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2009/11/03first
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※感応力者にウケがよさそうなシリウスと花の話





 アパルトメントに帰るとサクヤからの頬へのキスとハグの挨拶を受ける。
 相変わらず、純度百パーセントの親愛が込められたもので、俺も失礼に当たらない範囲で返す。エクルーもこの儀式を受けるのだが、俺よりほんの少し長く、ほんの少し違うように感じる。エクルーだってサクヤにハグをされた途端にその腰に手を回しかけて、拳をつくっているのだ。キスもハグも親愛以上のそれにならないように。
「サクヤはずっとああなのか?」
「ああって?」
 夕食のために手を動かしながら、エクルーがすっとぼける。俺相手にすっとぼけても今さら仕方がないような気がするけれども。あれだなぁ。もう板について剥がれない、みたいな態度なんだろうな。
「言い方が難しいけど……。率直に言えば、男に対して危機感がないような?」
「あの人はずっとそうだけど、シリウスに関しては尚更ガードできないんだと思う」
「あれ、暗にけなされてる?」
「なんでさ。褒めてるんだよ」
 箸にも棒にも掛からない草食動物、と言われた気がしたが違ったらしい。見た目がどうにも優男なせいで、よくそう見られる。実際はそうでもない、とは、思いたい。評価って他人がするものだから、わかったもんじゃないが。
 ニンジンの皮を剥き終わったエクルーが手を洗い、そうそう身長差のない俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。エクルーもなんだよな。このカップルは揃って俺を親戚の子どもを撫でるみたいに扱う。
「こうして触れても真っ先に綺麗な景色が流れてくる。冬の澄んだ星空。あったかい芝生に寝転んだときの土の匂い。じゃれついてる猫と犬。ハーモニカの音色。へえ、一番好きな花は薔薇なんだ。なんか意外。この海は、見たことないな。この鈴蘭みたいなピンクの実も見たことない。なんだ、これ?」
「鈴蘭っぽいピンクの実……キャンパルベリーかな。そのままだと酸っぱくて食べられないから、ジャムやペーストにして、夏に炭酸水で割ったりヨーグルトに混ぜたりするんだ」
「へえ、美味そう。サクヤに食わせてやりたかった」
「もう原種は絶滅したからね。辺境の農業開拓者たちが交配を繰り返して、どんどん甘くしていって、果物として都会の食卓に上がるようになった」
「残念」
「でも、そのおかげで麦も育てられなかった山の住人の生活水準は向上した。老人や子どもが冷える朝に凍った井戸で苦労しなくて済むようになった。寂しいこともあるけど、悪いことばかりでもない」
 俺の頭から手を離したエクルーが、そういうところだよ、と言った。
「人間って嫌なことばっかり憶えてて、楽しいことはすぐ忘れちゃうだろ? でも、シリウスはそうじゃない。あんたは、まんま風だ。綺麗な景色も音も憶えてるし、嫌なことはさっさと風化させちまう。空気が澱んでいたら、風穴を空けてくれる。俺たちにはそういうのが必要なんだ」
「……何だか褒められてる気がしない。要は単純で楽天家ってことだろ?」
 今ひとつ、ぴんと来ない。俺が憶えていたい景色とは、即ち、アイツが好みそうな光景だ。どこかで同じようなものを見ていてくれという願望に近い。天文学的な確率で、また会えることがあったなら、連れていってやれるだろうか、という夢想も入っている。
「褒めてるさ。俺とサクヤじゃ、すぐに見えない迷路に迷い込んじゃうから。迷子になって戻れない」
 ふう、とエクルーの明るいはずの金の瞳が翳った。閃きではないが悟るものがあった。例えに紛れてはいた。いたけれども、それは、なんだか。なんというか。
 ――〝俺とサクヤじゃ駄目なんだ〟って、失恋を決めているような。
 俺には、そんなことないだろうとも、やってみなきゃわからないじゃないかとも、言えなかった。
 たぶん、もう、そんなこと、エクルーは試しているはずなのだ。長らく生きているんだから。長らく二人で寄り添っているのに、足掻いたり、じたばたしたり、していないはずがない。
