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2009/11/03first
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※行方不明から帰って来た月城豊。
※1年前の災厄の内側と紀野さんを書くための物語。(豊と紀野さんのやり取りは趣味全開)
※毛色の異なる奴らの存在が出て来るためか今回はボカロじゃない。

BGM:アイネクライネ/米津玄師







 それから1年足らず。僕は血の滲むような努力をした。否、それは適切ではない。正確には本当に血反吐を吐きながら努力をした。
 日常生活のリハビリさえままならなかった僕が拳銃の引き金を引き、分厚いナイフの握り方を知るまでには、それくらいの努力が必要だった。中途半端に目覚めて放ったらかしにされた“憑き代”としての力の使い方。“その道”の原理現象の基礎。日々、筋肉痛と片頭痛に泣く全身を奮わせて、睡眠を惜しんでペンを取らなければならなかった。
 何もかもがゼロからのスタートだ。
 改めて言うと僕は別に天才なんてものじゃない。吸収率と記憶力が少し良かっただけの常人だ。だから血反吐を吐くまで頑張らなければいけなかった。勉強ができなくても死なないと過去のボクは思っていたけれど、今は勉強をしないと死ぬ状況になっていた。具体的に言うとしたら、今、僕はちょっといい大学のどこかの学科で卒論を書けるくらいの知識量を有している。それでもそれがまったく自慢にならないということは、僕の専属教師になった紀野さんから直々に思い知った。
「紀野さんも僕くらいの頃に同じくらい勉強してたの」
「うーん、もうちょっと……かな」
「え。大学院受験? とか?」
「うーん、もうちょっと」
「……修士?」
「博士かな」
 隈のできた顔で机に突っ伏した僕は悪くない。それでも紀野さん本人は天才ではないと言う。やりたいことだけをやり過ぎた結果、それ以外はてんでポンコツになってしまったとか。確かに。
 現実、紀野さんのネームバリューは西洋の土地でかなり機能していた。少し強引な手段でビザを発行してもらったり、どこそこの資料館で優先的に調べものをさせて貰ったり。
 何故、そんな人がどの組織団体にも属していないのか疑問だった。しかし、行く土地によっては偽名を使っていたので何となく察した。たぶん、まだサントリーニのアパートメントで僕がポンコツになっていた頃に話してくれた“青春時代”が関係するんだろう。寝入り際にさらっと触れてみたこともある。
「昔は所属していたよ。そうだね。君が対抗しようとしている“彼”に匹敵するくらいの人がごろごろいた」
「なんでやめたの?」
「簡単に言うと友人のひとりが亡くなって、ひとりは裏切り者になって、僕はその責任を被ったんだ。それで追放処分。僕にはそれくらいのことしか彼らにしてやれなかった」
「ずっと濡れ衣ってこと? つらくない?」
「本人たちの方がずっとつらいさ。ひとりはとても正義感が強かった。ひとりはとても魔術師としての誇りを重んじていた。それが衝突したんだ。正義漢にも魔術の超越にも半端だった僕は、ただ流されるだけだった」
「……紀野さんには、大事なものが、なかった?」
「そうだね。彼らほど熱くなれるものがなかった。勉強ができるだけの餓鬼だったのさ」
「ずっと今も?」
「そうでもないかな。追放された後の方が、いろいろやれた実感があるし、何より人に感謝された」
「たとえば?」
「心霊現象[ポルターガイスト]をどうにかしたり、失せ物の追跡をしたり、占い……っていうか占いと称したカウンセリングをしたり」
「それ、一流の魔術師の仕事じゃないよね」
「それでいいのさ。僕でなければ駄目な仕事じゃあない。けれどそれをしたのは確かに僕なんだ」
