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2009/11/03first
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※地球最後の魔法使いが役目を終えて銀髪の幽霊に出会うまで
 何度か会いに来てくれたらいいな



 出されたカモミールティーは少しだけ苦かった。そういえばサクヤは肉類の他に、甘いものも食べないのだったっけ。果物は別としてチョコレートやらマシュマロやら、ああいう類の。なら、茶の好みも納得だ。
 幸い、俺は大概のものを飲めるので問題ない。アメリカ人が飲むクソ甘いアイスクリームを液状化したようなものでも、中途半端な茶道家がそれらしく点てただけの苦いだけの抹茶でも。何せ、好みがバラバラ過ぎる3人の食の面倒をみていたせいだ。
「お茶請けが欲しいかしら」
「いや、いいよ。変な時間に食べ過ぎるのもよくないし」
 サクヤは元々ものを食べないのだ。真夜中の茶会で俺だけクッキーをぼりぼり齧るというのも気が引ける。それも他人の家で。
 手製のカモミールティーを飲んだサクヤが、ほう、とようやく人心地ついたように息を吐く。
「昔の夢はよく見るの?」
「結構、見るよ。いろんな時代を生きたけど、やっぱり生まれた頃の夢を見るかな。一番、輝いていて鮮烈だから」
「不思議だわ。それでも、あなたはずっと未来を見てるんだもの」
「人間は迂闊に後ろ歩き出来ないように出来てるからね。下手に後退ったところで派手に転ぶだけだ」
 訥々としたサクヤの話を聞いていると、願いや叫びが聞こえてくるような気がする。なんだろうな。自分が諦めてしまったものを、憧憬のように眺めているような。口に出せないし、口に出さないだけで、サクヤにも望む生き方や暮らしがあるんだろう。見果てぬものだと、叶うものではないと、口も心も閉ざしているだけで。
 そしてエクルーも。あれほどサクヤを見つめているなら、彼女の願いに気がついていないはずはないだろうに。
「ねぇ、あなたのハニー・ムーンについて聞いてもいい?」
「変わってるな。ただの惚気になるぞ」
「あら、素敵なロマンスだと思うわ」
 自分に対して頓着がなさそうなサクヤも他人事には興味を示すらしい。俺のケースは、まったく参考にはならないと思うけど。
「我儘で貪欲で自由人で。他人には結構、優しいくせに俺には厳しくて遠慮のないヤツだったよ。俺はああいうふうにせっせと薔薇を1本ずつ贈っていたけど、大人になってからよく13本目と15本目から17本目の薔薇のことで揶揄われた」
「からかう? 何故?」
「薔薇は贈る本数によって意味が変わるんだけど、何でか13本と15本から17本の意味はアレなんだよ。永遠の友情とか、絶望的な愛とか」
「でも、知らなかったんでしょう?」
「当たり前だ。知ってたら2本でも3本でも纏めて渡してた。要するに、アイツは知らずに渡していた俺を見て、大人になったらそうしようと決めてたんだろうな。本当、悪いヤツだよ」
 サクヤがおかしそうにくすくす笑った。
「でも、大人になるまで言わないでくれていたのね?」
「そう。中途半端な優しさだよな」
「いいじゃない。一人のときに気づいてやきもきして悩むより、その方が楽しそうだわ」
 そうだな。実際、俺は笑い話にされて、ちょっと安心した。好きな女の子に自分が絶望を与えていたなんて、少年期の繊細さでは上手いこと受け止められなかっただろうから。
「好き勝手するくせに、よく他人には感謝された。でも薄情なことに、その感謝の念にはあまり興味がないんだ。叔母はそういうところも父親に似てしまった、ってよく溜め息を吐いてた」
「ううん? 例えば?」
「例えば辺境で病名もつけられていない奇病が流行ったとする。アイツは誰かに頼まれなくても原因を探し始めるし、対症療法を見つけるし、特効薬や魔法を編んだこともあるな。どこかで魔物や人間が簒奪を行っていたら、蹴り飛ばしにいった。現地の人からは英雄扱いされるんだけど、アイツはそういうのに興味がないんだ」
「謙虚なのね?」
「いいや、そうじゃない。アイツにとって見たこともない奇病は新しい知識だし、対症療法も特効薬も薬学の進歩だ。他人から簒奪する魔物や人間は財産を蓄えてるから、報酬に滅多に読めない古書だとか貴重な素材なんかをかっぱらうんだよ。それ以外にあんまり興味がない」
