2009/11/03first
11/03
2024
水を遣る程度に手伝ってやらんでもない。
※鬼いちゃんのちょっと歪みつつそれなりに妹を可愛がっている胸中
※鬼いちゃんのちょっと歪みつつそれなりに妹を可愛がっている胸中
妹にした妖精が普段の食欲もなく、自室に籠っている。
それを聞いてまずしたことは躊躇いなく声を上げて笑うことだった。コーヒーを口に含む前で助かった。別にテーブルクロスを汚してしまうだとか、そんな上品さを持って生きてはいない。まかり間違って気管にでも入ったら苦しいのは俺だ。ご免被りたい。
困惑と心配で眉を下げている義姉。自分のせいだとあからさまに肩を落とす居候。そしてこのところの苛立ちを一旦、捨てて遠慮なく笑う俺。三者三様過ぎて端的に言うのなら混沌を極めている。
俺のちいとばかり世間ズレしているらしい態度に馴れた義姉は呆れ、馴れる様子のない居候は真っ直ぐに非難の眼差しを向けてきた。
「……あなたの妹じゃないの?」
目線だけではなく、真っ直ぐとした声までかけられるとは、正直思っていなかったが。
居候でしかない身柄を十分に理解していた小娘が、まさか、声でまで非難してくるとは。いやはや。世の中は狭いようで広いもんだ。
「兄貴にいらんお節介を焼かれたいトシでもねぇだろ」
「それは……そうかもしれないけど」
肯定しつつも笑うなんて、と聞こえない声が聞こえてくる。生憎、そういうのはもう一人の兄の仕事だ。まあ、これに関しては心配しつつも面白がること確定だが。アイツだって心配する点は飯を食っていないこと一点であって、そもそもの原因を聞いたら爆笑するに違いない。
俺はといえば何も人間、2、3日飲まず食わずでも死なない、と知っているので、するだけ無駄だと断じている。ますます心配する理由がない。食うに困って食っていないわけでもないなら好きにしろと思う。
何と言っても、同じような生い立ちに在って〝食べる〟ということの尊さについては妹の方が詳しい。死なない程度に食えたらいい、と振り切ってしまった俺とは違う。
砂糖の粒がざらつくコーヒーで朝食を飲み干して家を出る。ふと、妹が籠っている角部屋に何かの気配を視たが黙殺した。害あるものであれば元々、アレには近づけすらしないのだ。
極々稀に。とても稀少と言える頻度ではあるが、俺と妹は似ていると称されることがある。
妹が聞けば「はあ、どこが?」と思い切り顔をしかめるだろうし、俺としても「んなわけねーだろ」一択なのだが、心当たりがないかと言えばそうでもない。
例えば我の強さとうず高く建築した自己肯定感だとか。こうと決めたらよほどのことがない限り主義を曲げようとは思わないし、悪意を持って「お前なんか」と誰かに言われたとして「だから何?」と聞き流す精神性は似ていると言えば似ている。
お前なんか生まれなければ、と纏めて唾棄されることは、まあ、あった。俺は何か羽虫が五月蠅いなくらいの雑音として片づけたし、妹はきょとんとしたまま「今日イヤなことあった?」と豪速で右から左へと聞き流した。はあ、産まれて生きていますがそれが何か?くらいの我の強さがなければスラムの孤児なんてやっていられない。
似ていると言えば似ていなくもないが、もっと抜本的なところで俺と妹の自己肯定感には違いがある。
俺は羽虫が五月蠅いなと思った瞬間に、本当に相手を羽虫扱いしている。こちらに害意や敵意を向けたんだから覚悟はあるよな、という気概で以て丸めた新聞紙で叩き潰しても罪悪感を憶えない。単純に自分の手と新聞紙が汚れるし、羽虫程度に煩わされるのも面倒だからしないだけだ。
対する妹は割と言葉通りに相手を心配している。ただの子どもに八つ当たりするくらい、イヤなことでもあったのか?と。何ともまあ毒気のない善性をしている。無知で無垢でどうにも幼い言動をしているのに、急に地母神並みの許容と慈愛を見せるのだ。うちの妹は。羽虫の曲がった羽根を心配してやるのだから慈悲深いことだ、と何度呆れさせられたか。
――だからこそ、男をフるときはかなり残酷なんだよなぁ。
普通に誠実な男が普通に妹にアピールをして、実に綺麗に玉砕していった過去を回想する。
そんなことがあったのか、って?
