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2009/11/03first
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※村主の世界の〝視方〟と先生との晩酌。
※サクヤさんとなかなか視線が合わない話。たぶんキジさんとも仲良くなる。




 住吉と名指されるルナの実家に居着いて3日。
 ひとつ明確に解ったことといえば、この家の事情がうちの長兄案件だということだ。


 イタリアで俺と妹と〝丘の家〟を作り上げた長兄はアルという。元はちょっといい家柄の三男坊だ。元が貴族だから長ったらしい名前があるんだが、それも嫌ってただのアルでいる。
 権力やら貴族やら汚い金が嫌いだった。理由の二割程度はスラム時代の俺が貴族相手に身体を売っていたことに起因している。頭はいいはずなのにとんだ馬鹿だ。
 その長兄は生身で空を飛べた。短距離なら消えて移動することも出来た。ルナが言うところのタカシという天狗と同じことができたと言える。ただヤツは普通にお喋りだったし、鬱陶しく泣きもすれば笑いもした。そこら辺は根本的に課したルールが違うのだろう。
 俺や妹を巻き込んで家族を欲しがったあたり、俺よりよほど人間味があるヤツだった。だから聞いたことがある。お前は空を飛んだり、消えて移動しなきゃ死ぬのか、と。
「うーん? 考えたことないな。ああ、でも体調が悪くなるときはあるか?」
 つまり飛んだり消えたりしなくても死なないが、しないと身体が帯電するってことだ。ときどき放電してやればヤツはヤツの望み通り、ちゃんと人間っぽく生きられる。悟ってからはなるべく地面を歩かせたし、体重と体型と意識させた。
 俺とヤツと妹では、人間からのはみ出し方がそれぞれ少しずつ違うんだが、人間らしく生きたいなら相応の努力が必要だ。一番、見た目が自然体で人間らしい妹が、長兄と一緒に空を飛ぶより、手を繋いで町に出かけジェラートを食べることを好んだのも結果的によかった。今は俺と妹が離れた〝丘の家〟でえっちらおっちら新婚生活を送っていることだろう。
「歳は離れてんけど、サクヤと瑠那は姉妹やし、仲もええんや」
 俺のいる離れを訪ねてきた大男が言う。三白眼気味の武骨さが感じられる男だ。日本男児というイメージから逸れない見た目だ。こいつは何もしなくてもどの角度から見てもそういう外見に見える。
 住吉を束ねる織居家の二番目の入り婿で、キジローという名前をしている。
「サクヤもずっとお前を待ってた瑠那を心配しとった」
 俺が無言を貫いているので、男が畳みかけてくる。別に会話が特別に億劫というわけではない。それを億劫と言ったら俺にとってかなりのものが億劫になってしまう。
 何が言いたいか理解しながら、さて、じゃあどうしたもんかと考えているだけだ。
「やから、なんが気に入らんか知らんが」
「別にお前の嫁を嫌ってるわけでも避けてるわけでもねーぞ?」
 先んじて誤解があるだろう問題を言い当てて見れば、キジローは奇妙な顔をして閉口した。じゃあ、なんだとでも言いたげな顔だ。実際、言いたいんだろう。
 ルナの血の繋がらない義姉でこの社の巫女だというサクヤとは初日、真っ先に面通りした。というより、向こうから礼代わりの菓子を差し入れられたし、この離れを誂えたのもその義姉だ。それなりに訊かれたことには答えている。だが、目は一向に合わない。合わせられないと言った方が正しい。
 外から来た男が自分の義姉にもなる社の姫様と顔を合わせ、だが、視線も合わさずにいる俺が無作法者に見えたんだろう。まあ無作法者はその通りで育ちの悪さも否定しないが、そこには誤解がある。
「俺には姫さんがどこを向いてるのか〝視えない〟。だから視線も合わない。合わせられない。それだけだ。たぶん、あっちは気づいてると思うが」
 コレを説明するのはなかなかに面倒なんだが、仕方ない。まさかひとりひとりにルナにやらせるわけにもいかない。