「まあ」
 村人たちに感謝の言葉を言われて、いつも眉をひそめていた。俺は何度も村人の気持ちを代弁して解説したものだが、最期まで理解したかどうか怪しいもんだ。
 アイツ曰くは「通りがかったのが私なだけで、いずれは誰かがやったでしょ」ということになるらしいが、俺からすれば実際にやったのはアイツで、他のヤツに任せていたら、もっと時間を要したと思う。けして自己肯定感が低いわけでもなく、むしろ自己主張は激しい方なのに。不思議なものだった。
 むやみやたらに他人に忌み嫌われたり、恐れられたりするのは嫌いだった。でも、かといって他人からの厚意だとか称賛だとか、そういうものを受け取るのも下手くそだった。そういえば、どういたしまして、と聞いたことが数えるくらいしかない。俺が言う「ありがとう」には、ふふんと笑って我儘の一つや二つを叶えるのが当たり前になっていたから、それも原因かもしれないけど。
 頭がよくて器用なくせに、そんなところばかり不器用で、放っておけなかった。
「今でも論文なんかにちらりと見つけると可笑しくて笑いそうになる。何十年、何百年と経ってから、その病気が他国や他地域で有名になったとき、田舎の辺境で対処法を記した古書が見つかった、驚くべき発見だ。なんて話を聞くとね。そんなこともあったな、って思い出すんだ」
「この町の図書館にもあるかしら?」
「さすがにどうだろうな。でも、あっても俺は驚かない。それくらい、すごいヤツだったよ」
 永劫に輝く朱銀の月。俺はこの一万年、ずっとそれを目印にして歩いてきた。迷ったことはあまりない。
 悲しいことに、迷う前に行動していたアイツの背中を必死に追っていた、50年余りのクセが抜けないんだ。
「サクヤにもあるだろ?」
「え?」
「そういう、ああいう光を追っていけば大丈夫、みたいなさ。でないと俺たちみたいなのは、すぐ呼吸の仕方を忘れるからな」
 サクヤの頬がぱっとピンクに染まった。この時代に来て初めてそんなところを見た。エクルーはこんな表情を知っているだろうか。わからないけれど、見なかったことにして未来に置いていこう。
「あのね、これは、内緒にして欲しいんだけど」
「うん?」
「私が生まれて初めて見たのは、金色の明るい二つ星だったの」
 俺は噴き出してしまいそうになった。なんだ。やっぱり、環境の問題なのだと思う。この2人はただの両想いだ。でも、過去のあれこれと固まり切っていない地盤が災いしてどうにも出来ないでいる。
 2人だけでいるのもよくない。告白して玉砕しても逃げ場がないとなると、ふんきりはつかないものだ。どうしたって、相手が離れて行ってしまう怖さの方が勝つ。泣きつく友人がいるかいないか、というのは大分、違ってくるのだ。
「なあ、サクヤ」
「何かしら?」
「友人と思い出は多い方がいいぞ?」
 きょとんとした顔で、サクヤは少し考え込んだ。
「そういうのは、エクルーの方が得意なのよ。エクルーが紹介してくれて、仲良くなる人はいるけど」
「そうじゃない人がいるといい」
「どうして?」
「エクルーの知らないサクヤの交友関係も大事にした方がいいって話。エクルーに出来ない話をできる友人を作った方がいい。今みたいな内緒話が出来るような相手が」
 サクヤの目が遠くを見る。そんなの出来るのかしら、とその目が夢想している。
「そうね。もし、出来たら大事にしないとね」
「うん。それでいいよ」
 妥協点を見つけ出したサクヤがそんなふうに答える。俺もそれ以上は言わない。こういうものは、出来たときに思い出してくれたらいいのだ。いつだったか、生意気なクソガキがそんなことを宣っていたな、くらいに思い出してくれたらそれでいい。
 そのとき、サクヤの選択の手助けが出来たらそれでいい。思い出というのは、そういうときのためにある。
 俺に予知能力などない。2人がどんな結末を迎えて、どんなふうに運命を受け入れるのかは知らない。報われるのかも、救われるのかもわからない。エクルーやサクヤが報われたいのか救われたいのかさえわからない。けれども、悪くない人生だった、と最期に思えたならいいな。長く生き過ぎて変に達観し過ぎると、そういう希望が必要だ。