あるに決まっているだろう。あの見た目で外行きの顔を被ってしまえば、こまっしゃくれた性格もなりを潜めるのだ。下世話な男は近づけないが、普通に、本当に極々普通にアプローチをした男だっていたのである。当人がそうと認識していないだけで。
ただ、アレに惚れて尚、近づける男というのは善性の塊のような、身も蓋もなく言い捨ててしまえば初心な男ばかりだ。相手を誘う手練手管が身についていないものだから、どうしたってお飯事にしかならない。
ある男が可愛らしいピンクの花束を差し出してきたときだ。
「あら、可愛いわね。あなたの好きな子はピンクの色が好きなの? ピンクが似合う子なんだからきっと、とても愛らしい子なんでしょうね。……うん、どうしたの? 早く届けてあげないとせっかくのお花が枯れちゃうわ。花にも寿命があるんだから」
ある男が意を決し小洒落たレストランに誘ったときだ。
「ふぅん。いいわね。でも、ひとりで行くのはもったいないと思うわ。どうせなら兄弟や……ああ、好きな女の子でも誘ってみたらどうかしら? 一度、行ったことがあるけどデザートプレートがとても綺麗でね。女性は喜ぶと思うわよ。え? 誰と行ったか? 兄とだけど。デートの場所の下見をしたいけど、ひとりじゃ入りづらいからって頼み込まれたの。……あ、もしかしてあなたもそうだったりする?」
お前、目の前の男に別に恨みつらみはないよな?
解っていながらちょっとそう考えるくらい、つまりは俺を小指の先程度に同情させるくらいには酷かった。
純度と誠意と励ましを以て、丁寧に心臓に杭を打ち、殺しにかかっている。そして絶対に仕留め損ねないのだから恐ろしいものである。いっそ「お前なんか眼中にない」とはっきり言われた方がまだダメージは少ないだろうにな。
尚、善性の塊のような男たちはフラれたとわかって付き纏うなどの奇行は犯さなかったので、妹のオーバーキル術は現在もそのままだと思われる。なんたって妖精に近づける善性の男たちだ。フラれて付き纏って逮捕案件なんて罪は犯さない者たちだった。
これが「自分が女として見られるわけがない」とかいう意識だったらまだ可愛いが違うんだよな。別に自己肯定感は低くないし、目線が完全に見知った男の子の恋を応援する親戚だから。仕方ない。地母神とはたぶん、こういうもんなんだろう。羽虫だろうと人間だろうと自分の子どもみたいな。嘆かわしい。
アルはといえば口では「やだ、うちの妹ってば罪作り」などと宣いつつ、安心半分、心配半分といった微妙な表情をしていた。そりゃそうだ。変な男に引っ掛からないのはいいが、ろくろく恋愛の機微も理解できないんじゃ世の中は生きづらい。
別に番えとか結婚しろとか、そんな重苦しい話をしたいんじゃない。もう少し人間らしくなれという話だ。
さて、どうしたもんかねと頭の片隅に注意事項として付箋を貼り付ける。
一度、妹と定義したんだ。契約は守るし、その程度のリソースは割く。
そうしてある日、天啓のようにふと思いついた。アレはもしや追いかけられるより追いかけるのが性に合っているタイプなのでは?