 米神の辺りに指を置き、自分の目と耳を差す。
「俺は昔から目でものを見ない。視力だけに頼って物事を見ていない。視覚、聴覚、感覚、まあ場合によっては嗅覚、味覚、全部で人や物を〝視る〟」
「……どういうことや」
「例えばだが、俺がここに来たとき、俺にはお前らの言う生き物が見えてたわけじゃない。だが、俺は天候も〝視る〟し、水と風と人の出す音も〝聞く〟し、建物の傾斜や然るべき出来事も〝読む〟。そこに本来あるべきはずのものがなければ何かが起こっている。異音や不可解があれば座標から原因を探る」
 だから、どれかひとつ潰されたところで大して困らない、とはかろうじて飲み込んだ。
 俺の片腕を吹っ飛ばしてくれた馬鹿野郎は物理的に俺の処理能力を破壊した。それだけは及第点をやってもいい。まあ、実情は連中がよりにも寄ってルナを狙って発砲したもんだから勝手に身体が動いたというだけなんだが、それを馬鹿正直に言わなくてもいいだろう。
「そもそもの視方が違うからお前らのようには〝見えていない〟。だが〝視て〟はいる。気づくのが何歩か早いもんだから瑠那は〝識(し)っている〟なんて表現する。……まあ、稀に本当に〝識(し)っている〟ときもあるから粗方が間違ってるわけでもねぇ」
「……よくはわからんが、それがなんでサクヤと」
「あの姫さん、常にぐらぐら揺れてんだろ?」
 男がひゅ、と息を呑む。伴侶には心当たりがあるらしい。
「言っただろ。どこを向いてるかわからねぇ、って。俺には顔が安定して視えねぇんだよ。身体は右に傾いていたり左に寄っていたり、顔に至ってはパーツ単位で変わって見える。そういうとき、俺はわざと焦点を外して見る。だから視線が合わない」
 嫌っているわけでも、避けているわけでもない。単に安定して視えない。ぐらぐら揺れる船の上で真面に他人の顔が見られるか想像すると早いだろう。そういうことだ。
 無理をすれば視ることもできなくもないかもしれないが、こういったときは俺を教育したサルバドルの教えを守ることにしている。曰く「女のすっぴんを無断で見るのは紳士じゃねぇからやめとけ」だそうだ。
 残念ながら俺は紳士とは程遠い性分をしているんだが、つまらん嫉妬を買うのも嫌だからやめてる。例えばだが目の前の男だけが姫さんの本当の顔を知っていて、それが他の男にも視えると知ったらどうなる。それこそ余計な嫉妬を招く。冗談じゃない。
「それとも〝視た〟方がいいのか?」
「……」
 男は神妙な顔をして黙ってしまった。ほらな。惚れた女の特別な顔を、ぽっと出の俺になんぞ知られたくないだろうよ。男なら誰だってベッドの上の自分の女を見せたくはないもんだ。
「……身体が右にいったり、左にいったり、って言ったか?」
「おう、言った」
「……サクヤはずっとぐらぐらしたまんまなんか」
 いきなり消沈した様子で言う。
「知らん。俺は常人より理解が早いが3日で未来予知ができるほど人間をやめているわけじゃない」
「悪い。そりゃそうか」
「だが、まあ、できることがないわけじゃねぇ」
 積み上がっていた論文の中からややマイナーな天文学の論文を出力する。複合機が吐き出した紙束を項垂れる大男に突き付けた。
「花も結構だが。たまには変わったもんをプレゼントしてみるんだな」
 紙束を受け取った男が訊いてきた。
「お前、瑠那のことはどんな風に視えとんのや」
「決まってる」
 何を今さら。
「目でも耳でも触り心地でも一級だったから貰いに来た。それ以外あるか?」
 その日の夜に膨れっ面をしたルナに背中をどつかれた。
「麒治郎に俺が花を渡すより喜んだかも、って愚痴られたんだけど」
「義姉さんは見た目に反して理系だったんだ、とか俺に教えたのはお前だろ」
「そうだけどさぁ」
 11歳の頃から社の姫君を羨みつつ生きてきた少女はどうやら拗ねているらしい。面倒だと感じるが悪くはないと思う。たぶん、これが恋だの愛だのに分類されると思われるんだが、それを言ったら妹は「知ってたけどカシ兄の愛が歪んでて引く」と断言された。俺からすればアイツも大概な気がするんだがな。