 そういうものだろうか。人は「自分でなければ駄目」を欲しがるものだと思っていた。僕は、“あれ”に片をつけるのは僕でなければと思っていたけれど、そうではないのかもしれない。うん。だって、紀野さんレベルの人がごろごろしている組織があるなら、そちらが適任と言われてしまえばそれまでだ。でも、それでも僕はこうすることを選んだ。
 きっとこの世に「その人でなければ駄目」というのは極少ない。それでも誰かがそれをやるのだ。誰かが為すのだ。
「少し非道いことを言うとね」
 ベッドスタンドの灯りだけの薄闇の中、紀野さんは目を伏せる。
「君や、困っていた彼らを救うことができたら、いや、それは傲慢だな。救えたと感じることが出来たら……少しは僕の生まれてきた意味があるのかな、って縋ってるだけなんだ」
「生まれた意味なんてないよ」
 僕が答えると紀野さんは寂しそうに苦笑した。
「僕らは僕らの意思なんか関係なく生まれてきたんだ。親も境遇も選べないまんま。生まれた意味がなきゃ生きていちゃいけないなんて割に合わないよ」
 紀野さんはちょっと目を見開いて、それから目元を擦っていた。歳を取ると涙脆くなるって本当なのかも。どこに泣いたのかはよくわからないけど、きっと思い出話なんかをしたせいだろう。


 西洋をぐるりと一周してシチリアに身を置いたとき、紀野さんは1ヶ月ほどモーテルをキープすると、どこかへ出かけて行った。そう珍しいことでもないので僕は留守番がてら猛勉強である。山と積まれた参考書(という名の専門蔵書)をひたすら頭に叩き込む作業だ。
 紀野さんは夕刻に困ったような顔をして(この人は割といつも困ったような顔をしているけど)帰ってきた。
「電子妖精(エレクトロ・ウィルス)って知っているかい?」
 電子妖精(エレクトロ・ウィルス)とは僕が小学生の頃に流行ったオカルトである。その頃、海外で急激に特定の会社の株が暴落したり、大手銀行のセキュリティが破られて大問題になったり、大財閥の管理コンピュータにウィルスが放たれたりとインフォメーション・テクノロジー関連の事件事故が相次いだ。ニュースの実話からどこの政府機関は既にクラッキングされて壊滅状態だとか、そこの大会社のホスト・コンピュータは既に乗っ取られているだとか、尾ひれ胸びれがつきまくり、それらはすべて一人の人間によって為された、なんて誰かが言い出した。
 そんなちょっとした社会的怪現象がネット社会で話題になった。あれこれを一括りにして電子妖精(エレクトロ・ウィルス)と誰かが名付けた。それがそのまま“一人の人間によって”という噂と結びつき、今ではその存在するかも怪しい人物の愛称になっている。
 もっともそれ自体、僕が小学生の頃――それこそ10年かそこらは前の話だ。
「知ってますけど、それがどうかしたんですか?」
「いや、その電子妖精(エレクトロ・ウィルス)に会おうと思ったんだけど、もうここにはいないらしくてね」
「…………はい?」
 素で間抜けな声が出た。
「もっとも電子妖精(エレクトロ・ウィルス)はネットの俗称だから正しくはないんだけど」
「待って」
 最初から説明をして欲しかったが、そうなるとまた話が長くなりそうだ。
「ひとつだけ確認させてください。あの一連は噂ではないんですか?」
「ああ、そうか。無理もない。僕もどこからどこまでが“彼”の仕業かは知らない。それは本人の頭の中に聞くしかないね。ひとつ言えるのは電子妖精(エレクトロ・ウィルス)と呼ばれている現象の大多数をたった一人で成し遂げられるような天才が一人いることは業界では有名だよ」
「何故そんな人と知り合いなんですか?」
「電子妖精(エレクトロ・ウィルス)はハッカーではあるけれど、本業はサイバーテロじゃあない。情報屋(インフォーメント)だ。放浪の身には有難い存在だよ。ちなみに裏の通称はCode:C(コード・シー)。僕らの間ではこっちの方が有名かな」