 何が悪いんだろう。全部かもしれない。世界に二人きりという環境だって、実はよくない。孤独な蜜月は互いを失ったら一人になると不安を煽る。喧嘩をしても、どこにも家出ができない。困ったときに友人に相談も出来やしない。
 何故、二人が不安定に見えていたのか。ちょっとだけ理解した気がした。
 エクルーもサクヤも帰る家がない。サクヤに至っては母星の地を自分の足で歩いたか怪しい。俺だって、とうに帰る場所は海の底だが、再会するのは簡単だ。そっと瞼を閉じれば容易く全部思い出せる。
 エクルーに、何よりサクヤに、そういったものはあるのだろうか。
 ――エクルーたちは旅の途中だ。
 とうに旅路を終えて、ボーナストラックのような余生を送る俺と違って。
 たぶん、エクルーとサクヤの旅は、終わっていないんだろうと思う。
 エクルーがソーセージとひき肉を比べて唸っている。どちらかをサクヤに食わせたいんだろう。でも、難しい。ここに来てからサクヤが卵とチーズ、白身の魚以外でタンパク質を取っているのを見たことがない。肉を齧れとは言わないが、女性が鉄分を摂らなくて大丈夫なのだろうか。
「マウルタッシェンは?」
 エクルーが弾かれたようにこちらを見る。
「あれなら、ひき肉よりほうれん草の方が多い」
「そうだな。サクヤも騙されてくれるかも」
 薄いパスタ生地に多量の野菜とミンチにした肉を包んだ単純な料理だ。元を辿ればどこかの修道院が肉を食べたいが故に、ほうれん草のような色味の強い野菜で肉の赤身を誤魔化すために作った料理だった。つまり、戒律厳しい修道院で目溢しのように食べられていたわけだ。
「うん、いいかも。それにしよう」
 エクルーがソーセージをストックに戻して、ほうれん草の束といくつかの緑黄色野菜を引っ張り出した。ぱちり、と視線が合う。
「ひよこ豆のタルト作れる? なんて言ったかな。パスティシュグラオン?」
「修道院尽くしにする気か?」
「ちょっと思いついた。それならサクヤも抵抗が少ないんじゃないかと思って。星詠みは俺たちの星の司祭だから」
 あれは豆の裏ごしがなかなかに面倒なんだが……。仕方ない。どうせ、余生はボーナストラックなのだから。ひよこ豆の袋を受け取りながら、ふと、気になったことを思い出した。
「ああ、そういえば」
「うん?」
「確かに俺は薔薇が好きだけど、形や香りが一番好きなわけじゃないよ」
 懐かしいな、とほんの一瞬、薔薇園の甘い香りを思い出す。でも、俺が好きだったのはその香りでも花の形でもない。まあ、花の形や色は気にした時分もあったけれども。
「どんなに鈍くて愚かで物知らずな人間でも、すぐに愛を伝えられるのが好きだ」
 その花の意味を知らない人間は少ないだろう。いつか、一度くらい、一輪くらい、エクルーがサクヤに渡せればいいんだけど。そんなふうに勝手に言祝いだ。


 両手に小さな如雨露を持っている。その持っている手も随分と小さくて、ふくふくと柔らかいものだから、ああ、夢かと気がつく。現実の俺の手には、胼胝もあるし、血豆が潰れた痕もある。逞しいとは言えないが、まあ、多少は鍛えられた手になっている。
 そよ風に煽られた薔薇たちが、甘い芳香を放ちながら揺れている。母の庭園だ。母の趣味で作られたその庭の世話を、幼い頃の俺はせっせと手伝っていた。
 俺の生家は地方の豪族だった。貴族ではないが、そこら辺の小貴族よりはやや裕福だったと思う。地主で住んでいた町の大部分の土地は家のものだった。幸いなことに当主であった祖父は賢君で穏やかな人だったから、快く土地を田畑として提供していたし、家の経営に困らない程度の税しか取り立てていない。一族ともにそんな家系が細く長く続いていて、過去に町人と揉めたことは少ない。その少ない揉めた内情とて、逆恨みとか、業突張りとの張り合いとか、そんなものだった。
 地主の豪族の息子、と聞くと周囲にちやほやされているようなイメージを持たれがちだが、そんなことはない。春には当主も跡継ぎも混じって小麦の種植えに参加するし、麦踏みもする。秋に葡萄が収穫されるとこれまた当主の奥方も娘もワイン造りのために桶の中で葡萄を踏む。まあ、要するにただの田舎の小金持ちだ。