 俺の祈りや願いなんて大した効力はないのだけど、それでも願うだけ願っておこう。いつか2人がどこかに辿り着くように。ひとりとひとりでも、2人きりでもなくなるように。どちらかがどちらかに残されるときが来たとしても、寂しくなんてない、どこか愛おしい場所に。俺は俺の最愛を含めて約3人にこれでもかと思い出を押し付けられて、寂しくなる暇なんてない人生だった。エクルーやサクヤもそうなるといい。
 2人で冷めたカモミールティーを飲みながら、月と星の話をした。サクヤの声をこんなに聞くのは初めてのことだ。エクルー、お前の話になるとサクヤは案外、饒舌なんだな。とても美味しそうな匂いの男の子だってさ。


 一週間という短いのか長いのかわからない期間を経て、俺はやっとあの穴をどうにかする方法を学んだ。何とかすると言っても、根本的に無くしたり消したりする方法ではない。人が落ちないように縫っておくとか、テクスチャを貼り付けて繕っておくとか、そういう方法だ。
 抜本的にどうにかするとなると、エクルーとサクヤ自身も、地球も降り立った子どもたちも、どうなってしまうかわからないのだという。
 最終的には過去のエクルーとサクヤでどうにかするしかないのだとか。俺は2人がどうにかなるまでの補修工事係というわけだ。エクルーとサクヤ曰く、あの穴はあると困るものだが、その向こうにあるものが無くなっても困るのだという。地球の未来のためにも。2人の壊れた星のためにも。
「なんていうか、すごく教え甲斐のある生徒だったよ」
 エクルーが俺の頭をぐりぐりと撫でつけながら言う。相変わらず、年上の親戚に可愛がられているような心地になる。
「吸収がいいわけでも、打ってすぐ響くわけでもないけど、その分、ひとつひとつ丁寧だった。じっくり身につくタイプというか。あんた、大器晩成型だなぁ。諦めずにいろいろやってみると楽しいんじゃない?」
「何だか褒められてる気がしないなぁ」
「褒めてるって。下手に長生きしてるとさ、先入観とか思い込みとかに凝り固まって、殻を破れなかったりするだろ。あんたはそんなのないんだもん。頭でっかちな変な学者よりよっぽど役に立つよ。あんたがこっちに残って手伝ってくれたら、いろいろ助かるんだけど」
 そういうわけにいかないもんなぁ、とやたらに確信めいたことを言う。
「この時代にも俺が生きていたら、たぶん、あんたたちを助けに来るだろ」
 エクルーが曖昧に笑った。うーん。この反応よ。気づかないフリをするのも大変だ。さて、俺はどんな形で最期を迎えたのだろうな。ちょっと楽しみになってきた。
 未来に長居するわけにはいかない。目的を達したら元の時代に戻る。引き延ばしはしない。それが時間と空間の魔法使いのルールだ。目の前に現れたゲートを潜れば、もうこの時代には来られないだろう。
 エクルーが黙って右手を差し出したので、俺も差し出す。楽しかった、と零したエクルーが少し痛いくらいに俺の手を握る。
「今度は俺が会いに行くよ」
「あんたって、そんなに自由なのか?」
「結構ね。何個か裏技もある。どの時代のあんたに会えるかわからないけど、また会える」
「あれ、俺って今、口説かれてる?」
 可笑しそうにエクルーの口の端が吊り上がった。
「ある意味、口説いてるかも?」
「どんな意味で」
「また俺たちを助けてくれ、って」
「まあ、構わないけど」
 今度は溜め息を吐かれる。
「何でもかんでも安請け合いはするなよ。これで俺がとんでもない悪事を企んでいたらどうするんだ?」
「全力で止めればいいんだろ? 友人を助けるって、何も全部を全部、信じて追従することじゃないぞ。俺の昔の友人なんて、どこまでも図々しくて無茶な注文ばっかりつけてくるヤツだった」

『ねえ、シリウスさん』
『なんだよ』
『どうせ長生きするなら、世界平和くらい守っててくださいよ。できるでしょ』
『お前、さては本格的に馬鹿だろ。できるでしょ、じゃねーんだよ』
『えー、だって、私はちゃんと生まれ変わったら、ちゃんとレインさんにプロポーズして、ちゃんと結ばれたいんですよ。じゃあ、それまで世界を守ってくれる人が必要じゃないですか。大丈夫、できますって』
『……はあ。もう、仕方ねーなぁ。イヤな言い方しやがって。その後のことは、俺、知らねーからな』

 友人、とエクルーは繰り返す。何だか妙に嬉しそうだ。
「……うん。友人は助け合うものだよな」
「おう?」