 味方のときは、の話だけれど。そう言って笑ったらしい紀野さんの顔はまったく笑えていなかった。たぶん、味方じゃないときがあったんだろうな。
「もし、君が本気で“彼ら”と相対するつもりでいるのなら、これ以上の味方はいないと思ったんだけど」
 紀野さんは溜め息を吐いて僕に一枚のレシートを差し出した。
「辿れた経歴は今から8年前まででね。シチリアのファミリーで幹部をしていたらしい。表向きは死亡扱いだったけれど、情報屋(インフォーメント)相手に真偽を測ることほど無駄なことはない。で、食い下がって何とかこれだけ入手できた」
 レシートの裏側には何かのコードが走り書きされていた。使い捨て覚悟のノートパソコンで、コマンドプロンプトに意味の感じ取れない文字列を入力する。画面が真っ白に染まった。かと思えば簡素な数列と罫線が走った。電源以外のすべての機能が停止されたそれは、さながら妖精[ウィルス]の浸食だった。
 十数分の時間を要してそれは何かを示す“パズルゲーム”だと気がついた。紀野さんはすぐに気がついていたようで、僕がそう呟いてから「え、今?」と素で驚いていた。嫌味ではないのだろうけど無性に悔しい。
「言ってしまえば挑戦状……いや、権利書のようなものかな。少なくともこの程度をクリアしなければ自分に謁見させる気はない、という意思表示だろうね」
「では僕が解かなければならないと?」
「君がそれを望むと言うのなら。分かるかい? 私は提示するだけだ。私に出来ることは君に可能性を与えることだけだ。最悪の道を選びがちな頭の悪い君に、だ」
 叱っているつもりなのだろうけれど、紀野さんにはまったく威厳と貫禄というものがない。
 それから僕は3日間、食べる暇と寝る暇を惜しんで暗号パズルの読解に取り掛かった。その間、あれだけ小言の多かった紀野さんが僕に苦言を呈することはなかった。おそらくきちんと食べて眠って、なんてしていたら解けないことを紀野さんも理解していたからだろう。血反吐を吐いて勉学と実践に勤しんでいた僕だけれど、脳髄が焼けて脳漿をぶち撒けるかと思った3日間だった。
 そうして丸3日。何ともふざけた文字列になった回答をどことも知れないアドレスに送信して、返ってきたのはたった一言。「あと3分32秒08遅かったら不合格だった」。本当に寝食している暇はなかった。


 それから一週間ほど。使い過ぎた脳を休ませているとモーテルの内線が鳴った。
 突っ伏していた僕に代わって紀野さんが対応した。
「わかりました。10分後、出かける準備をして置きます」
 耳だけ澄ませていた僕はベッドから飛び起きた。紀野さんの口から滑り出たのが流暢な日本語だったからだ。僕が知る限りでは20ヶ国以上の言語を修得している紀野さんから、母国語が飛び出すなんてレアだ。特に僕が師事するようになってからは意図的に日常会話から日本語を外すようになっていた。昨日はフランス語、今日はラテン語、次の日はひっくり返ってマレー語なんて飛び出して来たりする。
 その紀野さんが日本語を話している。僕にとっては立派な非日常だ。
 内線を切った紀野さんはいつもより少しだけ強張った表情で僕に外出の準備を命じた。くたびれた薄手のコートを羽織る紀野さんを横目に、僕はお気に入りのパーカーを被った。
 その時期は自己崩壊からの自己嫌悪が酷い時期で、とにかくあまり顔を晒す格好を嫌っていたのを覚えている。すっかり風変りしてしまった白髪とラベンダーの瞳を受け入れるか否か。僕としては割と深刻な問題だったのだけど、過ぎてしまえばそれも普通の人間が思春期に通るひとつの課題だと納得してしまう。あの頃、容姿へのコンプレックスを識らずに育った元の月城豊の方が余程、不健全な存在だったのだ。
 きっちり10分後。モーテルの前に停車した黒塗りの車に僕は思い切り面食らった。ロールスロイスファントム。安さが売りのモーテルの表玄関には到底、似つかわしくない最高級車が鎮座していた。映画やドラマで各国のVIPが乗っているアレである。
