2009/11/03first
03/19
2024
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12/17
2009
bambola fortunata 2
アルにとって本家に顔を出す、ということはちょっとした行事と同じような感覚だった。しかも、あまり気の進まない方の。
あれだ。誰しも学校行事をくだらなく、かったるく思う時期があるだろう。あんな時期と同じような感覚。ただし、一つ違うのは、この行事だけはどれだけ学年が上がろうが楽しむ気にも、仕方がないと妥協できる気にもならないということだ。
顔を出す、と言っても特別なことは何もない。やたらと高い塀に張り付いた門を潜り、だだっ広い芝生の庭を横切って、番犬たちを横目に屋敷に入って、当主である叔父に淡々とした挨拶をして終わる。ただそれだけの味気もやりがいもない行事だ。
先の当主である父親が死んでから、もう何年になるか。数えるのも億劫でやめてしまった。とはいっても、まだ両手で数えられる年月なのだが。
パッとしない、ただ没落していくだけの商屋敷だったカルカッシを継いだ叔父が、急激に家を成長させたのが約2年前。もともと家とは疎遠で寄り付かなかったアルが、形だけでもこうして見栄を張らなければいけなくなったのは、曲りなりにもその商屋の血が混じっているせいだった。
居心地の悪い絨毯の上を歩き、目つきの悪い執事に解放されたときには、既に肩がばりばりに凝っていた。
「あででで……」
生活臭のしない部屋の中で体を伸ばす。使用人が掃除だけはしているせいか、埃は積もっていなかったが、アルはこの部屋で寝た記憶がほとんどなかった。せいぜい台風で足止めを食らったときくらいか。
今日も今日で長居せずにコートを羽織る。どうせ泊まっていけ、と言うような人間は、この屋敷の中にはいない。
廊下に出ると、鉢合わせた使用人が、形ばかりの礼をしてそそくさと逃げるように去っていく。もう慣れた。
味気なさを通り越して、呆れた溜息を吐き、アルはさっさと玄関ホールを出た。
「ん……?」
さっさと敷石の上を渡ってしまおうとしたアルの視界の片隅に、白いものが飛び込んできた。
実りつつあるメーラ(林檎)の木の下に、小さな白い影が座っている。地べたに座るような人間がこの屋敷にいるとは思わなかった。
無意識に近づこうとして気づく。フードの中から零れる白い髪とどこを見ているのか判然としない鮮やかな朱い瞳。『幸運人形』[バンボーラ・フォルトナータ]。
一瞬、見間違えかとも思った。というのは、夜のカジノとは打って変わって粗末な格好をしていたせいだ。それもどこか薄汚れた。全身をフード付のコートで覆っている様は、どこか差し込んでくる日の光を避けているようにも見えた。
ただでさえ小さな影が、シャンデリアではない日の光の中では余計に小さく感じた。
「……お前」
声は聞こえているようで安心した。わずかに傾けた視線が、アルの方を向く。
「よかった。本当に人形じゃあないだろうかと心配したぜ。そういうわけじゃなさそうだな」
「……」
少年は眉を吊り上げて、わずかに顔をしかめた。人形のようにしか見えなかった少年に、ほんの少しだけ人間味が見えたようで、何となくほっとした。
だが、彼はアルに一瞥を送っただけですぐに視線を元に戻す。何となくそのままでは帰り難くて、気紛れに近づいて、十分に距離を取りながら腰かける。
「なあ、お前さ。家の親戚なんかじゃないだろう?」
「……」
肯定もしないが、少年は否定もしなかった。要は彼にとってはどうでもよいのだろう。
「あの人は親の死んだ子を引き取って、なんて真似をするような人間じゃないしな。第一、こんな家の血筋じゃないよ、お前は」
「……」
聞いているのかいないのか、それとも聞き流しているだけか。少年は無言で地面と空を交互に眺めるだけで、頷きもしなかった。
何となく、街中で昼寝を決め込む野良猫を思い出す。人間がいくら突こうが喚こうが、気紛れでぴくりとも動こうとしない。つり目で瞳孔が細いことも手伝って、余計に似た雰囲気を醸し出す。
そしてアルは家の人間は嫌いだが、街中の野良は結構好きだった。
「何してたんだ?」
