車は初めて見たから、きょろきょろしてしまった。見たことがないスイッチやレバーがある。
「ねえ、都。お昼は食べた?」
「え、ええ。新幹線の中で食べたわ」
「じゃあ、おやつの時間ね。とりあえずリュック寄こして」
瑠那は私の背負っていた重たいリュックを剥いでさっさと身軽にさせてしまう。佐伯さんはエンジンを吹かして、ギアをドライブに入れる。待って。まだ混乱してる。私、どこに拉致されるんだろう。
「ショッピングモールでおやつ。あと明日、桜さんのお墓参りに行くからそのお花。帰りはいつもの橘さんのところでお供えの仕入れ。あ、おやつをどこで食べたっていうのは内緒にしてね?」
冷たいお茶と一緒に瑠那が取り出したのは、近場のショッピングモールのパンフレットだった。彼女が開いたページにスイーツ店の広告がずらりと並んでいる。
ふわふわのリコッタパンケーキ、色とりどりのジェラート、抹茶のティラミス。目移りしてしまう。ついでにいいのかな、と罪悪感が湧く。だって御社の姫はチョコレートもクッキーも食べられないから、西に来るときはなんとなく遠慮してしまう。子どもの頃は楽しみに食べていたけれど、子どもの頃の話だ。
『着くまでに決めとけよ』
運転席から佐伯さんの声が飛んでくる。彼の意見は聞かなくていいんだろうか。でも、瑠那は気にしていない。はーい、と返事をする瑠那は楽しそうだ。彼女、こんな強引な感じだったっけ。もっと遠慮がちで、言いたいことの半分くらい押し込めてしまう女の子じゃなかったっけ。
いいのかな。いいのかも。わからないけど、何にせよ、私は血糖値をあげないと駄目そうだ。
平日昼間のショッピングモールは思ったより人に塗れていなくて、私は安心してしまった。
通路いっぱいに人の列が並んでいたりしないから、両脇のお店に飾られているディスプレイがよく見える。ブティックでは華やかな夏のワンピースがいくつも飾られていたし、カジュアルなジュエリーショップでは小ぶりの可愛いピアスが行儀よく並んでいる。ナチュラル雑貨を展示するウィンドウのテラリウムの中で小さな森がきらきらしていた。
あちらこちらを横目で見ながら、ところどころでいいなぁ、と思う。私だって華やかな服やお洒落なピアスに興味がないわけじゃない。似合うわけもないのにとか、見せる人もいないのにとか、どうしてもイジケた性分が顔を出してしまうのだ。学生だし、値札に尻込みしてしまうというのもある。
ふと、隣を歩く瑠那を観察する。
「その服、咲さん? ……っぽくはないわね」
「えっと、そう、ね。咲さんじゃなくて」
瑠那の目が泳いでいる。私の記憶にある彼女は大体が神社にある緋袴姿だ。それか桜さんやサクヤからお下がりでもらった着物。おつかいなんかで外出するときは、咲さんが誂えたり買ったりした可愛らしい洋服。
この咲さんの好みというか趣味というかが、その、とても可愛らしいもので私や瑠那にはちょっとだけ毒なのだ。フリルとかリボンとかがたくさんついていて、可愛いんだけど可愛すぎる感じの。私も10歳で御社に行ったときは着せ替え人形よろしく飾られた。
今日の瑠那は少し違う。シルエット自体はとてもシンプルで大人っぽい。でも、横から見えるプリーツとか腰元と胸に結ばれたリボンとかが少女らしくて可愛い。蛹から羽化しかけている蝶々みたいだ。少女から女に脱皮しかけている。
ちらりと泳いだ目線の先を追ったら、私たちの数歩後をついてきている佐伯さんがいた。目深に被ったキャスケット帽に目立つ白髪を押し込めて、気ままにブティックを眺めている。彼の視線の先にあった切り替えがあるタイウエストの白とグリーンのワンピースを空想の中で瑠那に着せてみた。なるほど、似合っている。自分からノロケを食いに行ってしまった。
「恋をすると女の子は綺麗になるって迷信じゃなかったのね」
「都」
唇を尖らせて瑠那が反論したそうにしてくる。でも、しっかり鼻の頭が赤いから怖くない。可愛い。
迷信じゃなかった。少なくとも、彼女にとっては。素直に祝福してあげられたらいいのに。私は駄目だ。すぐに余計なことを考えてしまう。私も鷹ちゃんに何か選んで欲しかったな。服でも、ピアスでも。
「大学って制服がないでしょう? 毎日、着る服が大変じゃない?」
「そうね。でも、私はフィールドワークが主だから」
パンツスタイルで山でも川でも行けるように、いつも同じような服を着回してしまっている。お化粧もしない。すぐに水か汗で流れてしまうから。
瑠那はちょっとだけ迷った顔をしてから、私の手を引いてピンク色の看板の前に立った。ティーンが使いそうなカジュアルなメイク道具が並んでいる。私には縁のないもの過ぎて、気後れしてしまった。
「山でも川でも、季節によっては乾燥してるわ」
そう言って彼女は薄ピンク色のリップクリームのテスターを摘まみ上げた。何だかそんな仕草ひとつにも前にはなかった色を感じる。同志だと思っていた友だちは、いつのまにか少女をやめて女になろうとしている。もうなっているのかも。
無理矢理、私を鏡の前に座らせた瑠那は意外に器用な手つきで私のつん、とした小さい唇に色を乗せてくれた。ベタついた感触もない。生のセージのようないい匂いがする。ティーンがつけるような色付きのリップクリームなので、鏡の中の私は大して変わっていない。でも、ほんの一、二歳だけ大人びて見える。
「これなら顔は変わらないし、誰だって都だとわかるわ」
鷹ちゃんも? 私が大人になっていても見つけてくれる?