 別にルナだって本気で俺が義姉に贈り物を献上したなんぞ思っていない。ただ癖のような、発作のような。自分でも面倒だと感じている部分が出てくるだけだろう。そうすると宥める方法なんてひとつしかないので、一組しかない布団の上に押し倒した。
「ちょっと、あの、まって」
「最後までしねーよ。安定期はまだ先だろ」
「そうだけど、ちょっと」
 慌てたルナの視線がちらちらと部屋の隅にいく。そこに何かいるのは知っていたが無視を決め込む。そうすると、天井あたりから切るような威圧感が降ってきてそこにいた何かは悲鳴を上げて逃げていく。
 ルナの肩から力が抜けた。早々に口を塞いでやったら天井にいた何かも消えた。
 ここには数多の覗き魔が出没するが、今のところ天井に控えているヤツに睨まれると蜘蛛の子を散らすように退散していく。だから遠慮はしていない。第一、離れ離れの恋人が再会してキスもペッティングもしないだなんて、そっちの方が不健全だ。
 ――天井からプライバシー保護をしてくれるヤツの面は拝んでみてもいいかもな。
 ゆるりと考えながら、糖蜜の匂いがする首筋に歯を当てた。


 はだけた寝間着に毛布を体に巻き付けた女が隣で寝息を立てている。悪戯心で髪の先で頬をくすぐってやったら、むず痒そうに眉を寄せる。楽しい。寝顔は五番目くらいに気に入っている。
 こうしてコイツの顔を眺めているのは何かに起こされたからだ。何かというか、いつも天井から観察している何か。ソイツが人間らしくとんとんと扉を叩く。ルナは眠っている。つまりルナに聞かれたくないんだろう。俺も眠いんだがな。郷に入りては郷に従っている(When in Rome, do as the Romans do)せいで、ここ最近は早寝早起きだ。そろそろうっかり健康になってしまう。
 欠伸を殺し、戸を開ける。風が吹く。三半規管が揺れた。この器官は鍛えられないから本当に嫌だ。
 見ろ、と頭に働きかける意識がある。ここまでお膳立てされてきたのだから、いい加減、晒してもいい頃合いかもしれないが。
 俺は基本的に見たいものを見たいように見て好き放題する人間だ。そして別に善い人間でもない。それを承知でコンタクトを取りたいと言うのなら、応じるべきなんだろう。
 ――今さらバリケードを外されても気分が悪いしな。
 結局のところ、そこに尽きるのだから俺の性根はお世辞にもよろしくはない。自覚があるから尚悪いとよく言われる。
 意識を視神経に集中させ、他の箇所のパフォーマンスを低下させる。米神がぎりぎりと締まって疲れる。普通の人間ならこっちの方が楽なんだろうが、俺はそういう風に生まれて来なかった。
 鱗粉を尾にした蝶が飛んだと思えば、真夜中の離れの縁側に人影が立っていた。燐光を放つ白い長髪がゆらゆらと揺れる。何の色も跳ね返し拒絶する俺の白色とは違って、何の光も色も受け入れている。背は俺と変わらないように見える。つまり顔立ちは日本人だがすらりと高い。和装で足元に雪駄が見えるが音はしない。
 なるほど。確かに人間に見える。人間じゃないのは視ればわかるが。
「あんた、石か? それとも樹か?」
 とりあえず気になったことを訊いてみた。ソイツは物静かそうな目を何度か瞬かせ笑った。
「お前には何度も驚かされるな。そんなこともわかるのか?」
「あんただけじゃない。石だったり、樹だったり、水だったり。そういうヤツがうようよ視える。かなり人間くさいのもいる。ずっと同じだったヤツもいれば交配したヤツもいるんだろう。生き物だしな。人種に例えれば、純正の日本人がもうほぼいないのと同じだ」
 ソイツは笑ったまま手にしていた一升瓶を見せてきた。いつのまにか縁側に細工物の切子が二つ並んでいる。重たそうに瓶が傾けられて透明な滴が切子に満たされる。爽やかな酒精が鼻に届いた。
「少し話そう。お前が対話しろと言うから私も対話する気になった」