 紀野さんが運転手のSPと案外、易く会話していなかったら僕はこれから人身売買でもされるんじゃないかと疑っていたところだ。いや、嘘。疑った。ものすごく疑った。そのSPだって見るだけで判る素地の良い黒スーツに決して飾りではないサングラスという出で立ちだったからだ。
 ファントムは市街地を抜け、国内の一等地へと走った。乗り心地? 個人的には最悪だった。想像してみてほしい。運転しているのも後部の座席に座っているのも強面の黒スーツのSP。いくら車内が広々としてお茶とお菓子が出されたって手を出せたものじゃない。普通に食べて飲んで「ご馳走にならないのかい?」とか訊いてくる紀野さんなんて異星人に思えた。お菓子? 食べたけど味なんて覚えてないよ、もちろん。
 それでまあ、長いことうろうろして着いた先には馬鹿でかくも一目で高級とわかるモーテルがあった。僕らが駐屯していたモーテルが掃きだめに見えるくらいの立派なヤツだ。今だから冷静に考えられるけど、僕らのビジネスホテルからその高級モーテルまで最短距離で走っていなかった、って事実もおっそろしい。やけに長いなぁ、と思っていたら回り道だったわけ。何を警戒していたのかとか考えるのを放棄するしかないよね。今でも考えたくないもん。
 この間、紀野さんとSPは無言だったわけではない。断片的ではあるけれど短くやり取りはしていた。ただし、随分とちぐはぐに。例えばSPがラテン語で何かを話せば、紀野さんはスペイン語で返し、それに中国語で回答が返ってくる。といった具合だ。暗号化するほどの話題でもないが、彼らの中ではそのやり取り自体、攪乱が必要なものだったのだろう。
 で、そのSPに連れられて通された部屋は当然のように最上階のロイヤルスイートだった。扉を開ける際、SPは初めて僕に向けて言葉を発した。日本語で。
「くれぐれも粗相のないように。逆鱗に触れてはなりません」
 日本語で。それは確実に僕に理解させるために選んだ言語、ということだ。
 僕はその頃になると最早、緊張だとか、恐怖だとか、そんなものが一周してしまって妙に胆が据わっていた。自棄になった、とも言う。
 僕が頷くとSPは部屋の中へ呼びかけた。「Com licença(クン リセンサ)」「Ja(ヤー)」。呼びかけはポルトガル語、返ってきた声はドイツ語だった。
 かくして僕が邂逅を仕組まれた人物はスイートルームのテラスにいた。地中海の碧と蒼を臨む広々としたテラス席。瀟洒な造りのテーブルには数粒のショコラとほのかに珈琲が満たされたカップ。ガラス製の花器には色鮮やかなアネモネとピンクのゼラニウム、そっと添えられたカモミールの花がアレンジメントされている。
 そしてそのテーブル席。“彼”はやや退屈そうに小説本のページをめくっていた。
 ハンサムというよりは美形。美形というよりは美人。美人というよりは麗人。
 艶やかでさらりとした黒髪、恐ろしく肌理の細かい肌。年齢や国籍はよくわからない。10代と言われても、逆に40代と言われても納得してしまいそうで、東洋人と言われても欧人と言われても不思議とは思わない。
 麗人というものは目にして見惚れるタイプと背筋が凍るタイプがいると思う。“彼”は間違いなく後者だった。少なくとも僕にとっては。本能が悟ったもん。敵に回したら死ぬって。国家レベルの重鎮はあんなのがごろごろいるのかと思ったけれどそうじゃない。あの人が異常なのだ。
 まあ、あの人はそれ以外にもいろいろと異常だったのだけど。オカルト的な意味ではなく、感性的な意味で。
 本を閉じて僕らに向き直った彼は、それはそれは綺麗に微笑んで見せた。恥ずかしながら無意識に一歩、後退りをしそうになった。見惚れるような笑みではあったけれど、その目は全く以て笑っていなかったからだ。
「お久しぶりです。変わらず息災のようで安心いたしました、ミスタ」