 それでも家は屋敷と言って差し支えなかったし、敷地内にそこそこ立派な離れがあった。こうして観賞用の花を趣味で育てるような余裕もある。なので、俺はよく母が育てている薔薇の世話を手伝っていたのだが、この薔薇という花はとにかく面倒くさい花だと知った。暑さにも寒さにも弱い。水やりひとつにしても、天候や状態に合わせて葉を洗うように水をかければいいのか、根元の土だけを濡らすのか、変わってくる。目を遣って、母のメルヘンな言葉を借りるなら「お花の声を聞かなきゃ駄目よ」とのことだったが、まあまあ当たっていると思う。言い方は少々アレだが。ちなみに母が本当に花の声を聞くことができる超能力者だったという事象はない。
 さて、そんな面倒くさい花を世話していたのは、別段、俺が極度のガーデニング好きだということではない。きちんと下心があってのことだ。花ばさみを手にした母が俺の名前を柔らかく呼ぶ。
「今日はどのお花にする?」
 にこにこと笑いかける母から目を逸らし、俺は母の薔薇園に咲く花を物色する。白、ピンク、オレンジ、黄色、赤。ひとつひとつの名前は知らなかったが、色も形も違うたくさんの薔薇が花を開いていた。幼い俺はそのひとつひとつを、これまた必死で懸命に、涙が出るほど健気に見つめ、おずおずと一番、綺麗だと思う薔薇を探すのだ。
「じゃあ……これ」
 悩んだ末に指さしたのは、ピンクがかった赤と白が混ざり合ったスプレーの薔薇だった。本当は隣の天鵞絨のように美しい赤い薔薇を選びたかったくせに、その色は、その一輪は、些か背伸びのし過ぎではないか、と当時は思えたのだ。そもそも十分にませて背伸びをしていたクソガキだったのだから、素直に選んでおけばよかったのに。
「ふふ、綺麗ね。きっと喜んでくれるわね」
 母は変わらずにこにこしながら、薔薇を一輪、摘んでガキの手にも持てるように、棘の処理をしてくれていた。振り返れば、我が母親ながらなんて寛大で嫋やかな人だったのだろうと思う。その頃、俺はあの家の嫡子で、跡継ぎだったのに。随分と自由にさせてもらっていたものだ。心も、身体も。
 薄紙に包まれた薔薇が、幼心にとても重かったように思う。まるで宝石でも持つようにして母から一輪を受け取ると、俺はもう母も周囲の景色も見えていなかった。そのまま真っ先に屋敷の裏手にある離れへ向かうのが毎日の日課だったのだ。
「……あら。またあんたか」
 離れには離れの主人がいた。叔母だ。
 玄関の戸を叩いて、鍵を開けてもらって、その姿を認めた瞬間にいつも震えが走る。
 いつでも喪服のような真っ黒いローブを纏い、栗色の髪を覆うように薄い黒のヴェールを被っている。それから、ルビーでもガーネットでもない、不可思議な輝きの赤い石が埋め込まれた髪飾り。栗色の髪といい、沈んだ翠色の瞳といい、俺と叔母はよく似た色彩を持ち合わせていたのに、俺の中に残っている叔母の印象は黒と赤しかない。
 夏も冬も同じ格好。ごくたまにお国の中央へ呼び出されるときも。俺が叔母の白いドレス姿を見たのは一度だけ。別れのとき、棺に横たわったときだけだ。
 そして叔母が長い左腕を動かすと、ギィギィと物々しい音が鳴る。叔母は左腕の肩から下がない。子どもを身籠ったときに、苦痛を我慢して義手を拵え、普段は長い手袋の中に隠している。本人は義手を嵌めることに消極的だったが、一人で子どもを抱いて育てるためには仕方がないと割り切ったのだと、後に聞いた。
 ヴェールの隙間から覗く瞳が小さい俺を見下ろす。嫌われてもいないし、特別に仲が悪いということもなかったのに、何故、震えに足がすくむのか疑問だった。迫力に押されていたのかと思っていたが、今、思えばそれだけじゃない。
 何。単純な話。叔母は未婚の母かつ未亡人という、些か特殊な経歴の持ち主だった。そういう女性には特有の色香が生まれる。齢一桁のガキに、そういう色香は刺激が強すぎたのだ。
「あの子は二階よ」
 離れの一階は、生活に必要なスペースを除いて叔母専用の研究室になっていた。二階は叔母が持ち込んだ蔵書庫になっている。叔母の研究からは、多額の金が生まれると知っていたいい子ちゃんな俺は、挨拶と御礼だけを伝えると足早に階段を昇った。