 切子の片方を持ち上げる。ここの湧水と同じ匂いと味がする。どっかの酒蔵が同じ水を引いて造っているんだろう。
「あんたが〝先生〟か?」
「おや、私のことを知っていたか」
「アイツは家族のことをよく話す」
 血の繋がらない家族を持った同士だからか、ピロートークに益体もない話をした。国元が恋しいというのもあっただろうが、初めて実家を遠く離れて気がついたことをアイツなりに整理しているようにも見えた。
 アイツにとって〝先生〟とは正しく〝先生〟でスクールでは教えてくれない知識を惜しみなく教えてくれる存在だったそうだ。その影響なのか知らないが暇を見つけては〝丘の家〟の植生をスケッチしていた。
 俺には縁のない場所なんだが、本当は日本のカレッジに行きたいのだと察しがつく。どうせ自分からは言い出さないだろうから安定期が過ぎた頃に切り出せばいいと思っている。
「人の子は私たちをホタルと呼ぶ」
「なんであんたたちはここにいる?」
「ここがなければ生きていけないからだな。住吉は桂清水を守ってくれる。私たちは生きるために桂清水がなくてはいけない。だから私たちは戦友なんだ」
「戦友、ねぇ……」
「私はお前に戦友にならないか、と提案しにきた」
 戦友。友人。俺には一番、縁遠い言葉だ。家族はアルが勝手に作ったが友人はいない。悪友と名を変えるならなれそうな人材はいくらかいる。あっちからお断りだろうけれども。
「なんの為に」
「解っているだろう。瑠那のためだ。私は彼女のお付きだからな。彼女を守る。お前も彼女を守っている。お互い、利害は一致していると思わないか?」
「あんたは桜さんとやらにお願いされて守ってるんだろ」
「お付きのホタルはみんなそうだな。だが、守ってるうちに情も愛も湧く。生き物だからな」
「そういうもんか」
「そういうものだ」
 わからなくもない。俺だってひとりでスラムを生きていた頃は、赤ん坊を拾って20年近くも育てることになるとは思っていなかった。その間、不思議と見捨てようという気にならなかったのは俺が特異なのか、単に情が湧いていたのか。
「私は瑠那の前は桜のお付きだったんだ。瑠那のおかげで桜は曾孫の顔が見られた。私にとって瑠那は子どものようでもあるし、恩人でもあるわけだ。守らない理由がない」
「ホタルってヤツは随分、義理堅いんだな?」
「ホタルに限らないと思うが。これでも私はお前に感謝している。お前がいたから瑠那は番を見つけて子どもを身籠った。私にとっては驚きなんだ。子どもを作らせるのに絶対に苦労すると踏んでいたから」
 ああ、それもわからなくはない。やたら妹の金の髪を梳いては羨ましげにしていた姿が浮かぶ。黙っていればうちの妹は美少女だ。一言でも喋ると台無しだが。あんなモノでも憧れの対象になるらしい。
 別に子どもが欲しくて抱いたわけじゃあないが、そういう頑なで面倒くさいものを取っ払いたい目論見があったことは否定しない。
「お前の子どもは次代の巫女のよき隣人になる」
「それは預言か?」
「半分は。もう半分は希望だ」
「ふぅん」
「腹を立てないんだな」
「どうして」
「お前が話した宮司――サクヤの今の婿はずっと腹を立てているからな。この社の中核に伴侶や子どもが巻き込まれずにはいられないことが業腹のようだ」
 なるほど。正しく親だ。親がいたことがない俺でもわかる、あって然るべき倫理観だ。俺にはない。
「俺の子どもでも、俺とは別の人間だろ」
 好き好んで巻き込まれにいくなら好きにしたらいい。逃げたいと言うなら手を貸してやらんでもない。少なくとも俺はまだそのガキを俺の目で見ていないし、聞いてもいない。愛情の注ぎ方を知らない俺だから、やれることなんて限られている。だが、自力で勝手になりたいものになれとは思う。
 俺にとってもガキにとっても、結局、それが一番いい生き方だ。他の誰かに生殺与奪の権限を握らせず、くそったれな世界を泳いでいけ。世界なんてものはどこにいたって基本的にくそったれだ。
 ――〝どこにいたってくそったれ〟?
