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※行方不明から帰って来た月城豊。
※1年前の災厄の内側と紀野さんを書くための物語。(豊と紀野さんのやり取りは趣味全開)
※勝手にノンちゃんを妄想すいません。







 僕が1年という月日を自覚したのは、バレンシア郊外のアーモンドの花が満開になっていたからだった。アーモンドの花は薄いピンクの小花で産業革命が世界情勢を変えてしまうまでプロヴァンスの名物だった。仄かに甘く香るところは桜よりも梅に近いかもしれない。
 紀野さんの運転するバンから花びらを掬ってみたけれど、胸に感慨は落ちない。日本に花見という文化があって、毎年、その時期になるといそいそと重箱を洗っていた記憶はある。でも僕は桜のようなアーモンドの花ではなく、アーモンドの花のような桜、としてその風景を受け止めていた。
「日本人なら花見と洒落込むところだね」
「トゥロン(アーモンドフレーバー)のドゥルセ食べたい」
「君は色気より食い気か」
 紀野さんはからからと笑って元気でよろしい、と言った。そう言った紀野さんの方が僕の何倍も嬉しそうにしていた。後で聞いたら我儘も子供の仕事だと言われた。そういうものか。


 屋台で買ったバレンシアオレンジのジュースで喉を潤しながら、街角で紀野さんを待つ。店頭で吊るした果実から目の前で絞ってもらえる果汁100%のジュースだ。
 紀野さんが一人行動でカフェや取引先に出向くことは少なくはない。クライアントの都合であったり、僕がこうしてただ街中をぶらつきたがったり、理由はいろいろだ。この間までドイツのじゃがいもや白アスパラガスのスープと子牛肉だったから、久しぶりに地中海の魚介がたっぷり入った何かを食べたい。
 バレンシアならパエージャでもいいかもしれない。スペインといえばパエージャ、というのは日本人の発想でアレは実は日本で言うお赤飯とかの位置づけだ。でも確かパエージャの本場はここバレンシアだったはず、なんて考えながら石造りの街に突っ立っていたときのことだった。
 急に腕を引かれて僕は身を固くした。凶悪事件さえ少ないと聞いてはいるが、それでも軽犯罪はどこもかしも跋扈している。その類かと警戒したのだ。
 けれど、顔を上げた先で僕は目を瞬かせた。
 僕の腕を掴んだ日系人、否、明確に日本人の男性が信じられないものを見る目で僕を見ていた。そしてその顔には覚えがあった。正確には僕にはなくて、“ボク”にはあった、だけれども。
「……高山さん?」
 高山望さん。住吉神社に下宿している大学の研究助手で、僕の祖父とも縁があった、人の、はず。何度か会ったこともあった、と思う。
 僕はびっくりしていた。
 いや、別に彼が海外にいることは不思議じゃあないし、昔からあの街の住人だったのだから僕の顔を知っていてもおかしくはない。急に腕をつかまれる、なんて事態もここ1年の間になくはなかった出来事だから、特に。だからそこには然程びっくりしなかった。
 びっくりしたのは、住吉の住人に会っても僕の胸中が凪いでいたからだ。
 あれだけの恐慌状態で飛び出した街だから、もしかしたらもう帰れないかもしれないとまで思っていた。ボクが死んだ事実を、シズクさんが消えた事実を、僕はいつまでも受け入れられないんじゃないかと思っていた。
 けれど、いざボクを知る人の前に立ったとき、不思議と頭も心も静かなもので、その静けさにほんの少し切なくなった。それはつまり、自己崩壊を起こした月城豊(ボク)がほぼ完全な形で月城豊(僕)にすげ代わったことを示している。強くなったんじゃない。思い出として昇華したんじゃない。ただ単純に僕という存在が変質しただけの話。それは、なんというか、不気味な出来事だと僕はやたら客観的に理解していた。
 そんなことを考えていたから、しばらく望さんを放ったらかしで無言になっていた。
 睨むでもなく、手を振り払うでもなく、ぼんやりしていた僕に望さんは随分困惑していたようだった。割と整った顔立ちの目が自信なさげに泳いでいる。
「え、と……あー、君、月城教授のお孫さん、でした、よね?」
 ――おや?
