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2009/11/03first
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※住吉の朝の一幕
※旦那は親友に紹介しなくちゃね




「ひどい話もあったもんやな」
 早朝のテレビを見ながら麒治郎が苛立ち半分、感傷半分の声でそう言った。
 私は片手が使えないヤツのために、その日の焼き魚の小骨を除去する作業をしていたので反応が遅れた。だからついテレビの画面まで見てしまった。見てからしまったと思った。
「大財閥の汚職と横領やて」
「ああ。騒ぎになってるな。確か財閥当主の父親が退いて、長男が新しい頭になるんだっけ」
「なんでそないなもん、息子がケツを吹かなあかんねん。親が責任取るもんやろ」
「父親に精神疾患があるから僻地で静養してもらうんだってさ。週刊誌で見たけど、告発を決めた次男の方は愛人の子どもだとかいう噂があったな」
「ありえへん」
 麒治郎とノン太が同情を隠さずに言い合う。トンすけが葵さんと早朝のコケモモ狩りに出ているせいでストップがかからない。
 テレビの画面には如何にも薄幸そうな少年が可哀想にふるふると身を震わせて、それでも毅然としたふうに取材陣に向かって受け応えをしている。庇護感を煽る、線の細い、高校生くらいの少年だ。影武者である。よく見つけてきたな。どこにいくら払ったんだ。
 カシス改め佐伯村主と名乗っている男へ視線を戻す。こら、笑うな笑うな。いろいろバレたらマズいのはあんたでしょうに。
「次男は告発の責任を取って、財閥の跡目と庇護下から抜けるって」
「なんで正しいことした方が追いやられなあかんねん」
 うん、まあ、それが本人の希望だからね。長男は斜陽の影が落ちる財閥の頂点の席に着く。次男はさらっと顔を晒さずに表舞台から消える。もっとも兄弟ともども世論の同情を買いに買っているので、破綻とまではいかない。
 正義ばかりで金は増えない。経済は回らない。あの財閥がなければ明日食べる米にも困る人間が大勢いる程度には日本経済に食い込んでいるのだから、斜陽の影なんて一時のものだろう。
「〝あとは一人で頑張ってね、兄さん〟」
 やめろやめろ。下手くそな声真似を私にだけ聞こえる小声でするんじゃない。私まで笑うじゃないか。
「誰か、信用のできる大人が側にいてくれたらいいのにね」
 咲さんが追撃をかけるものだから、焼き魚の身が崩れてしまった。
「……信用のできる大人ですってよ」
「冗談言うな。フィルグラッセのおっさんで事足りるだろ」
「あの人、よく納得したわね」
「全部、終わったらとりあえず婚活させるつってたぞ」
 やめろ、本気でやめて欲しい。婚活て。いや、確かに大事なことだとは思うけど、最初にやることがそれなの。理にはかなってるけどさ。
「瑠那ちゃん、佐伯さん、どうかした?」
「なんでもないです」


 カシスはある場所では緩やかに、ある場所ではいつのまにという速度で住吉に馴染んでいっている。
 村主(すぐり)という名前に元の名残があることに安堵した。私のためにいろいろと失くして捨てた物好きだけど、長らく兄や妹に呼ばれていたその名前まで手離すつもりはないのだと知って。
 いいヤツとは言い難いけど、悔しいくらいにいい男とは認めざるを得ない。でも、やっぱり認めるのは癪。そんな男だ。ヤツと出会ってから私はずっと目まぐるしい。劣等感なんて抱いている暇がない。節々でコイツには私がいないと駄目だと思わされる。でも、嫌じゃない。悔しい。
「それも大丈夫やわ。村主さん、すごいなぁ。ほんま助かるわぁ」