 自分で考えたことに引っ掛かりを覚えた。そうだ。どこにいたってクソなことに変わりはない。生きていれば必ず一度は嫌気が差す。嫌気が差して、大体の生物は折り合いだとか、捨てきれないものだとか、そういったものを見つけるんだろうが、一度は世界を呪う。
 ――呪った先に、呪う方法があったとしたら。
「……ああ、なるほど」
 驚くほど素直にすとんと納得する。
「ここなら竜宮ごと世界を壊せるのか」
 ぴり、と〝先生〟から炎のようなひりついたものが立ち昇った。
 ぽろっと言ってしまったが真理だったらしい。
「安心しろ。俺じゃねぇ」
 怜吏と探偵ごっこよろしく盛り上がった5W1Hの与太話が頭を巡る。なるほど。なるほど。だんだん理解が追いついてきた。ここには社を守りたい奴らが集結している。なんのために。単純な話だ。ここを壊したいヤツが別に存在するのなら、いろいろと説明がつく箇所がある。
 初日に〝竜宮〟とやらの表層にうっかり触って視えたことがある。たぶん、アレは壊れかけの何かだ。
 何かを追求するのが俺の視方のはずなんだが、その前に限界がきた。こんな経験はない、とは言わないが大分、ガキの頃だった気がする。まだ俺の頭の許容量が足りなくてサルバドルの親父にアレコレ手を貸されていた時代だ。
 俺の視方に反応するってことは、アレはおそらくまるきりオカルトというわけではない。
 ぶっちゃけ俺の視界はオカルトとは相性がよくない。幽霊ってものはこっちを見てくれだとか、どうにか助けてくれだとか、そういうことを叫んでいるものだ。俺はいることはわかるが博愛と程遠い性格をしているので、あっちだって手を伸ばして来ない。だから一般的なオカルト向きではないのだ。
 そこまではわかるがその先がわからない。
 竜宮さまが眠る場所。大昔にきらきらしい姫が飛び込んだ亀裂。桂の木の水神が守っている水域。俺にはどれもぴんと来ない。どれも現実にあったことだとしても、抜本的に何かが違っている気がしている。
 人が迷い込んではたまに浦島太郎状態で戻ってくるところ。アトランダムなようでいて完全なアトランダムではない。完全なアトランダムというものはもっと残酷で容赦がないはずだ。飛んでみたら息ができない地中だとか、火口の真上で蒸発するだとか。
 まあ、もしかしたら知覚されていないだけでままあることなのかもしれないが、その桜さんやら葵さんやらの話を聞く限り、息の出来る地上へ戻ってくる確率が圧倒的に高い。
 ――待てよ。
「まさか、逆なのか?」
「逆?」
「いや……」
 アレは壊れている。どこがどうとまでは読み解けなかったが、確かに壊れている。そして竜宮は時と空が歪んでいる。それが歪んでしまっているのではなく、元々〝歪ませる〟のが目的だとしたら。アレの役割は。
 ――だが、そんなもの、誰が持ち込める?