 自信がなかったのは僕が誰だかはっきりしなかったからか。それともはっきりと判断できなかったのか。
「……あなたの知っているその子は何色の髪?」
「何色って……あれ、ええと」
 ああ、そういうことか。僕はひとり納得する。
 この人は随分と古くから住吉神社に下宿している。もしくはそういう素養があるのかもしれない。だからたぶん、忘却補正が中途半端なのだ。彼の頭の中にはまだ2人の僕が混在していて、いざどちらが本物と問われると混乱する。そういうふうになっている。たぶん。おそらく。シズクさんについてはどうだろう。いたような気がするけど顔がはっきりしない、くらいだろうか。
 神社に出入りしていて縁もある望さんがこの様子だとすると、忘却のかかり方も結構ムラがあるのかもしれない。なんて他人事みたいに考えた。
「……冗談。お久しぶりです」
「あ、ああ」
 あーだこーだ頭の中身を捻っているらしい望さんの思考をぶった切って、僕はそう挨拶した。別に、無駄に人を悩ませる趣味があるわけじゃない。
「えーと、何故こんなところに?」
「留学みたいなものです」
「友達に相談もなく?」
「うん。急だったから。どうせ怒ってるのは弘ちゃんでしょ。馬鹿みたいに人を信じるから」
 ”ボク”の記憶を掘り返しながら、口調のペースを作っていく。大丈夫。元々は”ボク”だったのだから、うまく、できる。
「馬鹿みたいに人を信じるから。割を食うんだ。ホント、暑苦しくて、鬱陶しい」
 彼の信じた幼馴染で、親友で、悪友の月城豊はもういないんだ。それでも石元弘平という人間は馬鹿みたいにボクを信じているのだろう。ここにいるのはどう演じたところで僕だけど。
 僕を掴む望さんの手に、また力が入った。
「急に、消えるのは、よくない」
「……」
「それに肉屋の倅だけじゃない。トンスケだって、あいつ、学校帰りに君の店を覗いて溜め息吐いてる」
「は?」
 寝耳に水だった。どういうことだ、”ボク”。”ボク”はトンちゃん? 住吉の神社の子に嫌われてるんじゃあなかったっけか。弘平と遊ぶときも、義巳と遊ぶときも、織居鳶ノ介は一緒じゃなかった。避けられてるのなんて知っていた。”ボク”は納得していたはずだ。
 それがどうして? どうなっている? 海の向こうで何が起こってるんだろ。
「どうして?」
「どうして……?」
「だって、僕は嫌われていたはずだよ。大切な家族の代わりに、嫌いなヤツがいなくなって、ふつうは安心するんじゃないの?」
 あ、しまった。
 そう思ったときにはもう望さんの目の色が変わっていた。気がついたら望さんの手が振り上げられたまま止まっていた。怒っている。そのくせ、顔は泣きそうなくらい哀しげに歪んでいる。わからない。
 怒る、のは何となく、わかる。「あの人たちをそんなこと思うような人だと思っているのか」って怒りたいんだと思う。僕は言葉を間違った。望さんは住吉のごたごたの中で親友を亡くした人だ。怒るのは当たり前。“ボク”だったらもう少し回りくどくはぐらかせたんだろうに。
 ぶっていいよ。だって僕は今、目の前の人も、その人の尊厳も傷付けたんだ。叩いたって死なないよ。望さんは普通の人間だもん。なのに、何で振り上げた拳を降さなかったの。
「ごめん、なさい?」
 何もわからなかったから謝罪の言葉に疑問形が混ざってしまった。
「……ない」
「?」
「なんで、君は、怒っても、苛ついても……怯えても、いないんだ?」
 震える声で望さんが言った。まただ、と僕は思った。怒らないのかと問われるのは、何度目だろう。