唐突な思い付きを理解する。アレは良くも悪くも能動的だ。なら恋愛沙汰に於いてもそう言えるのでは、と。思いつくまでにらしくない時間を要してしまったのは、まあ、仕方がない。俺だって一応、イタリア生まれのイタリア育ちなもので。ラテンの風土ってもんがある。
――そう仮定するとどうなる? アイツのどストライクってヤツは。
第一にアイツに害を成す者ではいけない。これはアイツの好みというより資格試験みたいなもんだ。この〝害〟というヤツがどこからどこまで許容されるのか不明瞭であるが、まあ普通に根が善良であればいいだろう。根が善良でない俺が罰される気配がないので、その辺りはそこそこ緩いはず。
そして積極的に女を必要とせず、あの容姿で順調に胸も尻も育っている妹を袖にしそうな男。……男やもめでも探せってか。本人は頓着しないだろうがアルが喧しそうだな。
病弱な優男という選択肢が浮かぶがそれはないなと思い直した。優男は間違いなくアイツの範疇外である。血の繋がっていない兄二人を正しく〝兄〟と認識しているのがいい例だ。俺もアルも見た目は優男だからな。か弱そうな男はアイツの中で〝守らなければ(物理的に)〟と分類されてしまう。そういう対象に入らない。反面、造作に関してはまったく面食いではなく無頓着なのが……いいのか? 悪いのか? それは。一目惚れの方が、面倒がなくて済むのでは? ……なさそうなのがクソ面倒だな。
総計すると、基本的に人畜無害そうなヤツで、ガタイや腕っぷしも強そうで、かつ脳みそと下半身が直結していない、過去はどうであれ独り身が好ましい。出来れば寿命が普通の人間。必須ではないが、下手に特殊だったりするとあの世界に祝福された妹がうっかり「同じ時間を生きたい」などと願って、世界の方が応えてしまいかねないので。好きにしてもいいのだが、あの妹が長命に向いているとはどうにも思えないので。
で、それでいてあの星の妖精がつい手を伸ばしてしまいそうなヤツ。なんだ、その高ぇハードル。
そんな気の毒で、危篤で、稀少で、馬鹿みたいに終わっている、都合のいい男なんぞ――
――いたわ。
銃口を突きつけ合いながら俺が思考していたのは、そんなことだった。まあ、見事に濁った目をしてんなぁ、と。コイツの周りだけ湿度がおかしくねぇか、と。面が気に食わねぇなぁ、と。
粗悪な市場に陳列されている死んだ魚の目を思い出した。アレ、地味に気味が悪ぃんだよな。何だったか。極東の島国にそのまんまな物騒な名前の魚料理、つーか加工品があった気がする。メザシとか言ったっけなぁ。今すぐ刺してぇなぁ、その泥みたいな目。
隠す気もなく思考していたら、アルが刀を突きつけられながらも「おいおい」と緩やかに窘めてきた。いやぁ。たぶん、きっと、おそらく。まあ、懐きそうだなぁ。湿度がおかしいと思ったら、本当に変なもんをくっつけてやがる。そのケッタイなもん、鬱陶しくねぇのか。いや、アレか。鬱陶しいが全部受け入れて背負い込んでる自己完結型かぁ、お前。物分かり良すぎだろ。
いや、我が妹ながら何がいいのかよくわからん。わかっても問題だが。そもそも俺は普通にきらきらしい生き生きした目の方が好みだしな。
なんというか、一度、懐いたら忠犬になりそうなタイプだ。一応、人間ではあるらしいし。
――アイツはどっちかっていうと犬派なんだよな。俺と違って。
つらつらとそこまで考えて口にした。
「お前、うちで働け」
案の定というか、なんというか。目と目を合わせて劇的な恋物語が始まるほど、男も妹も大人ではなかった。まあ、二人揃ってティーンなわけだからそりゃそうだ。小学生通り越して枯れた老夫婦並みの〝お散歩〟気分な飯事を楽しんでんなぁ、としばらく観察していたわけだが。
それがここに来ての、急な妹の異変である。愉快でないわけがない。おそらくアレは生まれて初めて知ったのだろう。自分の思う通りにならない、所謂、〝嫉妬〟と呼ばれる感情を。もしかすれば抱くことさえ初めてかもしれない。何せ地母神だったもんで、これまで隣の芝生なんぞ目に入ったところで「よかった、めでたしめでたしね」ってなもので。てんで羨ましいという感情に無縁だったのだ。
俺だって感じたことあるのか、と言われそうだな。まあ、ないんだがちいと違うんだよな。俺の場合、「ああ、アレはいいな」と思った瞬間に割と手段を選ばず手に入れているから抱かないだけで、そういった種類の感情があることは知っている。対してアレは無知で無垢。綺麗なものと美しいものを見るようにと望まれた存在だ。
きっと今頃、自分の抱えた負の感情も整理しきれずにベッドをごろごろ転げているのではなかろうか。
なんて健全な。そのまま神の御座なんかから落下してくればいい。たまには無様に地面でのたうち回ればいい。挫折や不遇を知らない人間なんぞ、ろくな性格にはならないのが世の常だ。
『――わたしの、たから、もの……どうか……しあわせ、に……』
血を吐き、手足を冷たくさせ、なけなしの水分を目元に集めて息絶えた女の顔が脳裏を過ぎる。俺が生まれて初めて目にした親らしい親。子どものために本当に死んでみせた女。ただひたすらに娘の幸せだけを望んだ女。いるんだな、そういう親も。そう、俺に世界の〝捨てたもんじゃない〟ところを教えた名前も知らない女だ。
――安心しろよ。お前の娘は無事、人間になれそうだぜ?
どうせ勝手に幸せになるだろうが、それまで面倒みてやるさ。いいものを見せてもらった。あのときから、そういう契約だからな。
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