そう訊こうとしてぐっ、と言葉を飲み込んだ。でも鏡の向こうで微笑んでいる瑠那は、きっと私のそんな面倒くさい想いなんてお見通しなのだ。彼女はわかってくれる。12歳で出会ったときと一緒。
「私も口紅はつけないし、お揃いで買わない?」
瑠那は狡くなった。そんなふうに言われたら私が断れないの、知ってるくせに。
鏡から目を背けて、ちょっとだけべそを掻いた。
おやつは結局、ショッピングモール内のジェラテリアで取ることになった。早速リップは剥がれてしまうだろうけど気にしない。本当の出番はきっと空気の乾いた冬だ。
京都のおやつは違うものを頼んで、互いのものをシェアする私たちだけど、今日は二人ともチョコレートフレーバーのジェラートを選んだ。京都でチョコレートのアイスクリーム。なんて贅沢。二人ともダブルにしたのでそっちの味はシェアできる。瑠那はラムレーズン、私はちょっと変わったお米のフレーバー。ミルクとは違う、甘くて優しい味がするのだ。
「佐伯さんは何にするの?」
『どうせお前が食うんだろ。好きにしろ』
ぶっきらぼうに言った。これもノロケかと思っていたら、瑠那が楽しそうに、にやっと笑った。
「ここは日本だから、妹にジェラートの味を選ぶ権利を譲らなくていいのよ?」
『……言うようになったじゃねぇか』
「だって、その役目は譲ってきたんでしょう? 私はあんたの妹じゃないもの。リクエストくらい聞くわ」
さっとメニューを流し見た佐伯さんはシングルで甘酒を選んでいた。意外にチャレンジャーだ。
飲み物も一緒に頼んで窓際で戴くことにする。私は抹茶ラテ、瑠那はレモンスカッシュ、佐伯さんはホットのルイボスティー。なんだろう。店員が注文を繰り返しているのを聞いて何だか違和感を覚えたが、それがなんなのかわからなかった。
ジェラートを食べると舌が滑らかになる。頭も冴える。2年間の空白を埋めるようにいろんな話をした。
私はトンちゃんの笛が上手くなっただとか、きーちゃんから聞いたノロケ話とか、あとはここ最近で聞いたり見たりした音楽とか映画とか。
瑠那はイタリアでたっぷり見てきた海と空と星の話。核心に迫るような話はしてくれなかったけど、聞いてるこっちもぽかぽかした。彼女にとっての2年間は寂しいだけのものじゃないと思えた。まだ涙が出そうになって頑張った。私、よかった。彼女が独りぼっちじゃなくて。伸び伸びと恋ができるようになって。
彼女が幸せそうだから気になることもある。
瑠那が短いお手洗いで留守にしているときに、私は思わず佐伯さんに訊いてしまった。
「あの、もう、ホタル、見えてるん、ですよね?」
なんてぎこちない。でも、佐伯さんは無言で頷いて肯定してくれた。顔は悪人だけど中身は割といい人そうだ。〝先生〟やドンちゃんに石に戻れ、と言ったのも単なるイジワルじゃない。私は今日、とても久しぶりに魔女業を忘れられている。まるで普通に女友達と遊んでいる普通の女の子みたい。
でも、これだけは忘れてはいけない。
「私の一族、あの、瑠那の実家が本家にあたるんですけど。えっと、いろいろ込み入った事情があるんです。あ、瑠那はたぶん、比較的大丈夫だと思うんですけど。とにかく変わってるんです。霊感の強い男の人はその特に気をつけなきゃいけないこともあって」
声に出して説明するって難しい。これじゃ本当に面倒くさい小姑みたいじゃない。けど、佐伯さんだって知っておかなきゃいけない。知ってから騙された、なんて思われたら瑠那が可哀想だ。
「だから、あの、いろいろ複雑なことに巻き込まれることも……」
駄目だ。どうしても良い言い方が思いつかない。住吉のみんなのことは好きだ。でも、一番、住吉の魔女の運命を上手く受け入れられていないのは私なのかもしれない。だから他の言い方が見つからない。
『ひとつ、訊くが』
ちょっと呆れたような表情で、佐伯さんはキャスケットのつばを下ろした。
『ひとりだった人間が二人だの三人だのになるとき、互いの事情に巻き込まずにいられるのか?』
「え?」
『はっきりとこれは余計なお節介だが、あんた、もう少し足で地面を歩いた方がいい』