 ヤツが欠伸を噛み殺しながら、つい今し方拾い上げた鶏の卵をサクヤの持つ籠に放った。その直後のサクヤによるのんびりほわほわとした感想である。
 朝の住吉の田畑。境内の清掃が終わった後には、ちょっとした散策がある。畑の野菜の芽を間引いたり、その辺に転がっている鶏の卵を拾ったり。サクヤが感心しているのはカシスが拾い上げる卵が尽く無精卵だからだ。少しくらい有精卵を頂戴しても困らないのだが、気持ちとしては無精卵の方がいい。
 傍から見ると拾う方も受け取った方もなんでわかるんだ、という状態だけれど、どちらの千里眼のカラクリも知っている私は特に驚かない。住吉の外の人たちに見せるわけにはいかないけど。
 ――2年間って長いのね……。
 その一幕を眺めながらそんなことを思う。さっきからちょっと胸がムズムズしてる。嫌なムズムズではなくて、まあ、その、とても恥ずかしいことなのだけど、すごいでしょ、とちょっと、ほんのちょっと自慢したいようなこっぱずかしい感じ。しないけど。舌を噛んででもしないけど。
 もし、私がイタリアに行かずに高校を卒業して、就職先のスタッフとなって暮らしていたとして。こんなふうに思える未来はあっただろうか。人生は何があるかわからないと身を持って知ったから、ないとは言い切らない。けれど、限りなく低かったと思う。
 恋なんてしている暇はないもの、と突っ張っている私。もしくは、ちょっといいなと思える人がいたとしても、他の女性の影を見つけた途端にあっさり手離す私。うん、容易に想像できるところが哀しい。どれだけ捻くれて拗らせていたんだろうと今ならわかる。
 ……いや、まあ、今でも? ほんのすこーしだけ。すこーしだけ、いじけたくなるときはあるけど、習性とか癖とかそんなものだし?
 今のやり取りだって2年前の私だったら、カシスだって本当はすらりと背の高い美人が好みなのでは、なんて考えていたかも。ないけどね。この2年でカシスの悪趣味をこれでもかと思い知った私は、そんなことは起こらないと知っている。
 もしも。イフが過ぎる空想の話だけれど、そんな雰囲気が漂ったらコイツだけは駄目、とカシスとサクヤの間に割って入っていたかも。現実にはならないし、しないけど。舌を噛んででもしないけど。
「やっぱり俺にはわからん。なんかコツがあんのか?」
「ない。大人しく暗所で光を当てろ」
 でかい図体を縮めて卵を凝視していた麒治郎がぼやき、カシスがバッサリと切り捨てる。相変わらずの切り口だ。戸籍上の年齢がタメである二人は、いつのまにやら結構、仲良くなっている。元々、麒治郎は筋を通さないヤツだとか、肝が据わっていないヤツだとか。そういった精神的になよなよしいヤツを除いて受け入れる質だ。カシスにはどっちも当てはまらない。
 食べ物の好き嫌いがないというところも理由な気がする。如何にも偏食家で気に入らないものを絶対食べなさそうな、気位が高そうな見た目をしてるくせに、食べられないものがほぼないのだから詐欺、失礼、ギャップだ。
 スラム育ちの彼は木の根っこだって抵抗がない。出身地的にタコだって普通に食べる。食に頓着がないとも言える。
 カノンが二人の兄とはまるで対極なレンに懐いたのはそのせいだ。初めて自分の作る料理に好みを示した男が新鮮だったから。アルは可愛い妹が作ったものなら何でも美味しいと言って食べるし、カシスは食えれば文句はない。本当に作り甲斐がないとぶちぶちよく言っていた。
 そのせいなのか何なのか。最近、麒治郎の私に対する料理教室が厳しい。両手を使えないんじゃ炊事はお前の仕事になるんだろう、って。予定外の花嫁修業をさせられている。珍しくトンすけまで一緒になって。その通りだけどね。くそう。
「ねむい」
「ひあっ」