「……」
また少しだけ反応があった。ガラス玉のような目が、うろんげな動作でアルを見た。
「地面を見てる。あとは空。あとは何でも」
声変わりもしていない少年の声が、つっけんどんな返答を返す。
「蟻でもいるのか?」
「何も。刈り取られた草が生えて、メーラの実が生っていて、後ろで風に窓がきんきんからから煩い。あと今日は曇り。それだけだ」
少年は淡々と言った。特に意味があるとも思えないような言葉を、見たまま、誰にでもわかるようなことを口にする。
「子供のくせに哲学だな」
「人間の学問なんざ、ほとんどが暇つぶしの産物だろ」
『人形』というあだ名に似合わず、少年は身も蓋もない毒を吐いた。それも排他的にじゃない。自分も含めて、すべての人間を馬鹿にしているように。
――『人形』[バンボーラ]? 違う、とんでもないシャム猫の匂いがする。
木の上から飄々と、自分は関係ないとばかりにアリスを嘲笑う道化の匂い。
「なあ、名前は何ていうんだ? まさか本当にフォルトナータ、なんて名前じゃないだろう?」
「フォルトナータさ。この家にいる間はな」
皮肉めいた微笑を浮かべて、少年は鼻を鳴らした。自嘲にも聞こえなくはなかった。だが、嘲りはあってもそこに悲壮感も、自身への哀れみもなかった。
今度は何を聞いてみようか、アルが模索し始めたとき、背後の豪奢に造り替えられた玄関ががちゃり、と開いた。すぐに反応したのは少年だった。振り返ると、先ほどまで顔をつき合わせていた顔色の良くない執事が、こちらを見て、無言の手招きをする。少年から表情が消え、小さな溜め息が漏れた。音も立てずに立ち上がる。
「ちょっと待て。お前……」
無意識のうちに呼び止めてしまった。さして興味もなさそうな少年の顔が振り返る。
「……何で、さっきみたいなこと、考えてたんだ?」
「……」
少年は表情のないまま沈黙する。もう一度、今度は呆れでも諦観でもない、やや複雑な溜め息を漏らした。
「口で言やあ、それだけだな」
「?」
「それだけ。それだけのことを、伝えられないってのは、案外、腹に堪るもんだ」
「……何を」
「じゃあな。お家が嫌いならさっさと帰れ」
少年はそれだけ告げると、さっさと玄関の向こうへと消えていった。
あれだ。誰しも学校行事をくだらなく、かったるく思う時期があるだろう。あんな時期と同じような感覚。ただし、一つ違うのは、この行事だけはどれだけ学年が上がろうが楽しむ気にも、仕方がないと妥協できる気にもならないということだ。
顔を出す、と言っても特別なことは何もない。やたらと高い塀に張り付いた門を潜り、だだっ広い芝生の庭を横切って、番犬たちを横目に屋敷に入って、当主である叔父に淡々とした挨拶をして終わる。ただそれだけの味気もやりがいもない行事だ。
先の当主である父親が死んでから、もう何年になるか。数えるのも億劫でやめてしまった。とはいっても、まだ両手で数えられる年月なのだが。
パッとしない、ただ没落していくだけの商屋敷だったカルカッシを継いだ叔父が、急激に家を成長させたのが約2年前。もともと家とは疎遠で寄り付かなかったアルが、形だけでもこうして見栄を張らなければいけなくなったのは、曲りなりにもその商屋の血が混じっているせいだった。
居心地の悪い絨毯の上を歩き、目つきの悪い執事に解放されたときには、既に肩がばりばりに凝っていた。
「あででで……」
生活臭のしない部屋の中で体を伸ばす。使用人が掃除だけはしているせいか、埃は積もっていなかったが、アルはこの部屋で寝た記憶がほとんどなかった。せいぜい台風で足止めを食らったときくらいか。
今日も今日で長居せずにコートを羽織る。どうせ泊まっていけ、と言うような人間は、この屋敷の中にはいない。
廊下に出ると、鉢合わせた使用人が、形ばかりの礼をしてそそくさと逃げるように去っていく。もう慣れた。
味気なさを通り越して、呆れた溜息を吐き、アルはさっさと玄関ホールを出た。
「ん……?」
さっさと敷石の上を渡ってしまおうとしたアルの視界の片隅に、白いものが飛び込んできた。
実りつつあるメーラ(林檎)の木の下に、小さな白い影が座っている。地べたに座るような人間がこの屋敷にいるとは思わなかった。