「そこまでだMonsieur(ムッシュ)。此度、Code:C(コード・シー)にコンタクトしたのは君ではないようだね?」
 紀野さんは眉根を下げて、僕にしかわからない程度に小さく息を吐いた。少し苦々しいものだったように思う。
 そうして一歩退いた紀野さんを見て僕は悟る。この理解の領域を超えた化け物(Monster)に対峙しなければならないのは僕の方であると。
「月城豊。国籍は日本。本籍は京都府。実家は骨董商。祖父は大学教授、祖母は鬼籍。男親は祖父と同じ大学教授、母親はNPO法人所属で海外在住。昨年の3月まで地元の中学校を修学。2月時点で第一志望の高等学校に合格も、3月中に突如として海外に渡航。現在は休学扱いと。……高等学校の休学手続きの電話口に出たのは君の父親ではなかったようだけれど」
 そう言って彼はちらりと紀野さんを見遣った。気まずげな顔の紀野さんの頬を一筋、冷や汗が流れていったのを僕は見逃さなかった。
 対話に於いて主導権を握る術はどうやって自身のアドバンテージを相手へ提示するか、だ。お前のことは知っているぞ、という開示は軽いジャブどころか横っ面をぶん殴る正当な武器である。僕が”ボク”でなくて良かったかもしれない。”ボク”のままであったならもっと激しく動揺していただろうから。
「……顔色が変わらないね。予想より肝は据わっているのかな」
 彼は隠すつもりのない独り言を呟く。そしてあの全く笑っていない顔で僕に微笑みかけた。
「それじゃあ非常に若い勇者に命題だ。何、簡単な質問さ。その代わり示唆(ヒント)も教授(オーディエンス)もなしだ。さて」
 ”一体、僕は何者でしょうか?”
 悪戯になぞなぞを囁く悪魔のように彼はそう言った。間抜けな声を漏らさなかっただけ僕は褒められるべきだ。
 そこまで言い切ると彼はまるで自分の仕事は終わったとばかりにショコラに歯を立てる。紀野さんは黙したまま、それでも心配そうに僕を見つめている。ああ、そうか。紀野さんは自身も通った道なのか。妙に納得しながら思案する。あまり時間をかけてはいけない。なんとなくだが、彼がテーブルの上のショコラ3粒を食べ切るまでがリミット。そう感じた。
 だが、きっと深く考えすぎない方がいい。これは確かに試験(テスト)ではあるだろうが、きっと正答というものは存在しない。論点はたぶん、その回答を彼、いや、”彼ら”が気に入るか否か、だ。これは偏差値を計るものではなく、ビジネスパートナーを選ぶためのものなのだから。
 ならば。
「……花屋(Fioraio)」
 ぽそりと言った僕の回答に、彼は2つ目のショコラをかじる手を止めた。ほんの少し目を見開いている。
「……根拠を訊こうか?」
「……手。ハンドクリームはつけているみたいだけど、ひびとあかぎれの痕がある。普段、水仕事をしてる人の手。それと体。スーツ越しだけどもやしじゃない。細身ではあるけどSPに任せきりにしている体に見えない。ちゃんと筋力がある」
 喋りながら今さら逆鱗には触れないように、と釘を刺されていたのを思い出した。いや、でもここまで言ってしまったら後の祭りだ。
「水仕事があって、体力が要る。……あとは、テーブルの花」
「これが?」
「ここが日本なら綺麗だけど……シチリアの一等モーテルでその花のチョイスは在り得ない」
 アネモネ、ピンクのゼラニウム、カモミール。日本だったらそりゃあ綺麗な花束になるかもしれない。でも。
「日本と西洋では花言葉が違う。アネモネは期待と見捨てられたもの。ピンクのゼラニウムは疑い。カモミールは逆境に耐える。……一等地のモーテルがそんな花を装飾に使うはずがない。なら、それはあなた自身がアレンジメントした示唆(ヒント)。……そう思った。あと、」
「Stop、そこまでで構わない」
 彼はふわりと髪を掻き上げた。そうして初めて見えた右耳の小型インカムに戦慄する。気づかなかった。それは、たぶんつまり。