 背後から伸し掛かられて変な声が漏れた。首筋をくすぐる白髪がくすぐったい。お腹に回された手が熱い。というか、顔の方が熱い。
 助けを求めようにもサクヤは何故か嬉しそうにニコニコしているし、麒治郎の目はなんだか生温いし。〝先生〟だって、いつのまにコイツと仲良くなったのか助けてくれない。夏野菜をもくもくと収穫していたトンすけの視線まで温い気がする。くそう、味方がいない。味方だけど味方じゃない。
「ねみぃ。モヒート飲みてぇ」
「わかった。わかったから、一回離して」
 早朝だけれど夏だから頬の熱がなかなか引いてくれない。首に掛けたストールに風を通すふりをしながら、田畑の隅、ハーブ類がプランターに植えられているエリアに行く。地植えじゃない理由はお察し。
 伸び伸びと葉を伸ばしているハーブの隣に私がしゃがみ込むと顔が隠れる。後についてきたカシスが手癖で私の髪をいじっている。特に何の特徴もない栗色の髪だと思うんだけど。何が楽しいのかよくわからない。
 摘む傍から生えてくるミントの柔らかな葉を花ばさみで切って籠に積んでいく。ついでに今日も麒治郎に炊事を叩き込まれるだろうから必要そうなハーブの新芽を摘んでおく。ローズマリー、オレガノ、イタリアンパセリ。旦那の味覚に馴染むような洋食を中心に鍛えてくる麒治郎は世間で言う母親みたいだ。
「……?」
 不意に視線を感じて顔を上げようとすると、とんと指でカシスに膝を突かれた。見ないように見ろという合図だ。そっと目だけを動かすと、少し遠くで鹿を愛でている葵さんとノン太がいた。葵さんは換毛期の鹿に夢中なので、こちらをちらっと見たのはノン太の方だろう。
 カシスが来て、ちょっと意外だったのはノン太の反応だった。ノン太は基本的に人が良くて、お節介焼きだ。あと研究肌でもある。
 こう、私がここにもられてきたときのようにちょっかいをかけながら、生態的に興味深いだろうヤツのことを観察するとか。そういう感じを想像していたのに違った。特に仲が悪いということはないんだけど、やや距離を置いているというか。正常な判断と言えばそうなんだけど、らしくないなぁとか。そんなことを考える。
「ねえ、あんた、ノン太かお義母さんに何かした?」
「何も」
「本当かしら。あんた、いつも意識せずになんかしでかしてるから」
「あの高山ってヤツを気にしてるならアレだ。意中の女をものに出来てねーのに、お前の父親気分なんだろ?」
「え」
 花ばさみを動かす手を止める。
 ノン太が葵さんを意識しているのはそれこそ8年以上前から知ってたけど。ノン太の気持ちが一週間と経っていない間にカシスにバレているのにも驚かないけど。でもだからって。
「ええ? そういう?」
「そういう」
 思わず〝先生〟を振り返ったら、深く頷かれてしまった。〝先生〟も同じ意見らしい。
 確かにノン太にはかなり可愛がられていた自覚はある。私の初恋相手だってアイツだ。まあ、始まるより前に終わっていたし、さっくりと手離してしまったから、実は私の初恋って割と健全だったと思う。
 もらわれっ子で所在の無さを感じていた小娘が、比較的、気安く話しかけられてあれこれ世話を焼いてくれるお兄さんだったのだ。懐くし、憧れとか親愛とか、葵さんに対する放っておけない気持ちだとか。諸々を含めて特別扱いしてしまった。そりゃあ、初恋くらいする。
 今、思うととても淡くて可愛らしい恋だ。我ながら少女で乙女だった。心は割れそうに痛くて身体はぐちゃぐちゃに引き裂かれそうな本物を経験した後だと、自分も随分と可愛かったな、と素直に回想できる。
「ノン太と葵さん、何もなかったの? 小さいことでも。何も?」
 ほぼ無音に近い声で〝先生〟に聞いてみた。〝先生〟はすごく静かに首を振った。こっそり息を吐く。
 難しいとは、思うのだ。