「友人サービスだ。今なら、あんたの頼みを聞けるぜ?」
「え、待って。ちゃんと考える」
 ここは未来だ。エクルーは何だか自由にできると言っていたけれど、具体的に何をどうできるかはわからない。そもそもそこまでの干渉が時間と空間の魔法使いに許されているのか、判然としない。そんな中で頼みたいこと。頼みたいこと、か。
「……じゃあ、ひとつ、いや、ふたつ分になるのかな?」
「何?」
「もし、エクルーたちが今から言う2人の人に出会うときがあったなら、優しくしてあげて欲しい。なんていうか、出来る範囲でいいから幸せを願ってあげて欲しいんだ。絶望してたら助けてあげてほしいし、そうじゃないなら見守ってあげてほしい」
「ふぅん? どういう人?」
「俺の髪と右目の色をした、ちょっと突っ張った感じのする女の子。物言いはきついけど優しい人。それと、真っ白な、こう、光が透けそうなくらい白い髪でピジョンブラッドみたいな目をした男の人。えっと、基本的に人でなしの部類に入ってて、何を考えてるかわからない感じの……?」
「前者に比べて後者はただの悪口じゃない?」
「後者は伝聞なんだよ……。俺が会ったことがある人じゃないから、あんまり長所を知らないんだ。でも頭はすんごくいいと思う」
 その2人が生きてくれて、出来れば幸せでいてくれれば文句はない。
 そうすれば、どこかでまたアイツも生まれてくる。
「あんたと伴侶のことは、願わなくていいの?」
 握手の手を解きながら、大きく頷く。
「うん。俺もアイツも、生まれてくることさえ出来れば、自分の幸せは自分で探しに行くからさ」
 またどこかで、と言った。
 エクルーも頷いた。またどこかで。
「また会ったら、今度は歌を教えてやるよ」
「歌?」
「うん。もうない星の風詠みの歌。きっと何かの役に立つ」
 またどこかで、道が交差したなら、今度は一緒に酒でも飲んでもいいかもな、とゲートの中で独り言ちた。


 あちこちの時代に飛び、穴を修繕しながら思う。
 何度か穴の内側にも入ってみたが、俺が向こう側に引っ張られる感覚はない。俺が紛れもなく地球産の魔法使いであることの照明だ。でも、この穴に吸い込まれてしまったどこかの星の子どもは、それこそ消えるようにその時代からいなくなる。別の時代に漂流することもあれば、同じ時代でも別の大陸で見つかることもある。
 時空の番人からすれば〝まだマシな方〟になってしまうが、当事者からすると、とても悲劇的だ。昨日まで笑い合っていた恋人が二度と帰って来ない。やっと生まれた我が子を取り落として育てられなかった母親もいる。
 そういうことがないように修繕を繰り返しているのだが、宿命から逃れられないのだろうか。親和性の高い子どもはやっぱり消えてしまう。死んでいるわけではないのだけれど、普通の人間はそれを知ることはできない。
 向こう側まで一気に飛んでしまうと、手がつけられない。まあ、そもそも俺の問題ではないのだから、その辺りを割り切って残酷になれたらよいのだけれど。俺は一応、心を残している人間なので、回避できる悲劇は回避できた方がいいだろうと思ってしまうのだ。
「……さて、こんなものでいいかな」
 だから俺は穴の内側に〝俺〟を作ることにした。俺が自由に歩き回れるのは、せいぜいこの歪んだ時空の浅瀬程度だけれど、それでも迷子の手を引いて道案内くらいはできるだろう。ないよりマシだ。軽い会話が出来る程度の自我と知識だけを込めて形成する。限定的な時空間の迷子センターだ。
 期限は、そうだな。俺が死んだら。いや。
「どうせなら――」


 それからまた数百年。
 俺は自ら見つけることが出来た、真っ白い髪とピジョンブラッドのような瞳の青年に看取られながら無事に眠ろうとしている。叔母たちが言っていたように、とんでもない人だった。でも、その色は俺にとっては何よりも代えがたい希望になった。
 大丈夫。彼は自分で幸せになれる。いずれ栗色の髪の半身を勝手に見つけ出すだろう。あと、他に見つけたエクルーやサクヤの仲間の子孫も。あの氷河で倒れていた子ども2人よりは、救われた結末を用意できたと思う。その手伝いを、した、つもりだ。
 なあ、エクルー。
 俺は俺のやりことを成し遂げて、希望の中で死ぬことが出来そうだ。
 結局、あんたは会いには来てくれなかったけど、俺は結構、満足してる。――あんたは、どうだった?