無意識に近づこうとして気づく。フードの中から零れる白い髪とどこを見ているのか判然としない鮮やかな朱い瞳。『幸運人形』[バンボーラ・フォルトナータ]。
一瞬、見間違えかとも思った。というのは、夜のカジノとは打って変わって粗末な格好をしていたせいだ。それもどこか薄汚れた。全身をフード付のコートで覆っている様は、どこか差し込んでくる日の光を避けているようにも見えた。
ただでさえ小さな影が、シャンデリアではない日の光の中では余計に小さく感じた。
「……お前」
声は聞こえているようで安心した。わずかに傾けた視線が、アルの方を向く。
「よかった。本当に人形じゃあないだろうかと心配したぜ。そういうわけじゃなさそうだな」
「……」
少年は眉を吊り上げて、わずかに顔をしかめた。人形のようにしか見えなかった少年に、ほんの少しだけ人間味が見えたようで、何となくほっとした。
だが、彼はアルに一瞥を送っただけですぐに視線を元に戻す。何となくそのままでは帰り難くて、気紛れに近づいて、十分に距離を取りながら腰かける。
「なあ、お前さ。家の親戚なんかじゃないだろう?」
「……」
肯定もしないが、少年は否定もしなかった。要は彼にとってはどうでもよいのだろう。
「あの人は親の死んだ子を引き取って、なんて真似をするような人間じゃないしな。第一、こんな家の血筋じゃないよ、お前は」
「……」
聞いているのかいないのか、それとも聞き流しているだけか。少年は無言で地面と空を交互に眺めるだけで、頷きもしなかった。
何となく、街中で昼寝を決め込む野良猫を思い出す。人間がいくら突こうが喚こうが、気紛れでぴくりとも動こうとしない。つり目で瞳孔が細いことも手伝って、余計に似た雰囲気を醸し出す。
そしてアルは家の人間は嫌いだが、街中の野良は結構好きだった。
「何してたんだ?」
「……」
また少しだけ反応があった。ガラス玉のような目が、うろんげな動作でアルを見た。
「地面を見てる。あとは空。あとは何でも」
声変わりもしていない少年の声が、つっけんどんな返答を返す。
「蟻でもいるのか?」
「何も。刈り取られた草が生えて、メーラの実が生っていて、後ろで風に窓がきんきんからから煩い。あと今日は曇り。それだけだ」
少年は淡々と言った。特に意味があるとも思えないような言葉を、見たまま、誰にでもわかるようなことを口にする。
「子供のくせに哲学だな」
「人間の学問なんざ、ほとんどが暇つぶしの産物だろ」
『人形』というあだ名に似合わず、少年は身も蓋もない毒を吐いた。それも排他的にじゃない。自分も含めて、すべての人間を馬鹿にしているように。
――『人形』[バンボーラ]? 違う、とんでもないシャム猫の匂いがする。
木の上から飄々と、自分は関係ないとばかりにアリスを嘲笑う道化の匂い。
「なあ、名前は何ていうんだ? まさか本当にフォルトナータ、なんて名前じゃないだろう?」
「フォルトナータさ。この家にいる間はな」
皮肉めいた微笑を浮かべて、少年は鼻を鳴らした。自嘲にも聞こえなくはなかった。だが、嘲りはあってもそこに悲壮感も、自身への哀れみもなかった。
今度は何を聞いてみようか、アルが模索し始めたとき、背後の豪奢に造り替えられた玄関ががちゃり、と開いた。すぐに反応したのは少年だった。振り返ると、先ほどまで顔をつき合わせていた顔色の良くない執事が、こちらを見て、無言の手招きをする。少年から表情が消え、小さな溜め息が漏れた。音も立てずに立ち上がる。
「ちょっと待て。お前……」
無意識のうちに呼び止めてしまった。さして興味もなさそうな少年の顔が振り返る。
「……何で、さっきみたいなこと、考えてたんだ?」
「……」
少年は表情のないまま沈黙する。もう一度、今度は呆れでも諦観でもない、やや複雑な溜め息を漏らした。
「口で言やあ、それだけだな」
「?」
「それだけ。それだけのことを、伝えられないってのは、案外、腹に堪るもんだ」
「……何を」
「じゃあな。お家が嫌いならさっさと帰れ」
少年はそれだけ告げると、さっさと玄関の向こうへと消えていった。
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