「合格だ。Code:C(コード・シー)は君に協力しても構わないとの返答だ。僕からは祝いの言葉を贈ろう。おめでとう、豊くん」
「……この部屋は」
「趣味は悪いけどこれが”彼”のやり方だ。悪いね」
 全く悪びれていない口調で彼は苦笑した。彼の隠すつもりのない独り言は、正しくは隠してはいけない独り言だったのだ。この部屋に入ってからの一挙手一投足は、ここにはいないCode:C(コード・シー)を名乗る誰かに傍聴、あるいは観察されていた。部屋へ一歩踏み入った瞬間からこの馬鹿げた試験(テスト)は開始されていたのだ。
「さて、お許しが出たところで正式に挨拶をして置こう。君は聡明にも勘違いしていないだろうが、僕自身はCode:C(コード・シー)ではない。姓を大宮寺、名を怜吏という」
「……え」
「おや、驚いた顔は案外幼いね。言うまでもないがこれは嘘じゃあないよ。そして君が指摘した事項も正解のひとつだ」
「……どちらかというと、あなたが若すぎることに驚いています」
「ああ、成程。君はニュースをきちんと見るタイプか。何、僕ってそんなに老けて見える?」
「有体に言って年齢不詳に」
「ひどいな。しかし豪胆だ」
 彼はからからと笑って見せたが、全く笑える内容ではなかった。
 電子妖精(エレクトロ・ウィルス)が流行ったちょうど翌年ほど後、日本の経済界ではちょっとした事件があった。現代にまで続くとある大財閥の代変わりで騒動が巻き起こったのである。
 金融はもちろん、電器産業、薬品工業、食産、不動産。あらゆる経営の流通に関わっていたその財閥の名こそが大宮寺だ。どんな騒動かというと、当時の当主と幾人かの政治家がいくつかの産業法に抵触すると暴露され、吊し上げられたのである。その暴露の発端となったのが財閥内の身内だったものだから尚更、世間は大騒ぎになった。
 その後、当主は実質追放処分として隠居、次代の当主が立てられ、歳月をかけて信用を取り戻しつつある。といった感じの内容なのだが。
 怜吏という名前はその吊し上げの発端となった財閥の次男坊の名前ではなかったか。
 彼の狡猾なところは決して面を表社会に出さなかったことだと当時のボクは思っていたようだ。流出した情報さえ操作し、空いた当主の座に自身が座るかと思えばそこには実兄を座らせ、自分は幹部の末席である顧問に小さく名が載る程度にした。云わば摘発の張本人となりながら顰蹙や反発を喰らわない為、世間に「気付いていながら止められなかった自責」を広めたのである。自ら自責を示した者へ向けられるのは言葉の刃ではなく、一抹の同情だ。つまり彼は「優秀な方だったろうに残念ねぇ」と惜しまれながらひっそり表舞台から消えてみせたのだ。
 彼が本当に20になったばかりだというなら、逆算してみればどうだ。当時、彼はまだ13歳だったことになる。 
「そろそろ身に染みてきたと思うけれど、こちら側を見ると言うなら年齢とか立場とかに囚われない方が良いよ、豊くん」
「ひどい言い草ですね、ミスタ。彼の言う通り、今の僕は一介の大学生で駅前の花屋のアルバイターです」
「それが常人には立派に理解に苦しむのだよ、Raggazo(ラガッツォ)。為政者の器である者はその資格に縛られるものだ。奔放に住宅街のアパート住いで花屋のアルバイトをする財閥顧問なんて君くらいだよ」
「生憎ヒルズ(高すぎるところ)は好きじゃないからね」
 仕事は終わったとばかりにテーブルにぺたん、と顎を乗せた財閥御曹司の許に先程のSPがブラッドオレンジのジュースを運んでくる。打って変わって小学生のように花を飛ばしながらストローを咥える彼の傍ら、SPはそっとコーヒーのカップを下げていった。なるほど、こちらが彼の素なわけだ。
「……本当に花屋では働いてるんだ」
「本当だよ? チェーンでも何でもない小さいとこ。せめて財閥傘下の店で、なんて言われるけど嫌だね。エリアマネージャーの引きつった顔ばかり見るもの。早く顧問なんて要らない役職から抜いてほしいよ」