 俺が――南部星一が初めて金の瞳の幽霊を見たのは、本家の住吉神社に寝泊まりするようになってしばらく経った頃だ。十を超えた春休みに俺は関東の実家を出て、本家の下宿人になった。新学期からはこちらの学校に通うことになる。
 三つ下の弟が「にいさんがまじょにさらわれる」なんて、些か失礼な台詞と一緒に泣き喚いたのに驚いた。お前、もう小学生だろ。甘えたな弟だとは思っていたけど、そんなにブラコンだと思ってなかったよ、兄ちゃんは。いい兄離れの機会だと言えば、母は賛同してくれたが、父からはまだ小学生だから仕方ないだろう、と言われた。父は二人の弟が住吉に婿入りしてしまった過去があるから、単純に寂しいのだ。母に適度に尻を叩いてもらうように頼んでおいた。
 俺が本家に来たのは、関東も本家も、いろいろと落ち着いたからだ。本家の地盤が落ち着いたし、関東の要になっていた魔女の心配をしなくてよくなった。東に西にと奔走する必要がなくなったから、どうしても後始末に手がかかる本家の手伝いをしにきた――という名目で、許婚と一緒の学校に通う権利を手に入れたのである。
 下宿代を負けに負けてもらっている分、お手伝いは人一倍しなければならない。広い敷地内で水を飲みにくる蝶々たちのために、水盆の水を入れ替えていた最中のことだった。
 くすくすと笑う声がして振り向いたら、銀の髪、金の瞳の幽霊がいた。すらっとした身長の高い男性で、目鼻立ちがよく整った美形だ。一瞬、俺の叔父にあたる鷹史さんかと思ったけど違う。そもそも鷹史さんだったら、化けて出る場所が違うだろう。
 俺は鷹史さんを直接、知っているわけじゃない。でも、写真でなら見たことがある。なんとなく、造作が違う。鷹史さんの方がもうちょっと日本人よりで、もうちょっと甘い顔立ちだ。双子と言われても驚かないくらいには似ているけれど。
 ソイツは群がられて蝶々だらけになっていた俺の頭から蝶を払い、足元に集まっていた猫を適度に追いやってくれた。ここの動物たちは気の綺麗な魔女が大好きだが、俺の場合は違う。餌とか水とかを期待して寄って集られているのだ。つまり、動物どもは俺のことを舐めている。
 幽霊は俺の頭をゆっくり撫でた。幽霊なのに器用だな。ホタルやら、桜の木にいる桜さまやらに馴れてしまっていて、感動とか驚きとかは少ない。
「誰?」
 俺の頭を撫でる手がぴたり、と止まる。はあ、と溜め息を吐くような仕草をする。幽霊が呼吸してるのかどうか、俺には判別できない。
「ちょっと、旅行しに来てさ」
「旅行?」
「そ。傷心旅行。俺、失恋しちゃったんだよね。だから、誰かに話を聞いてほしくって。あんた、聞いてくれる?」
 ぱちぱちと瞬きをして、一応、周囲を見回した。ちょっと外れの方の水盆を替えに来ていたから、誰もいない。うん、俺に言っているらしい。
「俺に?」
「うん」
「失恋の愚痴?」
「うん」
 誰でどこからきたのかはわからないけれど、こんな美青年でも失恋するんだな。そりゃするか。世の中の女性が全員、面食いなわけじゃない。
 傷心らしい幽霊は、足があるくせにふよふよと浮いていた。すらっと背が高いのに、失恋してこんなところまで傷心旅行だなんて、まるで少年みたいだ。俺は水盆へ水を注いでから、その場にあった椅子代わりの青石にひょいと腰掛けた。
「いいよ。失恋でも家出でも。あ、でも画期的なアドバイスは期待するなよ」
「ありがとう。さすがは地球最後の魔法使いだ」
「? なんだ、それ?」
 幽霊がやたらとファンタジーな単語を出したので、思わず聞き返してしまった。幽霊は現れたときと同じようにくすくすと笑って言った。
「俺の仲間内ではね。真っ暗闇を歩いているときに、そっと手を繋いでくれるような、そんなお人好しな魔法使いをそう呼ぶんだ」
 愚痴を聞いてくれたら、御礼に歌を教えてやるよ。と、銀髪の幽霊はそう言った。
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