「嫌味や恨み言でそう言ってる風じゃないよな? 本当にわからない、って顔してるよな? 仮に、もしも、本当に仮定の話で、あの人たちが君を嫌っていたとして、その人たちの問題の身代わりみたいになって、どうして、いや、君自身は一体“どう思ってる”んだ?」
「そんなの……」
 そんなの。

「これで鳶之介くん?や桐花ちゃん?は泣かなくていいのかなぁ、って」

 あの事件はどうひっくり返しても僕の自業自得で、遅かれ早かれ起こっていただろう出来事で。それでたまたま誰かしがの役に立った。それだけのことだ。まるで予定調和のように菊の花を手向けてばかりだった住吉の人たちが少しだけ救われたなら、特に生きる理由もなかった“ボク”の人生も多少は無駄ではなかったんじゃないだろうか。
 そう思うのに。
 ねえ、何でそんな顔をするの。
 ありがとう、って笑えばいいのに。知ってるよ。望さん、お祖父ちゃんの同僚の住吉の葵さんって女の人が好きなんだ。その葵さんだって少しは救われたんじゃないか、って僕は1年そう思ってたんだよ。なのに、何でそんな泣きそうなのさ。
 わからない。ねぇ、“ボク”、わからないよ。
 僕の言葉は優しさでも何でもなかった。せめて同情であれば、まだ人間臭くて望さんは安心できたんじゃないか、と今では思う。優しさでも同情でもなくて、ただの感想だったのだ。本当にただそう“思っている”だけ。それがどれだけ大人の目に残酷に映るかなんて知らなかった。
『失礼』
 急に逆側から引っ張られたものだから、僕はつんのめって転びそうになった。浮いた身体を受け止めてくれたのは、煙草の匂いがするジャケット。目だけを動かすと何故か僕を庇うように立つ紀野さんがいた。
『彼は私の連れなんです。ご迷惑をおかけしたなら謝ります。どうか、』
 あ、これ勘違いしてるやつだ。
「その人、僕に絡んだんじゃないよ。日本の知り合いのお兄さんだよ」
 おじさん、というのには若いしなぁと思いながら紀野さんの袖を引いた。紀野さんは警戒する気配を引っ込めて、ようやくまじまじと望さんの顔を覗う。
「……失礼しました。ここは治安が今ひとつですし、この子はよく絡まれるんです。ご容赦ください」
「いや、あの……あんたは?」
「親戚のおじさんです」
 何だか後ろめたさを感じた僕は、紀野さんが馬鹿正直に答えるより先に嘘を吐いた。紀野さんは開いた口を閉じて困ったように僕を見て、望さんは疑惑の目で紀野さんを見る。
「……まあ、保護者、という観点では間違いではないと思います」
 ボクよりも、そして僕よりも倍以上は長生きしてるくせに紀野さんは嘘が下手くそだ。ポケットの中の指がとんとんと落ち着かなくリズムを刻んでいる。望さんはまだ疑わしく僕と紀野さんを見比べていた。
 居心地が悪くなったらしい紀野さんは、短く息を吐いた。
「もしかして、この子が何かを言ったのでしょうか?」
「……いや、何か、というか」
「日本でこの子を知っている方、となると驚かれたかもしれません。でも、今現在、この子の中の損得や感情の天秤は壊れているんです。見た目は高校生ですが、中身は赤ん坊と同じなんです。そうですね、境界性パーソナリティ障害の一部、が当て嵌まるかもしれません」
 何か失礼なことを言われた気がしなくもないけれど、大方は間違っていなかったので否定もできない。
 境界性パーソナリティ障害。僕は気分や感情の起伏の激しささえないけれど、自己を損なう行為や幸せを感じにくい、自分が何者かわからない、なんてところは君に当て嵌まる、と過去に聞いた記憶がある。
 それより僕は両親と一緒にいるという嘘がバレて罰が悪くて、立ち去りたくて、もう一度、紀野さんの袖を引いた。