 葵さんは今でもずっと新さんが帰ってくると信じているし、ノン太はアレで図々しくなれる男ではない。弱みにつけ込むことが出来ない性質なのだ。うちの旦那と違って。
 そもそも葵さんがノン太を男として見るにはハードルがある。子どもの頃から可愛がっていた自分の娘の幼馴染で、青年時代は下宿先として世話をしていた男の子なのだ。自然と、というのはちょっと難しい。葵さんだし、尚更。
 そうなるとノン太が頑張るしかないのだけど、前述した通りに弱みにつけ込むことができない。実直と言えば聞こえがいいのだろうけれど不器用とも言える気がする。
 二人でいて、二人ともが互いの幸せを願ってばかりでは、二人はずっと平行線のまま終わってしまう。
 ――だからって私が何とかできるわけじゃないんだけど。
 私も学んだ。他者が出来ることなんて少ないし、二人が踏ん張らなければこの問題は何も解決しない。
 でも、心配事はある。
「お義母さん、あっちに落ちて戻って来られる?」
 さっきと同じ、ほぼ無音の声音で〝先生〟に訊いてみる。葵さんお付きの碧ちゃんには聞こえてしまうかもしれないが、碧ちゃんは、まあ、何というかいろいろと甘やかさない性格をしているから。
「葵は新がこちらのどこかに出て迷っていると思っているから」
 つまり私が11歳の頃と変わっていないということだ。私は鷹史さんから聞いて、新さんがもう帰って来ないことを知っている。鷹史さんは自分がいずれあっちに行って戻って来ないことも示唆していた。そんなことを知った上で、私は葵さんの養女になって、さらには鷹史さんの弟子である都の友人になった。今思うとかなり胆力が鍛えられた。
 仕方ないか。たぶん、鷹史さんだって見た目より万能の完璧超人ではなかったのだ。自分が曲がりなりにも大人の入り口付近に立っているからわかる。
 にこにことした笑顔の裏側で、鷹史さんは鷹史さんなりに思い悩んでいたし、誰に何を残していけばいいのか方々、手を尽くしていた。葵さんや都、ひょっとしたら桜さんもかもしれない。もちろん、サクヤも。彼女たちのために彼は私に手伝って欲しかったんだろう。でも11歳の小娘に助けて、手伝って、なんて重荷に感じるようなことは言えない。よき隣人になってくれ、で精一杯。
 俺が新さんを殺したんだ、なんて伝え方もだ。殺したようなものだ、だけでも受ける印象は随分変わってくる。実際に声を出せないと、そういうところ、不器用になってしまうのだろうか。
 隣でカシスが鼻を鳴らした。コイツのことだから、また身も蓋もない、コイツにしか通用しないような悪態を吐いているんだろう。すぐに口の端に登らせないだけ、まだ大人しくしている方だ。
 さらさらと吹いた風がハーブの葉と一緒にカシスの髪を揺らす。少し伸びたな。あとで切ってやらねば。いつもしていた甘ったるく苦い煙草の匂いがしない。サンダルウッドの少しスパイシーな香りがする。私が妊婦だからだろう。
「ねえ」
「何だ?」
「……ありがと」
 相当に頑張って絞り出したあとにふいと目を逸らす。暑い。今日も猛暑日になるのだろうか。
 後ろからくつくつと楽しそうな笑い声がする。あーあー何のことか知らない。わからない。
「瑠那ちゃん」
 いつのまに田畑に降りてきたのか、咲さんに呼ばれた。ちょうどよいので逃げるように早足で向かう。お腹が揺れない程度に。なんだろうか。咲さんがにこにこしている。いや、咲さんは緊急事態やお叱りモードのとき以外、基本はにこにこしてるんだけど。
 これは何かあったときのにこにこ顔だ。
「都ちゃん、会いに来るんですって。桜さんのお墓参りのついでに。お迎えお願いね」
 なんですと。
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