「当面は無理でしょう。財閥内にはあなたの言うことしか聞かない者もいるのでは?」
「やっぱり完全解体させるべきだった。兄の顔を立てるなんて楽じゃないね」
 無邪気(イノセント)な目をして何を物騒なことを言っているのか、この人。
「Code:C(コード・シー)とは、どんな?」
「歳は離れてるけど腐れ縁ていうのかなぁ。うちの情報機関に在籍させて貢献して貰う代わりに、たまーにこうしておつかいを頼まれるの。断るに断れないのが腹立つよね。あんな危ないの、他に野放しできないしさ」
 「実際、Code:C(コード・シー)が信用しているのは彼の慧眼だけってことさ」と紀野さんに耳打ちされた。つまり彼の眼鏡にかなわなければどんな人間でもCode:C(コード・シー)の協力は得られない、と。どんな形かはともあれ、一種の信頼関係にあるらしい。
「何はともあれ、あとは勝手にヤツの方から何かしがのコンタクトがあるだろう。あいつに見抜けない情報なんて地球上探してもそういくつもない。君がいつどこにいようと不利益はもたらさないと思うよ」
「……報酬、とか」
「あいつにとって金銭はあっても困らないものであって、かけがえのないものではないよ。あいつの行動はあくまであいつ自身の暇つぶしのためだけのものさ。言ってしまえばあいつの人生のほとんどは”暇つぶし”の領域なんだ。だからこそ君のような奇異な経歴の人間はあいつの享楽の対象なんだよ。僕もだけど」
 あいつの価値観を理解しようとしない方がいいよ、と怜吏さんは言った。まあ、僕には怜吏さんの価値観もいまいち理解できていなかったけれど。
 それから怜吏さんは良ければ残りのモーテルの宿泊権利を譲ると言ってくれた。3日程だった。落ち着かないだろうなとは思ったけれど、思い切って頷いてしまった。だってベッドがもっふもふだったから。もっふもふ。すごいよね、あんなところで毎日寝てたら腰が弱くなること間違いない。
 当人は早々に帰ってしまった。理由が「バイトのシフトが詰まってる」なんてものだから、違和感しかない。

 後に帰国してから「夢の国に行きたくなったから行こー!(スタンプ)」なんて思いつきでLINEをしてくる割と破天荒な人だと知ったのはまた別の話である。そしてCode:C(コード・シー)と直接、言葉を交わしたのも帰国した後のこと。
 

 1年足らず。僕と紀野さんのあてのない旅は続いた。本当にあてなんかない旅だった。強いて言うのなら、僕の自分探しと言えばそれらしいかもしれない。
 紀野さんは約束通り僕に身を守る術を教えてくれた。僕は“僕”を認識する度に、元々持っていたらしい“憑き代”としての血を開花させていって、時折、紀野さんの仕事を手伝うようになっていた。憑き代という名の通り、僕は人が神と崇めたナニカの声を聞いたり、カレらと直接的に対話したりすることに特化していたようだ。
 ただし、最初のうち、紀野さんはなかなか僕を実践登用してくれなかった。曰く、自分のかたちうつわさえ曖昧にしか理解できていない僕にとっては自殺行為だと。人であれ、ナニカであれ、他者を認識するには自己認識が確立されていなければ戻れなくなる。そういうことらしい。
 最初に予測した通り、身に覚えのない連中に狙われることもあったけれど、Code:C(コード・シー)の協力を仰いでからは明らかに激減した。それはそれで若干末恐ろしかったけれど、深く考えたら負けだと思うことにした。
 1年足らず。早かったのか、遅かったのか、よくわからない。個人的な感覚としてはその中間くらい。
 あてのない旅に終止符が打たれたのは、実は特に何でもない、予測可能だったハプニングがあったからだった。


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