 紀野さんは僕の意図を汲んでくれたようで、ジャケットの中に僕を隠すようにして反対方向に歩き出した。別れの挨拶もしなかったことに申し訳なさを覚えたけれど、望さんが追ってくることはなかった。たぶん、葵さんと一緒だったんだと思う。だから勝手に僕を追うことが出来なかったんだろう。
「予定より早いがフライトのチケットを取ろう」
 逃げるようにバンに乗り込んだ僕に、紀野さんがスマホの世界地図を見せてきた。
「逃げるの?」
「逃げたいんじゃなかったのかい?」
 まあ、行動を振り返るとそうなんだけど。地図を眺めながら紀野さんが買ってきてくれたトゥロンのクレマ・カタラナを齧る。喉が焼けるほどの糖分が頭の中を聡明にしてくれる。一口、二口。飲み込んで口を開いた。
「日本に」
 紀野さんは目を丸くした。
「……僕は反対だ」
「どうして?」
「君は今まで旅したところでどこが好きだった?」
「パレルモ、ナザレ、マテーラ、ドゥブロニク……ああ、地中海が好きなのかも」
「では、嫌いなところは?」
「ないかな」
 真逆のロンドンの鬱々しい湿気も、コペンハーゲンのどこまでも何もない草原も、ツェルマットのアクティブな冬も悪くなかった。指折り回想する僕を紀野さんは厳しい目で眺める。
「それがいけない」
「何が」
「好きなものがあることと嫌いなものがあることは、少なくとも同じ重さでなくてはいけない。大抵の人間は嫌いなものが多くなるのが常であるのに、君のそれはある種の異常性だ」
「それが問題なの?」
「醜いものも、憎いものも、見苦しいものも、好きか嫌いかとは何の関係もない。それは真理だ。だが、君は嫌わなければいけないものまで嫌わない。それは最早、好み云々ではなく著しい危機察知能力の低下だよ。言い方は悪いが生物として欠落している。それは致命的と言わざるを得ない」
 その体たらくではとても帰還を許せる成長とは言えない。そう紀野さんは言った。回りくどいが、要するに僕ではまだ生きている月城豊を演じられない。そういうことだ。その結論は受け止めつつ、僕は長考する。
「……逆にそういうのを見せないと駄目かも」
「どういうことだい?」
「あの人、友達を亡くした人だよ」
 紀野さんはすぐに僕が打ち明けた住吉神社や“アレ”に纏わる騒動のことだと勘付いてくれたようだった。
「で、あの人の恋人はね、旦那さんを亡くしてるんだって」
「……」
「そういう人たちが僕を見つけてしまったら、どう思う?」
「希望はある、と考えてしまうだろうね」
「そういうことだよ。紀野さんが言いたいことは何となく解ってるつもりだけど、放って置いたら、きっと良くない」
 そんな気がする。
 精いっぱいで僕の要望を告げてみた。的外れかもしれない。大人は僕が思っているよりよっぽど強くて、望さんも葵さんも、もう全部を受け入れているのかもしれない。でも、そうではなかったらどうだろう。僕はただの偶発的な奇跡の亡霊でしかない。希望をチラつけせるだけチラつかせて、そのまま。
 良くない。きっと良くないことが起こると思った。
 紀野さんは眉を寄せてじっと考え込んでいた。路地を挟んだ向こうの陽気な喧騒が遠く聞こえる。
 大分、長い時間をかけて紀野さんは諦めの溜め息を細く、長く吐き出した。
「条件がある」
「何?」
「君がどんな結果を迎えるであれ、それまで僕も近くに滞在する」
 それは条件じゃなくてただの支援じゃないかな、紀野さん。


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