大学でフィールドワークがあって、魔女業に呼ばれれば山でも川でも歩き回る。私はそこら辺の学生よりよっぽど足腰が鍛えられていると思う。でも、きっとそういうことじゃない。鷹ちゃんの言葉を思い出す。好きなもの、好きな友だち、好きな風景。
瑠那が戻ってきたので会話はそこでおしまい。都をイジメてなかったでしょうね、と懐疑的な目を向けてくる彼女の身体を、佐伯さんは楽しそうに片手で受け止め、温くなった自分のルイボスティーを飲ませた。
ようやく違和感に気づいた。イタリアにいたのに彼はコーヒーを頼んでいない。ルイボスティーにカフェインはない。さっき食べていたのはお腹を冷やすジェラート。またあてられてしまった。
つい、まじまじと見ていたら佐伯さんと視線が合った。
『少なくともコレに関しちゃ、男は種を押しつける側だからなぁ?』
自分の抹茶ラテで咽かけてしまった。
「なんの話よ?」
『人体の不条理と不平等性に関して』
「はあ?」
前言撤回。やっぱり、ただいい人というわけではなさそう。
でも、逃してしまうには大きすぎる魚だって、私にもわかった。
ショッピングモールの大きな花屋、というかフラワーショップで桜さんに捧げる花を選ぶ。
瑠那にとって桜さんは自分を拾い上げてくれた特別な人だ。桜さんが旅立つときも枕元にいた。瑠那が来てくれたから桜さんはうんと長生きして、曾孫の鳶之介の顔が見られたのだ。
桜さんだけじゃない。葵さんは自分と同じふわふわした髪の娘が出来て嬉しそうだったし、サクヤは年の離れた妹に子育てを手伝ってもらえた。私も、彼女と友だちになれた。相変わらず自覚はなさそうだけど、瑠那は一族の女たちを少しずつ救っているのだ。
彼女は自分の伴侶を自分で選んでしまったけど、私も彼女たちも生半可な男に瑠那をやりたくなかっただろう。そして咲さんが嬉しそうに私に報告してくれたということは、佐伯さんは住吉でも生半可とは思われてないわけだ。
「やっぱりユリが好きかしら。桜さん」
「そうねぇ。でも一種類だけだと味気ないって文句言われるわよ」
「確かに」
無敵の魔女だった、それでも私たちには優しいおばあさまだった桜さんを思い返し、二人で花を選ぶ。
香りのよい花々に紛れて、佐伯さんの姿が見えないことに気づいてしまった。私はもう、彼を大分、信用してしまっていて瑠那をひとりにはしないだろうと思っていたから目だけで近くを探した。いた。私たちが物色している淡色の切り花のコーナーから外れて、ずらずらとした花言葉が並んでいる甘やかな花を見ている。言ってしまえば、何かの記念日とか祝い事に花束を作るんだろうな、という。
佐伯さんの白くて長い指がベルベットみたいに美しい赤い薔薇を一輪、持ち上げた。風貌次第では絶対に滑稽になるだろう一シーンだけど、怖いくらいに端整な佐伯さんでは絵にしかならない。店員がひとり捕まる。捕まった店員は面食らっていたけど、すぐに営業スマイルになって彼から花を受け取った。そのままラッピング用のカウンターに消えてしまう。
え、待って。瑠那を見ると、彼女は白い花に夢中で気付いていない。
佐伯さんは私の視線に気がついて、凄絶な顔でニヤリと笑った。口元に一本、長い指を立てている。私は硬直したまま、かくかくと首を上下に振るので精いっぱい。何か言えるわけがない。
「都? どうかした?」
「な、なんでもない。桜さん、フリージアも好きだったからそれもいいと思う」
これでいいのかな。私は瑠那の意識を余所に向けた後に、もう一度、佐伯さんを伺った。目立たない簡素な袋を店員から受け取っている。赤い薔薇の花言葉はなんだっけ。1本である意味ってなんだっけ。確か本数で意味が変わるのよね。
あの薔薇を贈られるだろう友人は私が提案した花と手元の花を見比べている。大丈夫かしら。あんな人間離れした美丈夫にあんなものを贈られたりして、キャパオーバーしてしまわないか不安だ。瑠那の男性への免疫ってどのくらいだろう。
明日の朝、瑠那が起きて来なかったらどうすればいい?
私がお茶を淹れてあげるべきなのかしら?
参ったな。何もわからない。誰が頼りになるだろう。やっぱり咲さんに訊くしかないか。
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