「いや、そもそも時と空が歪んでるなら何でもありなのか……?」
 そこまでされたら俺の頭が割れかけるのも頷ける。だが、果たしてこれは俺の管轄なんだろうか。違ぇよな。たぶん、その消えたタカシとか言うヤツの管轄。しかし、今を生きている人間で管轄できるヤツとなると俺は俺より有能なヤツを知らない。
「はあ、なんでかねぇ……。どっかの御曹司じゃねぇが、気軽な隠遁生活も悪くねぇと思えてきちまう」
 こういうのはもう少し世界に感心があるヤツがやるべきじゃないだろうか。
 生まれたときから知ってることだが、俺は世界の方から嫌われている。平坦な人生なぞ歩める運命にない。たぶん、ここではないどこかで大層な業とかヘイトとかマイナスなものを積み込んだんだと思う。そのツケを払わされている。
 だが、俺は嫌われてる分、まだマシだ。本当に厄介なのは世界に愛されてるヤツだ。コレがまた面倒なことにそれはうちの妹だ。愛されてるからアイツはどんな絶望的な状況になっても生かされて全部の希望を負わされる。ノアの箱舟のノアになるし、アダムとイヴのイヴになる。神に愛されて、なんて美辞麗句だ。そんな人生くそったれが過ぎるだろう。生き地獄もいいとこだ。
 そしてそうなる前にここで呼吸をして生きていたルナが泣く。泣き喚く。俺はコイツが泣くのが嫌いだ。涙に弱いだとか、泣き顔に逆らえないだとか、そういうレベルを通り越して嫌いだ。可能な限り先んじて原因に成り得るものを知らないところで始末して置きたいレベルで大っ嫌いだ。
 そうやって毎回毎回、世界は俺のアキレス健を人質にする。それも含めての嫌がらせか。くそったれめ。だから世界なんぞ大嫌いなのだ。俺が世界を祝福しないように、世界は俺に呪いをかけ続ける。ああ、本当にくそったれ。
「本当に桜が瑠那を拾ってきたのは僥倖だったな。伴侶まで頗る有能だ」
「その言い方はやめとけ」
「うん?」
「未来を見通せる神の社の巫女が月の魔女と原初の魔術師を自分の袂へ呼び寄せた。陸地で拾われた人魚が人間の子どもを拾い、己亡き後も健やかであるよう馴染みの精霊に託した。どっちの側面も真実なら、どっちが大衆受けするか。俺でもわかる」
「……それもそうだ」
 物心ついた頃から勝手に頭にあった荒唐無稽な形容がするりと口を滑り落ちる。何百年も生きたどこぞの石か樹ならば、そんな言葉も気にしないように思えた。
 〝原初の魔術師〟。俺にしては珍しく、根拠も根も葉も何もないことを頭に留め置いている。それが事実だからなのだろう。そう解釈する。重ね重ね荒唐無稽ではある。
 とはいえ〝原初の魔術師〟という意味は解せる。人類史に於いて、その時代から突出した技術や知識は魔法と同じ。俺は一を知れば千まで理解する。ゼロから一を紡げる。全なる一。一なる全。俺はたぶん、あらゆるものの〝原初〟になれる。驕りではなく、過剰ではなく。
「俺は二人で幸せになれるような人間ではねぇんだわ」
 そういう生き方ができるとしたら、長兄や妹の方が向いている。割と放っておいても勝手に幸せになれる奴らだ。でも、俺は違う。そういうふうに生きてるもんで、幸福というものの尺度がどっか壊れている。
 深く寝入っている女を振り向きながら再確認する。
「できるとしたら、どれだけ不幸になっても二人で生きて死ぬだけだ」
 〝先生〟がのんびり笑う。
「よいことではないか」
 切子の酒を呷る。
「二人で居るということが、どんな不幸にも勝る幸福であるのならば」
「……食えねぇ年寄りだ」
 〝先生〟の笑顔は朗らかで、サルバドルの親父の胡散臭い笑いとはまったく似ていない。なのに何でか被って見える。だからわかる。この〝先生〟も俺をガキ扱いしているのだ。そして、何故だかそれほど腹も立たない。
「俺は善人とは程遠い。懐だってそんなにでかくない。本来、大事なヤツの大事な人まで大事に、ってタイプじゃない。いつかにっちもさっちもいかなくなったら、瑠那を優先するし、アイツだけを抱えてトンズラするかもしれねぇぞ」
「それでいいんだ。むしろそのくらいの気骨がないとここではやっていけない。お前がいる限り、瑠那は揺れない。誰が忌避しようとも、せめて私はお前を歓迎しよう」
 節くれだった指が再び切子を持ち上げる。察した俺も舐めていた唇を離して切子を軽く掲げる。
 こん、と合わさった切子同士が澄んだ音を立てた。


 次の朝から俺は目を凝らせばそこら中に人影が見えるようになった。
 正しく影だ。のっぺりとしたそういう妖怪のようだ。一律のような影に見えて、特徴的なシルエットをしたヤツもいる。観察すると、なるほど、そういった特異なヤツは〝お付き〟なのだとわかる。
「お前は誰かのイメージに染められない代わりに、自分のイメージも誰かに押しつけないのか」
 〝先生〟はそう興味深そうにコメントし、変わらず俺たちのプライベートを守っている。
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