 離れの二階に辿り着くと、古い本独特の匂いに満ちていた。芳しい薔薇を持った俺がなんとなく異分子のように感じる。居心地の悪さが手伝って、荒らさない程度に急いで目的の人物を探す。どこもかしこも隙間なく本が詰められた背の高い本棚ばかりで物々しい。割とアウトドア派だった俺はその蔵書庫の主に「退屈しないのか?」と愚問を投げかけたことがあったっけ。懐かしい。
 それなりにある部屋の中から、半開きの扉を見つけた。ぱらりとページの捲る乾いた音がする。それだけで浮足立つ、当時の俺のなんと可愛らしく愚かしいことよ。
 その部屋に飛び込んだ幼い俺は、本に埋もれながら本のページを捲る、一歳年上の従姉の名前を宝物のように呼ぶのだ。
「アルテミス!」
 細い肩にかかった真っ白い髪がさらりと揺れる。肌も髪も透き通るように真っ白で美しい。振り向いた二つの瞳は命の色をそのまま映したような朱。そういえば叔母の髪飾りと同じ色をしているな、と気がついたのはいつのことだったか。
 きょろりと動いた朱色の瞳が、俺を見て、俺の持った薔薇を見て、わずかに首を傾げた。大人になってからアイツのあのときの感情がよくわかる。毎日、よくも続くものだな、と。毎日、毎日、愚直に薔薇を一輪送ってくる年下の従弟の処遇について、アイツなりに悩んだのだろう。
 もちろん、幼く愚かな俺はそんなことに気がつかないし、アイツが悩んでくれるという貴重さも知らない。知らなくてよかったのかもしれない。そうして馬鹿正直に真正面から口説いた結果、今のうちに振るべきか、それとも手を取ってやるか、までアイツは考えてくれたのだろうから。
 早熟で聡明なアイツからしてみれば、普通に考える案件である。一年遅く生まれた身内のクソガキが、どうやら自分の容姿に惹かれてしまったらしい。それも本家の跡取り候補の。さて、どうしてやるべきか。
 なまじ、アイツは自分の容姿の良さを早々に自覚していたものだから、心の裡でいつ飽きるのか数えていたに違いない。残念なことに、こうして一万年が経とうとも、その早咲きのクソガキの恋は健在なわけだが。譲るという美辞麗句で、跡目を弟へ押し付けたことに関してだけ、まあ、反省している。
 何にも気がつかない子どもは、本を踏まないように彼女へ駆け寄って、薔薇を差し出す。彼女は綺麗ねと感嘆しないし、ありがとうと感謝することもない。ただ黙って受け取って、窓辺に飾っている花瓶の隙間を確認する。俺が毎日、持ってくるせいで、窓辺の花瓶がたまにいっぱいになってしまうから。
「シリウス」
 彼女が俺の名前を呼んで、俺を手招きする。応えて隣にぺたりと座った。受け取った薔薇を脇に置く。小さくて白い手が俺の肩に置かれて、猫のようにしなやかに伸びをした彼女の朱色の瞳が近づいて。距離がゼロになる前に俺も目を閉じる。
 古い記憶だ。まだ、俺が幼く、愚かに、永遠にそうしていられるのだと。
 まだ、そんなふうに世界を信じられていた頃の、拙い記憶の断片だった。


 薄目を開くと、ほんのり頬を染めて立ち尽くしたサクヤがいた。
 俺は机に突っ伏したまま寝てしまっていて、身体の各所がぎしぎししている。サクヤはそんな俺のすぐ隣で毛布を持ったまま、頬を染めて立っている。うん、大体、事情は呑み込めた。もっと生々しい夢を見ていなくてよかった。
「ごめんなさい。毛布をかけるだけのつもりだったの。本当よ?」
「ああ、うん。見せられないような夢じゃなくて助かった」
 ――いや、でも、そんなに赤くなるほどの夢だったっけ……?
 身も蓋もなく言えば、ませたガキとガキが、大人にバレていないと思い込んで、口と口をくっつけていただけの夢だ。可愛らしく思い出深いが、特段、刺激的ではない。
 ――まさかとは思うけど。
「とっても素敵なワンシーンだったから。なんだか、羨ましくなっちゃったわ」
「なあ」
「なぁに?」
「あんた、男に花をもらったことってあるか?」
 サクヤは少し悩んだ。
「株分けとか、標本や薬草をもらったとか、そういうのはカウントされないのよね?」
 マジかよ。
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